穂高から三上山まで

---昔語り・わたしの山と写真・9---
1960年 烏帽子・三俣蓮華・笠 その3

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003.烏帽子小屋から三俣蓮華小屋まで

 第3日(8月7日) 寝苦しい一夜を明かし、4時過ぎに目が覚める。外はいくらか明るんで、昨夜左の窓から見えていた月は、今は右手の西の窓に見え、赤岳の肩に沈まんとしている。小屋の外へ出てみると、空にはいくつかの星が残り、快晴である。

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 朝食をとり、5時、小屋を出る。  昨日の小高い台地に立てば、太陽がちょうど餓鬼岳と唐沢岳の稜線から離れたところ。

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 西側を振り返ると、薬師岳のカールが真正面から太陽の光を受けている。

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 左・水平からの光を受ける三ツ岳。きょうの縦走路は、この三ツ岳との暗部への下りから始まる。
 右・三ツ岳への登りにかかって、烏帽子方面を振り返る。鹿島槍の双耳峰が印象的。 朝日に白砂が明るい。
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 いつものことであるが、最初の一時間ほどは調子が出ない。三ツ岳への中腹で1回目の休憩。いくら調子が出ないとはいえ、きのうの登りに比べれば天国。ゆっくり腰を下ろして、振り返ると、烏帽子が見える。その向こうのでかいヤツが立山。 太陽が当たらない白砂は、まだ冷たい。


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 三つ岳の頂上近くから北の方を見たもの。遠景の高い山が立山である。後方、小さく登山者が登ってくる。

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 三つ岳である。太陽が高くなって、どちらが東かきっちりは読みとれないが、左前方から来ているような気はする。そんなことを考えると、三つ岳の登りだろうか。ということで、上の2枚は、三つ岳の頂上近くから、左は北を向いて、右は180度反転して、三つ岳頂上付近を撮ったものだろう。

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 左・三ツ岳への登りであろう。後ろの双耳峰は黒岳(水晶岳2977m)。この山は今回の縦走路からははずれているが、なかなか存在感のあるいい山である。
 右・この写真の撮影場所がはっきりしない。ちょっとした窪地があって、いわゆる二重稜線をなしている。撮影意図は多分この稜線だと考えられるが、詳しいメモを残していない。いちばん奥の薬師のカールが、烏帽子の小屋近くで見たものより背伸びして生きているから、カメラ位置の標高が上がっているはず。そういうことを考えると、多分三ツ岳への登りの途中で撮ったものであろう。

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 三ツ岳の南側へ出ると、硫黄岳の赤い山肌の上に、意外と近く槍が見える。ちょっと疲れたころに、このような残雪があり、ありがたい。靴で表面の汚れを取ると中は純白。持っていったジュースをかけるとアルプス特性「かき氷」。
 槍ヶ岳をバックに、こんなのんびりしたことができる。きのうの登りを思い返すとまるで天国。

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 遠くのピークが槍ヶ岳であることは間違いない。しかし撮影位置の記録が残っていない。いまさら悔やんでみてもどうしようもない。50年前の記憶は帰ってこない。場所は不明だが、上の2枚、同じ場所から同時に撮ったものである。左がネオパン、右が赤外線フィルム。ネオパンは、遠くへ行くほどかすんで描写されるから距離感がでる。いわゆる「空気遠近法」である。ところが赤外ではそれがない。どこまでもクリアーに写る。当時はそれがうれしかったが、こうしてみると、遠近感が失われており不自然な感じもする。

 余談 「ネオパン」というのは、フジの白黒フィルムの商品名で、サクラは「コニパン」の名で呼ばれていた。記憶が怪しいので、話半分で読んでほしいのだが、当時、白黒フィルムはパンクロと呼ばれていた。パンクロはパンクロマチックの略。「パン」は、パンアメリカンとか、パンパシフィックとかのパンで、日本語でいうと「汎」、汎用とか、汎愛などのように使われる。クロームは色。だから直訳すれば、「汎色」、すなわち「すべての色」ということになる。
 それじゃカラーフィルムじゃないか、というのはいまの語感。当時はまだカラーフィルムは一般に行き渡っていない。パンクロ以前の白黒フィルムは、すべての色に同じようには感じなかった。青色系統にはよく感じるが、赤系には感じにくいという癖があった。その癖を矯正してすべての色に均等に感じるようにしたので「汎色(パンクロマチック・全整色フィルム)」というわけである。そのパンクロが、いまはモノクローム(単色)と呼ばれているのだから、面白い話である。

