野洲川物語■南北両流跡探訪南流跡・5 旧天神橋から旧今浜橋まで/地球市民の森
初稿UP:2012.07.14 写真・特記したもの以外2012年07月撮影 |
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びわこ市民地球の森は、旧野洲川南流のうち、国道477号(浜街道)から新川分岐までが約3.2Kmに及ぶ。今回のエリアは旧天神橋から旧今浜橋まで。500mあまりのごく短い距離である。 写真01・地球の森全図 滋賀県土木交通部都市計画課作成のリーフレット「びわこ地球市民の森」より 地球の森全図である。公園はいくつかのゾーンに分けられている。国道477号(浜街道)を起点として最初の部分が「出会いのゾーン」、次が「里の森ゾーン」。この2つでだいたい旧天神橋まで。天神橋から旧今浜橋までが「ふれあいゾーン」、以下「つどいのゾーン」、「ふるさとゾーン」と続く。今回対象とするのはまん中の「ふれあいゾーン」である。 写真02・ふれあいゾーン 「ふれあいゾーン」、嫌な言葉である。ゾーンが嫌なわけではない。「ふれあい」という言葉がうす気味悪い。いまの世の中この言葉がいとも簡単に使われているようで…。「心と心のふれあい」、「住民同士のふれあい」、「親子のふれあい」などなど。「ふれあい」という言葉を使ってさえおれば私は正義の味方ですという安易な意図が見え隠れする。 さてその「ふれあいゾーン」。延長500mほどの範囲だが、例の木の橋が3本ある。いまになって、「一の橋」だとか「二の橋」だとか、ややこしいことをやり出して後悔している。まさかこんなにたくさん橋があるとは思いもかけなかった。しかしやり出したものは仕方がない、ここは「十二の橋」までということでご辛抱を。 1.左岸堤防跡遊歩道を旧今浜橋跡へGoogleMap写真27・旧左岸堤防跡道路 別項「外縁道路」で歩いたのが旧堤防の外側にあったであろうと推定される道路。これから歩こうとするのが旧堤防跡の道路。要するにふれあいゾーンの遊歩道である。 写真28・左カーブ カーブの度合いによっては、その遠方の視界すらもきかなくなる。林に囲まれた状態で、自分がどこにいるのかも分からなくなる。 写真29・比良山が見える ある程度奥行きがあると比良山だけは見えてくる。比叡山から続いてきた尾根が、霊仙山から権現岳へ駈け上るところ。ちょっとの間、何も見えなかっただけに逆に印象に残るところである。 写真30・十二の橋 道が右へ大きく曲がり出すと、例の木の橋へ出てほっとする。あとで調べてみたら、「十二の橋」だった。十と十一はとばして来てしまったらしい。 写真31・十二の橋から上流側を見る 十二の橋から上流側を見たところ。すぐ近くに十一の橋が見える。その上に三上山が見えるのだが、松の木(明冨中の裏、左岸堤防跡に生えている)が邪魔をする。回りはヨシキリの鳴き声が忙しい。 写真32・十二の橋から下流側を見る 同じく下流側を見たところ。濁った水がたまりヨシが茂る。どちら側もイメージは同じである。木と木の間にクルマが見える。これが今浜橋跡道路。距離にして100mほどである。 写真33・三上山 橋からほんの少し離れると三上山が見える。メタセコイヤは明冨中学校の校庭に生える。 写真34・トカゲやヘビの住みかです 広場の結構目立つところに石が集められている。片隅に置くならともかく何でこんなところにと思っていたら、案内板に曰く「大きな石を積み上げた石山は、トカゲやヘビの住みかです」。野草広場の説明板。 写真35・公園内略図 写真30Aの大木の下に立つ公園案内図。今浜橋跡側から入ったところである。図中赤い字で「天神橋跡」、「十の橋」等の字は私が追加記入した。写真27「天神橋跡」の地点から図のクリーム色の道をたどって、「十二の橋」を経由して「現在地」まで来たところ。 2.左岸遊歩道を旧天神橋跡から今浜橋跡へGoogleMap写真36・左岸遊歩道入口 写真は天神橋跡道路から左岸遊歩道公園入口を見たところである。