野洲川物語■南北両流跡探訪北流跡・2 竹生から旧乙窪橋跡までA
初稿UP:2011.10.03 |
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1.旧北流右岸・長澤神社付近 GoogleMap写真01・フウ並木通りの切通し・1 2011(平成23)年8月撮影 竹生口交差点から旧堤防跡へ上り、竹生集落への進入路を左へ分けると、道はゆるい下りになる。
この道(進入路分岐から川田大橋まで)は、竹生集落内道路のバイパスで、放水路工事に伴って建設された。フウの並木が印象的なところである。 写真02長澤神社の藤 2011(平成23)年8月撮影 切通しの上に生えている藤の幹である。なるほど県内最大というほどのことはある。周囲はちょっとした山の雰囲気である。それにしてもここにこんな藤の木があるなんてことは初めて知った。花が咲いていたのだろうか。ついぞ見たことはなかったが。つぎの花の時期に注意して見る以外に確かめようはない。 写真03・道路越しの長澤神社 2011(平成23)年8月撮影 藤の木の場所から、長澤神社本殿を見たところ。すぐよこを通る県道が真下に見える。棟を真横から見る形になり、この写真だけでは高さが比較できないが、肉眼で見た場合、ほぼ同じ高さ、ないしは屋根が低く見えるといったところ。 写真04・県道を挟んで見る藤の木の森 2011(平成23)年8月撮影 道路を渡って藤の木の森を見たところ。ここからでも数mの高さであることが分かる。走っている車は旧堤防上の最高点から川田大橋に向かって、だらだ坂を下ってくるところ画面左端、道路のいちばん奥あたりが堤防の最高点である。それを考えると一見盛り土に見える藤の木の森は、旧堤防がわずかに残った形に見えてくる。 写真05・長澤神社の前から見上げる藤の木の森 2011(平成23)年8月撮影 長澤神社は県道を下った所にある。その前から藤の木の森を見上げる。植え込みの向こう、車が走っているのが県道。旧堤防の高さを実感する。 長澤神社秘聞 地図01・国土地理院1/50000地形図(平成6年9月1日発行) AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA 左は県道開通前の状態、右は開通後である。長澤神社の位置が微妙に違うが、これは右が正しい。前述したように県道のすぐ下にある。 写真06・県道のフウ並木 2004(平成16)年4月撮影 長澤神社横の県道からフウの並木を通して見た三上山である。この並木、晩秋のころ真っ赤に色づく様は圧巻である。しかし、こと三上山に関しては、葉をつけた時期はどうにもならない。 2.旧北流右岸・長澤神社から北流右岸線交差まで GoogleMap写真07・県道と旧北流跡との分かれ・1 2011(平成23)年8月撮影 長澤神社横、県道の歩道から旧北流跡との分かれを見たところ。正面の「止まれ」標識を右折して、坂を下ったところが長澤神社の正面である。 上の写真の「止まれ」標識のところである。県道は左へ分かれていく(並木の間から車が見える)。このあたりは県道を含めた緑の部分が旧堤防だったのだろう。 写真09・県道と旧北流跡との分かれ・2 2011(平成23)年8月撮影 右岸旧堤防のいちばん外側を進む。比江水源地タンクが近づいてくる。一見左半分に見えている並木が県道のフウ並木に見えるが、これは後述する旧北流右岸線に沿って生えているものである。フウ並木はぐっと左へ曲がってしまっている。 写真10・県道と旧北流跡との分かれ・2 2011(平成23)年8月撮影 F1レースじゃあるまいし、何でこんなところで急カーブ?と不審に思って近づくと、2,3m下に別の道があって、そこから新たな道が何事もなかったように続いている。写真では手前のガードレールが邪魔をするが、その向こうに伸びている道が見える。これが旧堤防外端線だと考えられる。 ヘアピンバックして、一段低くなった元の道を進む。写真10で電柱が立っているあたりから見た北流右岸道路ぞいの並木である。自動車が2台止まっている所の、左奥がグランド兼遊園地になっている。 3.南北分岐原点 GoogleMap旧北流右岸および南流左岸は、それそれ分岐前の野洲川右岸、左岸をそのまま延長した形で切れ目なく続いていく。しかし、北流左岸および南流右岸は、琵琶湖に向いた「V」の字の形だから、どこかに分岐点がなければならない。一般的にはそれが竹生上流のあたりだといわれるが、ここだと特定できるものがないのだろうか。ということで古い地図を見直してみた。結果いちばん端的なのは、前出のつぎのコンビだった。 (左)写真05・野洲市市三宅上空から見た南北両流分岐点付近。撮影:昭和54年4月・建設省近畿地方建設局琵琶湖工事事務所編「野洲川放水路」より(右)同エリアの地形図・国土地理院1/25000地形図「野洲」昭和53年2月28日発行他
