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野洲川物語

南北両流跡探訪

南流跡・7A 
旧大川橋から河口までまで/左岸堤防跡


右 岸 へ六番橋秘聞

初稿UP:2012.08.25
写真・特記したもの以外2012年07月撮影
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1.旧大川橋付近   GoogleMap


 写真01・旧大川橋跡
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 かつての大川橋は、いまの大川橋跡道路より少し上流に架かっていた。クルマが一旦停止しているところが大川橋跡道路である。ということから、カメラの位置がおそらく大川橋左岸畔ということになろうか。





 写真02・土手善夫一尉頌徳碑
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 写真01で一旦停止しているクルマの後の林の中に建っている。碑文には「故一等陸尉正七位勲六等土手善夫君頌徳碑」とある。建設省近畿地方建設局琵琶湖工事事務所編『野洲川放水路』誌(昭和62年3月)によれば、「阿弥陀寺門前に建つ・・・」とある。阿弥陀寺というのはここより少し上流左岸外側に建つお寺である。こういう碑の類のものは動かないと思いこんでしまいがちだが往々にして動く。
  同誌によれば、昭和40年9月の豪雨で、守山市今浜新田の野洲川南流右岸が決壊。氾濫による孤立住民17世帯、99人の救助作業中、自衛隊員土手善夫一尉が殉職。それを悼んでの碑であるという。
  亡くなったご本人に哀悼の意を捧げる。それにとやかくいうことはない。自衛隊員だがら「一等陸尉」、これは仕方がないだろう。しかし勲位は仰々しすぎはしないか。亡くなった本人さんに聞くわけには行かないが・・・。権力者は往々にして、死んでからでも順位をつけたがる。




 写真03・残流水路旧大川橋下流
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 旧大川橋までは残流水路そのものはほとんど見えない。けれどもここへ来て、大川橋跡あたりからからその全貌が見えるようになる。たまたま水面からエンジン音が聞こえてきて、ボートがさかのぼってきた。といってもほとんど流れはないのだから、湖面を走るようなものだが、





 写真04・大川橋跡道路下暗渠出口
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 旧大川橋の下は暗渠でつながっている。これは下をくぐって下流側へ出ていくパイプを上から見たところである。
 残流水路をもう1枚








 写真05・右カーブ
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 右は旧南流河床林。ゆるく右に曲がっていく。








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 写真06・残流水路
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 ところどころ竹薮を通して茶色の水面が見える。地図を見ても分かるように、水路は道路から近い。簡単に見えそうだが、それがいざとなると簡単ではない。






 写真07・アーバンリゾート遠望
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 竹薮の切れ目があって、アーバンリゾートマンションが遠望できる。建物の手前、湖面のように見えるのは対岸のビニールハウスである。






 写真08・ラフォーレ琵琶湖遠望
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 今度はラフォーレ琵琶湖遠望。方向としては、ラフォーレ本館を真後ろからの見当になる光って分かりにくいがプラネタリウムの屋根が左に見える。





 写真09・旧六番橋跡
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 ここで旧六番橋を渡っていた。南流の支流・六番川を渡る橋である。左の竹薮が六番川の河床林、枝分かれした川は左へ向かって琵琶湖へ。六番橋はその川を跨いでいた。橋の方向はいま歩いている道に同じ。
 必読!・「六番橋秘聞」。いったん目次へ戻って、「9.六番橋秘聞」をどうぞ。





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 写真10・アーバンリゾート1番館
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 直線道路の向こうにアーバンリゾート1番館が見えてくる。右側は旧南流河床林。








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 写真11・ランドマーク巨木
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 直線道路の向こうに道路を塞ぐような巨木が見えてくる。ご覧のように、巨木のところで急に道が狭くなる。道路際のこういう木は往々にして道をふさぐ。切られる木もあれば残される木もある。道幅はすぐに回復するのかと思ったら、湖岸道路までそのままである。巨木の姿(写真11A)をもう1枚。






 写真12・ピエリが近づく
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 湖岸道路の向こにピエリノ建物が見えてくる。デザインなんかどうでもエエ。とにかく容積だけ確保して建てましたというところ。もうちょっとまともなデザインはなかったのかといいたくなる。とくに対岸湖西真野浜から見たときには泣きたくなる。




