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野洲川物語

南北両流跡探訪

南流跡・7B 
旧大川橋から河口までまで/右岸


左 岸 へ 六番橋秘聞

初稿UP:2012.08.25
写真・特記したもの以外2012年07月撮影
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 地図01・大川・新川
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 さて、右岸である。と、書きはしたが、対象となる右岸堤防跡は意味をなすのかどうか。左が当該地域の地図である。旧野洲川南流は今浜町美崎で2つに枝分かれする。右側、すなわち東側の支流は「新川」と呼ばれている。地図の通りである。それに対して西側の本流は、当然、「野洲川南流」だと思っていた。それは決して間違ってはいないと思うが、国土地理院HPのウォッチ図を見ていて驚いた。なんと、本流野洲川南流に「大川」との名称が付けられていたのである。そうか、それで「大川橋」なのか。
 実はこの橋が何故「大川橋」なのか、ひそかに不思議に思っていた。左上の概念図のように、旧野洲川北流・南流には計10本の橋がかかる。そのうち北流に関してはすべて地名。南流では、天神橋と大川橋が地名ではない。(列系図橋が地名であるかどうか問題になるところだが、左岸に鎮座する己爾乃神社の由緒書きに「列系図」が地名であると述べられている)。何故、天神橋なのか、なぜ大川橋なのか。これが分からないままだった。何のことはない、この野洲川南流そのものが「大川」だったのである。ちなみに現在の残流水路と琵琶湖を分ける水門(湖岸道路外側)には「大川樋門」と銘打たれている。
 最初から脱線した。その大川、左岸は前項でたどったように、曲がりなりにも堤防跡らしき跡が残されている。もっとも大川橋遺構から考えても、せいぜい3〜4mぐらいの堤防だったと考えられるが。ともかくその後は道路として残されている。
 しかし、右岸はそれがはっきりしない。少なくとも地図で見る限りその道はない。

31.旧大川橋付近


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 写真31・旧大川橋跡
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 大川橋跡道路から右岸を見たところである。「右岸道路」と書きたいところだが、右岸に沿うのは写真に見えている範囲(約70m)だけ。そこで左岸河床林にぶつかって、グイッと方向転換してしまう。あとは畑の中を行くだけである。





 写真32・大川橋跡道路下の暗渠
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 下流側から大川橋下をくぐる暗渠を見たところ。このように道路を挟んで上流側と下流側がつながれている。ちなみに上流側から見た1枚。トラックが走っているのが大川橋跡道路。暗渠の右手前に見える長方形のコンクリートブロックが、かつての大川橋橋脚遺構。大川橋跡道路と、旧大川橋とは並行ではなく、画面の右(右岸側)で両者の間隔が狭くなり、左側では離れていた。「>」型である。




 写真33・下流側残流水路の屋形船
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 残流水路につながれている屋形船。これが分からない。何に使われるのか。まさかここで提灯ぶら下げて、いっぱいやるとも思えないし。とはいえ、いくら目を凝らしてみても屋形船には間違いないし。





 写真34・水路から離れる
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 と、ここまでは水路が見えたが、ここで道は右にターンする。右の方、少し分かりにくいが、自転車の男性が行くのがメインの道。その少しうしろ、画面まん中で幅2mほどの砂利道が左へ別れていく。このエリアで唯一水路に近い道である。なにかあるかと入ってみたが、200mほどで行き止まり。その間めぼしいものとしては、大きなカメが道を横切っただけ。あとは密林化した旧河床林が続く。






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 写真35・元の道路へ戻る
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 カメに驚かされたりしているうちに身体がかゆくなってきた。蚊に狙われたらしい。ほうほうの体で逃げ出し元の道路に戻る。こちらも軽トラ専用道路だけれど畑の中を行く。蚊はいない。








 写真36・アーバンリゾート
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 ゆるーく右に曲がっていくだけで、風景に変化はない。真正面にアーバンリゾートが見えて来る。