地図をみると分岐点あたりに102という数字が見える。左はその部分である。天気図の前線のような片流れの堤防が「V」字形にあって、その分岐点に「・102」とある。標石がない標高点だという。なーんや標石がないのか。これはポイントになると張り切ったのに。
地図の上でこんなもの見つけても実際の場所がはっきりしないのでは意味がない。さあどうする。 左がその部分である。場所はいまの放水路右岸堤防上である。これなら場所が明らかになれば行ける。とにかく、この標高点の緯度・経度を調べることだ。電子地図はその点簡単だった。地図をつまんで標高点の「・」を地図中心の「+」マークに重ねればよい。そして調べた「緯度・経度」をハンディGPSにほりこむ。 写真12・南北分岐推定原点1、標石がない標高点 2011(平成23)年9月撮影 国土地理院も難儀なものを作ったものだ。当の標石のない現場である。標石があれば、草を分けて探し出すことも出来る。しかしそれがないという。そんな透明人間のような標高点ではどうしようもない。 写真13・南北分岐原点2、下流を向いてみたところ。 2011(平成23)年9月撮影 標石のない標高点の所から、下流を向いたところである。道は放水路右岸。遠くに小さく川田大橋。右後ろに竹生富士。かつてこのあたりで、野洲川は南北両流に分かれていた。GoogleMapを子細に見ると、少し上流(地図では下の方)にそれらしい場所が見えるが、差はごくわずか、要するに国土地理院の「標石のない標高点」を基準にすればこのあたりだということである。 カメラの位置は現在の放水路左岸堤防。すぐ左うしろが川田大橋である。画面右端に見える竹薮が南流左岸堤防跡(南流編で詳述する)。対岸三上山の左裾にいわゆる竹生富士が見える(緑色をした小山。12月の撮影で、河川敷、堤防、すべて茶色だが、なぜか竹生富士だけは緑色)。その緑の小山が上で述べた「標石のない標高点」の場所。南北に分かれたうちの南流はほぼいまの放水路と同じ流路を流れ下る。一方、北流は竹生富士の向こうを回って、画面左へ出ていくというイメージである。竹生富士をもう1枚。2010年2月撮影。2011年現在の竹生富士。2011年9月撮影。 4.左岸竹生集落付近 GoogleMap写真15・竹生集落のはずれから南北分岐点あたりを見る1。 2011(平成23)年9月撮影 さて、竹生集落側へ回って、そこから南北分岐点を見たところである。大規模な住宅地造成中である。おそらく過去の風景は一切消え去るのであろう。写っているのは竹生集落とかつての分岐点との間。実際には鬱蒼と茂った森だったはず。
この画面左外を北流が画面の奥から手前は流れていたと考えられる。右奥が現在の放水路。 多分この道路が北流左岸のだったと推定される。右は造成中の将来の住宅地だが、要するに竹生集落のはずれで、造成開始までは木が生い茂っていたはずである。 写真17・上の場所から下流を向いてみたところ。 2011(平成23)年9月撮影 180度回れ右をしたから、左右が反転した。右が北流跡。左の森が集落と分岐点を隔てる原生林。竹生集落は右岸堤防とほぼ同じ高さにあったから、ここにははっきりとした堤防跡はない。それでも野洲川本流の流れを受ける分岐点近くには、地図で見ると川に向かって片流れの堤防を造って、浸食を防いでいたようである。 旧竹生橋跡から北流跡と竹生集落を見たところ。細い道は北流の左岸跡あたり。手前の草地は北流跡である。集落は右岸の最高点とほぼ同じ高さにあり、私の記憶では北流はこれより3,4m下を流れていた。左奥のお寺の本堂は照永寺。お寺や神社の建物は、撮影場所の同定に役立つ。 左に竹生集落、右に北流跡を見て坦々と進む。徐々に左にカーブしながら、集落のはずれに至る。ここから再び森が始まる。この日は天気がよくて、コントラストも強く、森が極度に暗く写っているが、イメージとしてはこの暗さがどんぴしゃり、そんな感じがする暗い森である。右に見える並木が県道のフウ並木。遠くの山は比良山系である。 県道と北流右岸線とのT字交差点前に滋賀県理容美容学園がある。ここはその校舎の横へ出てきたところ。車が走っているのが県道。車は川田大橋から交差点を過ぎ、竹生交差点は向かうところ。地図ではこのまま県道を斜めに横切って直進するようになっているが、竹が生えているだけで道はない。ただし電柱が立っている。道のないところに電柱は立たないので、こういう場合はくさい。疑ってかかる必要がある。 写真22・県道を越える。 2011(平成23)年9月撮影 案の定藪の影に道があった。ただし段差があって直進は出来ない。交差点側から大回りして、逆行する形でないとこの道へは入れない。何のためにこんな道が残っているのか意味不明。しかし、北流跡を探索するには貴重な道である。 |
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