残流水路を右に見て遊歩道を進む。左右は樹木が茂って視界がきかない。 写真37・十の橋 旧左岸堤防上遊歩道から下ってきた道とクロスする。実は天神橋跡から十二の橋へ歩いたとき、2箇所で残流水路の方への道を分けた。そのうちの1本がいま出会った道で(橋につながっている道)、他の1本はこのあと十一の橋で出会う。対岸は右岸旧堤防である(写真37A)。写真37Aで対岸手前の小径は園内の遊歩道。巨木が茂るのが旧右岸堤防、県道323号が通る。 写真38・十の橋から上流を見る 写真37Aを撮るために十の橋上へ出た。すぐ目の下にカモが泳いでいた。まさに出会い頭。止まろうとして次の足に力が入った。瞬間3羽は一目散。左は負け惜しみの一枚である。手前の輪がカモのいたところ。 写真39・十一の橋へ 十一の橋へ向かって左岸を歩く。道は一見地道に見えるが、チップというのだろうか細かい木片が敷き詰められている。踏むと何となく弾力がある。栗東のトレセンの馬場がこれだった。この弾力を好む人もいるが、ボクは何となく歩きにくく感じる。 写真40・十一の橋から広場側を見る 十一の橋に着いて右岸側を見たところ。広場の向こうを県道(323号・赤いクルマが走っている。…右岸外縁道路…)が走り、その向こうに今浜の集落が見える。 写真41・十一の橋から上流を見る 十一の橋に立って上流側を見たところ。写真31・十二の橋から見た上流側とよく似た風景である。目の前の状況は違いは当たり前として、遠景では松の木が大きくなり、レンズが短くなった分三上山が小さくなっている。 写真42・入口の巨木 十一の橋を渡って広場へ出る。そこから入口の巨木を見たところ。走っているクルマは県道323号、私流にいえば右岸外縁道路から今浜橋跡へカーブしていくところ。同じ場所から十一の橋を振り返える(写真42A)。 3.右岸遊歩道を旧天神橋跡から今浜橋跡へもう一度、天神橋とへ戻って、今度は右岸を歩く。 GoogleMap写真43・天神橋跡道路から下流側を見る 天神橋跡道路から残流水路下流側を見たところ。拡大してみると、左上に十の橋が見え、右上にあずま屋が見える。何度も書いたが、実際の水の色は、残流水路独特の濁った茶色である。 天神橋跡道路から公園内遊歩道入口を見たもの。左岸同様左右の展望はきかないが、遠くに比良山が望める。 写真45・天神橋跡道路を振り返る 100mほど進むと写真43で見えていたあずま屋に至る。ちょっとした展望台になっていて残流水路の上流側が望める。手前の柵は橋に見えるが展望台の柵である。写っている木は左岸堤防跡の2組4本の木。その下、白く水平な線が天神橋跡道路のガードレール。 写真46・十の橋に出会う 十の橋に出会う。あずま屋から50mほどである。十の橋全景。 写真47・板敷き さらに少し進むと、地面が板敷きになっている。昔の日本家屋で畳を板に換えて、板の間と呼んだ記憶はあるが、地面の板敷きは初めて。地面が軟弱だとか、何か意味があるのだろうが、見る限りにおいては単に地面を板敷きにしただけのように見える。素人にはその必然性が分からない。 上の写真47の左上に見えている手押しポンプ。何とも懐かしい。ガチャコンとやってみたがスコンスコン。作るのはいいが、難しいんだなー、管理が。結局、最初の業者だけが儲かって。こういうものは格好だけでは駄目。実際に作動してなんぼ。残念。 写真49・稲妻橋 左が湿地帯になっていて、W字・稲妻型の木橋がかかっている。 写真50・木橋から右岸堤防を見る 木橋の上から右岸堤防跡を見たところ。松の木(十一の橋から小さく見えていた)が生えているのが堤防跡。勾配を上るトラックが小さく見える。 写真51・板敷き、再び W橋を渡りきると再び板敷きゾーンがある。駐車場の近くである。 写真52・今浜橋跡近く 板敷きを越えて進むと、入口の巨木が見えてくる。電柱の下、クルマが走っているところが今浜橋跡道路。 |
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