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 三ツ岳を過ぎると次は野口五郎岳(2,924m)。同名の歌手が出てきて驚いたのは、この後のことである。これも写真が残っているだけで、一つ一つの山について記録を残していいない。どれが野口五郎か、多分中央かとも思うが、よくは分からない。
 ベテラン組では、こうしてピッケルを背中に立てて行くのが流行っていた。われわれ素人は、それを横目で見ながら、もし雷が鳴り出したら、避雷針を背負っているようなものや、落ちたら一発やでと、ひがんでいた。いまはどうなのだろう。

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 野口五郎辺りからの水晶岳(黒岳)である。この山は形がはっきりしていて、見間違う心配はない。
 槍ヶ岳、上2枚に比べて、近づいたことが分かる。槍の右のギザギザの稜線が穂高。その手前、はっきりしないが右下に西鎌尾根が流れ下る。この人も避雷針を背負っている。上のミスター避雷針と同じ人物かも知れない。ピッケルを避雷針以外に使うことがあったのだろうか。

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 野口五郎岳から南西側を見たところ。画面全体がカールを示しており、画面右下にクレータの跡のようなものが見える。火口湖の跡のようにも見えるが、勉強不足でよくは分からない。ここを中心として、縦走路は大きく西に曲がる。そのやせ尾根が細かく上下しながら続いているのが見える。
 右・同じところを赤外線で撮ったもので、上とほとんど同じ構図である。画面ほとんどがカール状の地形をとらえているが、火口湖状の池は白く写って、判然としない。画面左上に遠くぽこんと見えるのが笠ヶ岳。その右、ちょっと離れてひときわ大きいのが鷲羽岳。その右がワリモ岳であろう。

 ネオパンと赤外を併用しようとすれば、当然カメラが2台要るわけで、学校の公用カメラ、「ヤシカフレックス」を、事務員さんに無理を言って貸り出していた。いわゆる6×6判の二眼レフで、フィルムサイズが正方形だった。普通は印画紙のサイズに合わせて長方形にトリミングしていたが、何故かこれはオリジナルのまま焼いていた。いま考えると、このトリミングの作業が、その後の構図作りの勉強になった。人生何事も役に立たないものはない。

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 上とほぼ同じ場所から、左方、槍ヶ岳辺りまでをパノラマ状に撮ったものである。槍の左が北鎌尾根、右が西鎌尾根。その手前に硫黄岳が見えているはずだが、画面が暗くて判然としない。西鎌尾根の向こう、ギザギザの稜線が奥穂高、西穂高。その右遠く、なだらかな高原状に見えるのが乗鞍岳。すぐ目の前、白い大きな斜面を縦走路が横切り、真砂岳からやせ尾根へつながっていく。

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 やせ尾根を越えると、右手に雲の平が広がってくる。黒部渓谷の源流である。
 鷲羽岳付近を行く。
 やせ尾根を過ぎて、赤岳に達する。風景はがらりと変わって、右手に広く雲の平が横たわる。沢はいわずと知れた黒部渓谷の源流である。野口五郎からやせ尾根を渡って、ワリモ岳。そこで爺岳に向かう道を分けて、鷲羽岳への登りにかかる。相当きつい登りに見えるが、案外楽に頂上に立てる。縦走路から見て、左前に鷲羽の池(写真右)が見える。これも火山活動の名残か。槍の投影が見えるとかのことだったが、槍は雲に隠れて見えない。 池の向こう、硫黄岳の赤茶けた山肌だけに陽が当たり、異様な風景である。

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 きっちりした撮影場所のメモを残していないが、多分鷲羽岳周辺であろう。槍ヶ岳手前の硫黄岳の複雑な山容が印象的である。

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 鷲羽の頂上から三俣蓮華小屋まで標高差400mを一気に下る。これはきつかった。(左・小屋の前から見た鷲羽の下り)。
 途中、蓮華の小屋が見え出す。その小屋の横に、カマボコ型の長い屋根が2棟見える。あれは何やろう。こんなところで鶏を飼ってるはずもないが。不思議に思って下りていくと、それが今夜の宿だった。
 三俣蓮華小屋、午後4時着。烏帽子小屋から11時間。この小屋は水は豊富で、お茶も無料サービス。

 しかし、夜は大変だった。昨夜と同じ肩と肩である。整理する男が実に調子のよい男で、「皆さんの気持ちはよく分かります。でも、つまらん男が詰めているのですから、そこのところを何とか。・・・みなさん、ひとり5cm、ひとり5cm詰めていただいたら、10人で50cm詰められます。・・・」。といった調子。それに対して陰の声。「それはおかしい、ひとり5cmなら、何人詰めても5cmだよ。ひとり5cm痩せれば別だけどね」。

 


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