穂高から三上山まで

---昔語り・わたしの山と写真・9---
1960年 烏帽子・三俣蓮華・笠 その2

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002.葛温泉から烏帽子小屋まで

 第2日(8月6日) 午前2時ごろ、一回目がさめる。真っ先に飛び込んでくるのが水の音。大雨である。これは大変。そっと窓を開けてみる。木の間越しに、星が三つ四つ、大雨のごとくに聞こえたのは、窓の外を流れる高瀬川の音だった。

 5時、例のオッサンが起きだして目が覚める。外を見ると、見事に晴れ上がっている。快晴。
 5時30分、旅館を出る。見上げる谷間から、烏帽子山系特有の赤茶けた山肌と緑のコントラストが目に入る。今日の夕刻には、あの一角に立つのだと思うと、いよいよ山にやってきたとの思いが強くなる。

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 濁沢まで森林鉄道の枕木の上を歩く。これが長かった。いま、地図で見ると葛温泉の少し上流に七倉ダムがあり、さらにその上流に高瀬ダムがある。葛温泉からそこまで自動車道がついているが、もちろん当時はそんなものはない。ただひたすら森林鉄道の軌道上を歩いた。

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 7時40分、濁沢小屋着。ここで朝食。旅館でもらってきた超特大の握り飯。
 小屋の爺さんに「昨日は何人ぐらい登った?」と聞くと、「さあ、とにかくたくさん登ったよ。烏帽子の小屋では、毎晩250人ぐらいずつとまっているよ」。烏帽子小屋の混雑、想像に苦しくない。
     8時25分、小屋を出て濁沢をつめる。とてつもなく白く明るく広い沢をつめるのである。前方はるか上方に南沢岳の尾根を見ながら行くと滝が見えてくる。

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 この滝の左手から尾根に取り付く。北アルプス有数の急登「ブナダテ尾根」である。いまの地図では、高瀬ダムから、不動沢を渡り、にごり沢を渡る道が記されているが、そこからの急登は50年前と同じようである。









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 9時,ブナダテ尾根に取り付く。とにかく登りはじめからぐいぐい高度を稼いでいく。
 例のオッサンは、「私が遅れたら、先に行ってくださいよ」といっていたが、同行のSさんのピッチが早く、こちらもそれにつけず、20mほど行ったところで、はや遅れてしまう。ブナの大木のおかげで、直射日光は当たらないが、風がなく暑い。汗が滴り落ちる。

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 道は何回か折れ曲がり、ブナの木間より見る不動岳、南沢岳の大崩壊が眼前に迫ってくる。40分ほど登って、Sさんに追いついたところで休憩。それでも2208mの三角点までの3分の1は登ったのではないかと話し合う。

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 濁沢で尾根に取り付いてから、流すところのない登りの連続である。「3歩で高度が1m」、決して冗談ではない。ブナの林の中に、ダケカンバが姿を見せるようになり、高度の上がったことを証明してくれる。

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 ブナダテ尾根の登りが続く。
   時計が12時を指す。「とうとう12時までに着けなかったか、残念!」と、足元を見ると、四角い石があって、それが三角点。「ヤッタ!、予定通りや!」。
 普通、三角点というと山の頂上に鎮座していて、山に登るとき、三角点はその山の頂上を意味するわけだが、今の三角点はそんな結構なシロモノではない。ブナ立て尾根の一つの点を示すだけで、標高2208m、烏帽子岳自体は2628mあるわけだから、全体の3分の2が終わっただけで、単なる通過点に過ぎない。



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 三角点から少し登って、右側に大きなガレ場が見える場所で昼食をとる。そこへ5人のパーティーが登ってきて、「三角点はまだですか」という。彼らも見過ごしてきたらしい。「もう過ぎましたよ」というと、「しまったー!」、「引き返そうや」という。
 三角点の写真でも集める趣味でも?、そうでなければ、こんなしんどい坂を誰が引き返すものか。と不思議に思って聞いてみると、問題は三角点ではなしに、水場。三角点を少し右に下りたところに水場があることを知っていて、それを頼りに登ってきて、知らぬ間にそれを通り越してしまったというわけ。なんとも泣きたくなるくらいナサケナイ。気持ちは分かる。

 薄いガスの巻く中を、なおも汗をかきながら登る。ときどき木の間がまばらになり、空が抜けるようになる。そのたびに、そこが稜線かと期待する。何回かの失望を繰り返した後、小さな標識にいわく「小屋まであと15分」、じゃ休め、水も全部飲んでしまえ!。

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 少し行くと、本当に空は抜けて、這松と高山植物の中に出る。時に13時46分、濁沢の取りつきから4時間46分、葛温泉からすれば、休憩を含めて、8時間16分のアルバイトだった。







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 小屋に着いたら、「水はないから、水場まで汲みにいってくれ」という。小屋から約15分、烏帽子よりのところにあるというので、烏帽子に登るついでに汲みに出る。なだらかな白砂の稜線を烏帽子に向かう。小さなイワギキョウが点々と咲いている。ちょっと燕を思わす岩肌である。

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 ガスに巻かれて、どれが烏帽子なのか分からず、小屋へ着いたのだという気分のゆるみと、行っても行かなくてもどちらでもいいという気持ちから、かなりの疲労を感ずる。何回か止めて帰ろうかと思ったが、最後に登り切ってしまう。
 2627mのさして高くもないこの岩峰は定員一人。危なくて立つことはできない。ガスが巻いて視界は全くきかない。雨の心配もあるのでそうそうに引き上げる。

 水をくんで、4時、烏帽子小屋帰着。出るときは空いていた小屋も、そのときはあふれんばかり。例のオッサンも着いていた。
 5時頃から夕立がやってくる。その晴れ間を見て、近くの小高い台地まで行く。夕焼け空の中に、三つ岳が立ちはだかり、その中腹を明日の縦走路が登っていく。

 夕食が終わると山小屋は就寝の時間。肩と肩とを合わせて人間サンドイッチ。窮屈なのと、暑いのとで眠れずにいると、左手の窓が明るくなって月が昇ってくる。小さな窓から見る高山の月。あたりの景色が見えないので、雄大だとか、神秘だとかの形容詞はつけられないが、地上で見るときとは鮮明度が違う。

 そういえば、仁木多喜雄作曲の「高原の月」というのがあったなー。
  真白に高き雪の峰/浮世のちりに染まぬ花/
  清き世界を照らしゆく/ああ高原の月 なに思う
 そんなことを考えつついつの間にか眠ってしまう。



 

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