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野洲川物語

南北両流跡探訪

南流跡・6B 
旧今浜橋から旧大川橋まで/右岸外縁道路


左 岸 へ 地球市民の森へ

初稿UP:2012.07.29
写真・特記したもの以外2012年07月撮影
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4.今浜町付近


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 写真26・今浜橋跡T字路
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 今浜橋跡。左右方向、中学生が横断していく方向が今浜橋跡道路。樹下神社の方からやって来た右岸外縁道路が左へ半分曲がってきたところである。そこで下流に向かう外縁道路が右へ分岐していく。
 道路の左は地球の森、右側はしっかりした歩道がついている。



 写真27・石標
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 歩き出してすぐ「刃入工事」という石標が見えてくる。これの意味が分からない。向かって右側面に「明治二十三年八月一日起工仝年十二月・・・但川下へ八十五間巾二間深さ十三尺」とある。これから類推するに、何かの土木工事のようである。「川下へ85間」というから、約300m強、巾と深さがあるのだから、単純に考えれば溝か何かを掘削したということか。
 ちなみに、守山市誌・歴史年表、明治23年の項には小学校の編成替えのことなどがあるだけで、特別な記事はない。しかし前年22年の項には、「暴風雨により野洲川出水。今浜堤防110間…中略…が決壊し、被害は広範囲に及ぶ」とある。このときの決壊箇所の改修工事だと解釈すると時間的なつじつまは合う。

 写真27A・今浜の石堤
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 実は、GoogleMapで見ると、この碑のあたりから下流側へ300mあまり集落の外側に道があり、そのうち150mほどに渡って、旧堤防跡と考えられる面に石垣が積まれている。写真は上流側から下流側を見たところ。右が集落。石垣の外が旧南流左岸堤防跡と考えられる。「刃入工事」という言葉が理解できないが、この石垣工事に関するものかと思う。




 写真28・今浜橋親柱
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 「刃入工事」に悩まされながら、そのまま下流側へ進み、大川橋跡まで歩いて帰ってきたとき、日が傾いて刻字にきっちりした光が当たっていた。上の写真27はそのときのものである。
 写真を撮って、さーてきょうも終わりだ、と道の反対側を見ると、?、親柱じゃないか。実は旧今浜橋の親柱は、中野町側のものはその場所がすでに分かっていた。しかし今浜町側の存在が分からなかった。地球の森のどこかじゃないかとそれらしい場所を探しては見たが、見つからなかった。それが目の前にあったのである。キツネにつままれた思い。
 考えてみれば当たり前の場所だった。中野町側が左岸であり、その反対側の右岸に当たるところにきっちり揃えられていたのである。写真26の交差点から40mほどの場所だった。但しそのときは林の影になって写真になるような状況ではなかった。上の写真は翌朝、光がきっちり当たるタイミングに撮り直したものである。



 写真29・堤防跡空地
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 さて、「刃入工事」碑から50mほど行ったところで、集落の入口に当たる道路(写真29A)があり、藤棚のバス停や地蔵さんの祠がある。
 そこから下流へ向かって左の写真のような空き地が続く。写っている道路がこれから歩こうとする外縁道路。右端に見えているのが今浜の集落。この空き地が旧右岸堤防跡かと思われる。とすれば、外縁道路は集落の外を走る先ほどの石垣で区切られた道路(写真27A)だということになる。左の道路はむしろ堤防の内側を走っていることになる。

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 写真30・地蔵さん
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 空き地の中程、集落側に地蔵さんが祀られている。地蔵さんは集落側へ向き、拝む人は集落側から河川敷側へ向くことになる。その姿だけを見れば、誰かが思いつきで並べたように見えるが、石垣に恒常的な階段がついており、地区で大切に祀られていることが分かる。

 写真31・今浜公園
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 写真29で、小さくすべり台が見えていたところである。住宅の裏に見える盛り土は、先ほどの石堤の延長を思わすが、こちらは単なるブロック積である。何の意味もなさそうで、何故撤去されないのか不思議なところである。
 この画面右が公園になっていて、あずま屋があり、「堤防決壊記念碑」が建っている。

 写真32・森づくりセンター
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 今浜集落がとぎれたところ、道路の左側に”びわこ地球市民の森”の標識が架かっている。奥に「森づくりセンター」の建物が見える。



