004.三俣蓮華小屋から笠山荘まで
第4日(8月8日)、ちょっと寄り道・雲の平。
左、朝日を浴びる鷲羽岳、(三俣蓮華小屋から)。
4時過ぎに起き出す。またしても気持ちのよい快晴。ザックを小屋に置いて、ヤッケだけ着て雲の平へ向かう。
本来ならば、雲の平を約半日の予定で巡るはずであったが、そうすると今夜の泊まりは必然的に双六小屋となる。超満員の小屋を考えるとぞっとする。それと、京都を出るときには開業しているかどうか不明だった笠ヶ岳小屋が、営業中と確認できたので、そこまで行くこととする。そのため、三俣蓮華小屋は遅くとも8時には出発しなければならない。ということで、雲の平は入り口をちょっと覗くだけとなる。
小屋の前から、緩い下りを黒部源流へと下る。天下の大渓谷黒部川もその源流は、ただの渓流に過ぎない。真横からの光が、闇と光とを分ける。町にいては体験できない真横からの光。建物が邪魔をしてということもあるが、太陽がこんな低いときに起きているはずがない。
黒部川源流を一またぎ。源流であろうと何であろうと、ワシは黒部川をまたいだんやゾ。
右・雲の平から見た槍ヶ岳。
雲の平の入り口だけを覗いて引き返す。7時30分、小屋へ戻る。ザックを締め直して、7時45分出発。
今日も快晴、雲一つ見あたらない。小屋の上の雪渓で水を補給して、三俣蓮華への登りにかかる。登るにつれて、背後の鷲羽岳がせり上がってくる。堂々たる山である。 左写真、画面左下方に屋根らしきものが2棟見える。これが三俣蓮華小屋だと考えられる。その小屋の右上かなり離れて、カマボコ様のものが、昨夜の宿泊棟。例の「こんなところで鶏を飼うはずはないが」と首を傾げていた建物である。記憶では、本屋のすぐ近くにあったと思っていたのだが、実際にはこんなに離れていた。先程「考えられる」と書いたのはそういう意味である。
赤外線で撮ると空が真っ黒になる。それほど今日の青空はスゴイ。きょうはロングコースになるので、時間を稼ぎたい。三俣蓮華の頂上へは寄らずに左へ巻くコースをとる。
縦走路から見る三俣蓮華。昨夜泊まった小屋は、「三俣蓮華小屋」だが、一番上の写真のように、鷲羽岳の直下にある。50年たったいまでも、三俣蓮華小屋というよりも、鷲羽の小屋といった方がぴんと来る。 三俣蓮華という山は、信州、飛騨、越中の三国にまたがるという意味で、地理的には重要な位置を占めているらしいが、風景的には、隣の鷲羽に圧倒されて影が薄い。
左・三俣蓮華から双六方面を見る。槍から右へ、大キレットをはさんで穂高連峰。 右・双六への途中から、鷲羽岳を振り返る。どこから見ても均整のとれた雄大な山である。
左・きっちりしたメモがないので、どのあたりなのかははっきりしない。這松の斜面を横切る細い道が印象的。バックは左、大キレット。それに続く穂高連峰。
右・双六岳の下り、中腹から見下ろす双六小屋。向こう側へ登っていくのが西鎌尾根への取り付きである。
双六の手前からみる槍ヶ岳方面。画面左奥、白雲が立っている稜線が、いわゆる表銀座、燕から大天井への稜線である。
10時25分、双六小屋着。小屋の前から双六岳を見返すところ。
左・静かな双六池から笠ヶ岳方面を見る。笠ヶ岳への道へ入ると、ひと気は急激に減る。
右・槍に向かう西鎌尾根を撮っているのだが、光線が高く判別がつかない(笠への縦走路から)。槍から左へ下るのが北鎌尾根。
50年前の記憶が怪しいが、多分弓折れ岳あたりであろう。笠への縦走路で、こんなところがあったのかと思うが、ちゃんとアルバムに貼ってあるのだから、間違いはないのだろう。
吹き上がってくるガスに消えたり現れたりしながら、笠ヶ岳がだんだん近づいてくる。16時30分笠山荘着。人影もまばらで、客は10人ほどだという。ヨシ、今夜は夕焼けが見られるぞ。
満員の山小屋では、肩幅40cmを確保するために、おちおち外へ出られない。ところがきょうは違う。小屋の外で、のんびりこんな写真も撮れる。涸沢岳と北穂の間から十六夜の月が昇る。先程までかかっていたガスも晴れ、皎々ととして穂高の上にある。これ以上の月見はない。
小笠の上でどこかのコーラスメンバーらしきグループが”山小屋の灯”の合唱をやっている。コーラスの上には、北斗七星とカシオペヤが北極星をはさんで輝いている。満員の山小屋では到底想像もできない幸せな時間。懐中電灯を振り回して、こんなアホなことも。三脚は持って行ってないから、岩の上にでもカメラを置いてシャッターを切ったのであろう。上から覗く二眼レフは、こんな時には便利だった。 9時近くまで贅沢な時間を過ごして小屋にはいる。
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