 写真13・残流水路越しアーバンリゾート
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 残流水路越しにアーバンリゾートを見る。水路奥左側は理屈の上では南流左岸堤防跡ということになるが、実際どんな状況だったのか。現況から判断することは難しい。
 マンションは湖岸から3棟、道路と直角に並んで建っており、写真で見ていちばん左が湖岸。右が道路ということになる。
 カメラを右へ振るとラフォーレ琵琶湖(写真13A)が見え、さらに右を見ると対岸の桜並木(写真13B)が見える。




 写真14・湖岸道路に出会う
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 白い軽ワゴンが走っているのが湖岸道路である。出たところは琵琶湖リゾートクラブの前だが、カメラの向きの関係で画面には写っていない。









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 写真15・残流水路
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 湖岸道路へ出る直前、右側に残流水路を見る。どこかの古城の堀のように見えるが、画面左外が湖岸道路である。水路の突き当たりに箱のようなものが見える。これは湖岸道路を右へカーブしていくトラックである。トラックの右に水門があって、水路はそこで琵琶湖側へつながる。





 写真16・湖岸道路へ出る
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 湖岸道路へ出る。画面では見えないが右側はすぐ残流水路である。左端に「琵琶湖リゾートクラブ」の看板。正面にアーバンリゾート。左から1番館、2番館、3番館。左の外側が琵琶湖である。





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 写真17・残流水路上流側
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 同じ場所から残流水路の上流側を見る。例のランドマーク・道をふさぐ巨木(写真11A)も見える。それの対岸、画面左岸に写真13Bの桜並木が見える。





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 写真18・アーバンリゾート前
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 アーバンリゾートマンションの前を通る湖岸道路。画面左の白いクルマは近江八幡方面へ、右の赤いクルマは琵琶湖大橋東詰へ向かっている。画面右外が残流水路。道路の左、マンションの奥がヒマワリやナノハナの撮影ポイント。








 写真19・残流水路とラフォーレ琵琶湖
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 アーバンリゾートの横あたりから見たラフォーレ琵琶湖。それはいいとして、残流水路に人が立っていてビックリした。ここはいままでに何度となく通っているが、水路内に人がいたのは初めて。人がいるなんてことは想像できなかったし、ましてやそこに立っていることが理解できなかった。遊ぶのならもっと他に場所はありそうだし、事情が読みとれなかった。湖岸近くを撮影して帰ってきたら誰もいなかった。その後大川橋跡へ帰ったら、同じメンバーだと思われる人たちが、やはり水路あとに入って同じようなことをしていた。前後をを総合してみると、どうも水質検査の水を採取していたのではないかと思われる。



 写真20・残流水路水門
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 アーバンリゾートを過ぎて道が右へ曲がり出す。ラフォーレ琵琶湖の前に出るまでに琵琶湖側に水門が建つ。水路の横から琵琶湖側を見たところを1枚。例によって水は茶色である。





 写真21・なぎさ公園
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 アーバンリゾート背後のなぎさ公園。ひまわりが満開だった。細かいことは分からないが、私の腰ぐらいの背丈で花だけが一人前の大輪。ヒマワリは朝日が上る方向を向いて咲くという。まさにその通りの向きだった。ヒマワリをもう1枚






 写真22・琵琶湖岸残流水路
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 湖岸道路より琵琶湖側で出て残流水路を見たところ。いわゆる内湖の形になっている。水は茶色、動いていない。何かの樋門らしいが、素人には意味は分からない。別の内湖をもう1枚。実際はつながっているのだろうけれど、上から見ているとそれが分からない。




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 写真23・琵琶湖岸
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 護岸堤から湖岸へ下りる。小さな波が繰り返す穏やかな湖岸である。突き当たりの木陰が、残流水路から琵琶湖への出口である。






 写真24・流出口
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 木の下になるので、光の影が複雑に交錯して写真としてはしんどいが、とにかく残流水路内の水が琵琶湖へ流出している。上澄みの水がゆっくり流れ出ている感じで、むちゃくちゃ濁っているというわけではない。いちばん狭いところは、若者なら飛び越えられるぐらいだが、子供・老人用に木を並べた橋が出来ている。同じ場所から琵琶湖をもう1枚。画面右外が流出口。



 写真25・残流水路から湖岸道路を見る
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 上と同じ場所から反対側、湖岸道路(トラックが走っている)を見たところ。ヨシキリの鳴き声が賑やかである。




  写真26・水門とラフォーレ琵琶湖
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 帰り湖岸像路沿いから水門とラフォーレ琵琶湖を見たところ。クルマが走っているところが湖岸道路





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