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 写真37・木の間越しにピエリ
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 畑越しに左岸の巨木を見る。その向こうにピエリの建物が見える。








 写真38・左へ分岐
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 まっすぐ行くと突き当たり。左へ分岐して道は続く。










 写真39・道沿いの木
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 大きな木ではない。しかし風格のある木。いまのこの時期、葉がないということはすでに枯れているのだろうが。バックの場間は比良連峰。








 写真40・近づくアーバンリゾート
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 道は徐々に右へ曲がりいつのまにかアーバンリゾートが正面に見えてくる。両側はビニールハウスが続く。さらに近づいたところをもう1枚。








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 写真41・ランドマーク巨木
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 大きな木が見えてくる。左岸を歩いたとき、道を半分ふさいでいた木である。木の下がごちゃごちゃしているが、手前の明るい草むらがこちら岸(右岸)。巨木との間の暗い林が対岸(左岸)。両者の間が残流水路。左岸での姿とをどうぞ(写真11A)






 写真42・アーバンリゾートさらに近づく
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 回りがビニールハウスばかりで、現在位置がなかなかつかめない。結局、アーバンリゾートの建物を目印とすることになる。位置的にはここがいちばん近いところかと思われる。このハウスの終わったところを左へ折れると桜並木へ出る。




 写真43・桜並木
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 道もほとんど終わりに近く、左へ折れる道がある。このようなあばら骨に当たる道はいままでにも何本かあったが、すべて突き当たりが草木が生い茂っ視界なし。しかし、ここだけは視界が広い。行ってみると左岸・巨木の近くから見えていた桜並木の場所だった。左岸から見たとき、右岸のほとんどがこのような開放的な風景かと想像したが、実際にはこのあたり一部のみの話だった。




 写真44・ピエリを見る
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 同じ場所からカメラを少し右へ回すとピエリノ建物が見える。その手前、ネットのフェンスがあって、そのことら側が左岸跡の道路。こちらの桜並木(写真13B)を撮ったところである。その時点では、何の不思議も感じなかったが、いまこうして対岸を見るとき、このように両者の視界が開けているところは、ここだけだったことが分かる。これは単なる偶然なのか、それとも何か必然性があるのか。あれこれ考えてみるが、今のところは単なる偶然かなというところである。
 さらにカメラを右に回して琵琶湖リゾートクラブ(写真44A)の建物を見たところをもう1枚。対岸の木々の向こうが湖岸道路。




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 写真45・ラフォーレ琵琶湖遠望
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 同じ場所から振り返るとラフォーレ琵琶湖が見える。畑はこのようなきれいな砂である。









 写真46・右へカーブ
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 写真42の十字路に戻る。道は右へカーブしながらさらに奥へ続く。当然のことながら、アーバンリゾートは左へ逃げていく。







 写真47・水田
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 写真42の十字路から50m余りで変則的な十字路に出る。そこから作付けが水田に変わる。滋賀県の農地で、水田そのものは珍しくもおかしくもないが、旧野洲川の河口に近いデルタの中で水田は予想外だった。
 現在の近江富士大橋から下流で、旧北流・南流跡地はすべて畑であり、水田はこれぽっちも見かけなかった。そこへ来てこの水田である。さあ、この水田エリア、旧南流跡地と考えるべきか、それともこの部分は南流現役のころから水田として存在していたものか。外から見ただけでは判断が出来ない。地図(水田の推定範囲)
 このあと、道はさらに150mほど続くが、道を境として、左が砂地、右が水田ときわめて対照的な様相(写真47A)を示す。





 地図01A・デルタ中央道路
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 以上ここまで旧大川橋から、右岸沿いの農道を歩いて来た。もう少し何かあるかと期待をしていたが、全体が砂地で、ビニールハウスが並ぶだけの農地だった。大川と新川のデルタには、もう1本しっかりした道がある。左の地図に赤い線で示したコース(旧大川橋付近の様子は現在の状況とは変わっているが、その後、湖岸道路まではほぼ現在の状況を示している)で、私はこの道をデルタ中央道路と呼んでいる。念のため、この道をたどることとする。