 写真33・グランドゴルフ場
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 森づくりセンターに隣接してグランドゴルフ場がある。このときは無人だったが、日によっては大勢の人で賑わう。
 画面奥の竹薮・森はかつての南流河床林である。






5.旧南流右岸堤防跡


 写真34・旧南流堤防跡へ上る
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 グランドゴルフ場の下流側が駐車場。それを過ぎると南流堤防跡へ上る。いよいよ峠越えというムードである。








 写真35・駐車場・三上山
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 堤防を3分の2ぐらい上ったところから振り返る。下に地球の森の駐車場が見え、その向こうに三上山が見える。画面中央奥が今浜集落。






 写真36・南流跡残流水路
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 堤防へ上りきったところから残流水路を見る。駐車場やグランドゴルフ場と、残流水路との間に延々とフェンスが見える。”現況保全エリア”と”つどいのゾーン”を分離するためだろうが、何となく分かったような分からないような。
 残流水路と保全エリアをもう1枚。

 写真37・旧堤防跡道路1
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 旧堤防跡道路を上流側から見たところ。遠くの山は比良山系。









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 写真38・旧堤防跡道路2
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 下り口に近いところから上流側を振り返ったところ。すその方はブロック積だが、今浜集落の何メートルかはこれが石垣として残っているのだろう。堤防から下りて田圃から見上げたところ(写真38A)を1枚。


 写真39・下り坂
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 これから下りにかかるところ。下で蛇行している道路は琵琶湖大橋取付道路・信号「水保町中野」に続く。いま下っていく道は左へ曲がって、この道とT字形にぶつかる。






 写真40・坂を下って
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 坂を下って左へターンしていくところ。中学生が2人。下るのは楽だが、上りは大変だったろう。
 堤防跡から下りてきたところ、カーブの外から(写真40A)もう1枚。
 写真34からここまでを、田圃の外側、真横から見たパノラマ写真(写真40B)でどうぞ。



6.南流横断道路


 写真41・南流横断道路
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 写真40Aで南流跡堤防から下ってきたクルマがT字路を左折して水保町中野に向かうところ。写っている住宅は琵琶湖大橋取付道路を軸に開発された新しい住宅地。この住宅地までの間、両側が旧南流跡。つぎの写真42,写真43はその様子である。写真40B・パノラマ写真の右の方にこの道路が通る切れ目が見える。

 写真42・南流横断道路(上流側)
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 写真14・旧南流河床林と同じ場所である。琵琶湖大橋取付道路・信号「水保町中野」から道路が左岸外縁道路とクロスして少しのところ。残流水路上流側を見たところである。かつての北流も南流も、このように樹木が生い茂りおよそ展望とは縁のない状態だった。ひょっとして、と思って堤防に上がっては見ても、結局はしっぽを巻いて逃げ帰りの繰り返しだった。

 写真43・南流横断道路(下流側)
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 上流側から下流側へ道路をくぐって水路はつながっている。赤く濁った水面を2羽のかもが泳いでいた。道路には歩道があり撮影には安全だが、水路側にフェンスがありカメラアングルに自由がきかない。下流側、カモが泳いでいく先をもう1枚。


7.旧大川橋跡へ


 写真44・道路工事中
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 ここから先は進入禁止の交差点である。道路はほとんどできあがっていて、このまま直進すると湖岸道路のラフォーレ琵琶湖の東側へ出る。信号もついていないし、交差点の名前も不明で説明しにくいが、要するに南流横断道路がここへつながってくる。現在の状態でいえば、右は長い直線農道を経て浜街道の立田に達し、左へ行くと美崎というところである。

 写真45・交差点左折残流水路沿いに
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 写真39の交差点を左折すると、この風景出会う。この道路をすんなり直進すると湖岸道路・ラフォーレ琵琶湖の西側当たりに出る。道路の左外は旧南流河床林である。





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 写真46・残流水路越に美崎グランド
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 残流水路越に美崎グランドを見る。左岸道路から見ると桜並木越しに見たものである。ただいまグランドゴルフ中。








 写真47・大川橋跡へ向かう
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 まっすぐ行けば湖岸道路へ向かうが、左折すると美崎自治会館の前を通って旧大川橋跡へ向かう。





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