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 写真48・旧大川橋跡
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 交差点名が不明で、説明しにくいが、直進する道路が、私がいうデルタ中央道である。左へ行けば旧大川橋跡道路。写っているクルマは大川橋跡からやって来て、湖岸道路の方へ左折しようとしているところ。





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 写真49・アーバンリゾートが見える
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 道がごくわずか右へ曲がると、正面にアーバンリゾートが見えてくる。








 写真50・さらに右へ
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 さらに右へカーブする。アーバンリゾートは左へ逃げていく。









 写真51・ラフォーレ琵琶湖
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 カーブを曲がりきると正面にラフォーレ琵琶湖が見えてくる。右側にクルマ1台がやっとの細い道(写真51A)が新川に向かって延びている。黒い森が残流堤防林
 左側はデルタの農地。ほとんどが畑(写真51B)である。奥に左岸の巨木とピエリの建物が見える。





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 写真52・三上山
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 思い出したように三上山が見える。このあたりまで来ると、道が微妙にカーブして、それがインプットされてないと方向感覚が狂ってしまう。今も右後ろに見えたが、何であんな所にと思う。左右の粍は新川の堤防林である。





 写真53・水田
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 突然水田が現れる。写真47で見た水田である。写真47で田圃の向こうに何本か電柱が見え、細くガードレールが見える。その道路上が今の場所である。GoogleMapによると、写真47の場所から、水田沿いに細い道がついている。実際に現場に立つと、確かにその道はある。しかし荒れていて歩くには楽ではない。その道がここへ続いてくる。
 同じ場所から、道路沿いを見る(写真53A)と田圃との間に水路がある。ほとんど水は流れていない。田圃へ水を供給しているのかと思ったが、そんなムードではない。農業用水路というより残流水路に見える。だとすると、この水田はやはり南流の河川敷だったのだろうか。もしそうだとすると極めて珍しいケースだ。水田の写真をもう1枚(写真53B)






 写真54・残流水路?
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 地図を見てもらうと分かるが、道が90度左へ曲がり、アーバンリゾートを正面に見る場所である。例の水路も道なりに曲がり、水田のふちを流れている。というより、水田と道路との間を埋めているというほうが正しいかも知れないが。




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 写真55・三上山
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 もう一度だらだら曲がりに右へ曲がって湖岸道路へ向かう。途中、木の間から三上山が見える。手前は草ぼうぼうの空き地、ラフォーレ琵琶湖の私有地だとの表示がある。







 写真56・湖岸道路沿い残流水路
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 湖岸道路沿いの残流水路である。右端、トラックが走っているところが湖岸道路。  近くにワゴン車が止まり、4,5人のメンバーがなにやら準備を始めた。魚釣りには興味がないので、しげしげとは見なかったが、その後の動きを見ると大学生だろうか、何か調査をしているらしい。右の水中の繁みのふちとトラックの手前にその姿が見える。以前、左岸を歩いたときにも同じようなことをしていた。もう1枚






 写真57・湖岸道路と出会う
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 そして、湖岸道路(クルマが走っている)である。意味は分からないが、流入を制限するように黄黒の円筒が置かれている。分かる人以外は入るなという雰囲気である。お陰で、今歩いてきた道はほとんど車は通らない。
 クルマの少し前に水門が見える。写真20写真26で見た水門である。





 写真58・湖岸道路から見た水門とアーバンリゾート
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 湖岸道路の歩道から水門とアーバンリゾート。「美崎公園パークセンター」との表示があるが、これは、次項・新川の部で触れる美崎公園の事務所のことである。







  写真59・秋の空
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 湖岸道路を琵琶湖側へ渡ると、早くもアキアカネが群れをなして飛んでいた。





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