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付録:分水嶺総集編

南周りG・浅野川流域/和田川流域/五反田川流域

初稿UP:2022.02.25

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地図S07.浅野川・和田川・五反田川流域分水嶺地図
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玉瀧越え(写真・下)
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 上の地図S06、内保越えの少し手前で分水嶺は浅野川源流域に入っている。そしてこの地図S07の左上隅につながってくる。そこにある”野川南交差点”、ギリシャ文字の”Φ”の字をイメージするような交差点である。県道134号と同じく775号とが交わるこの交差点。この位置が浅野川の特殊な事情を示している。この交差点から三重県境へ向かう県道775号の”玉瀧越え”(写真左)までの直線距離が730m。県境近きを思わすが、そばを流れる浅野川は源流域のイメージではない
  このあと、この浅野川が次の和田川との分水嶺に達するには、このあとさらに直線距離で3.3Kmも遡らなければならないのである。すなわち、この地図を見て分かるように、野川南交差点を越えてから、浅野川は隣の和田川流域との境まで、県境(いま辿っている分水嶺)と並行に流れていることになる。同じようなことは、例えば次の地図S08で、油日岳の南側から流れ出す倉部川は三重・滋賀県境と並行に流れ下る例が挙げられる。この県境の一つの特徴といえそうである。



写真拡大 馬場出越え(写真・右)

 そんなことから、分水嶺の稜線の標高が低いことから、何本かの峠がこの稜線を越えている。その中でクルマが通れる道があと2本。”馬場出越え”の新と旧道の2本である。面白いことに旧道(と思われる細い道)は最短距離で両県を結び、新たに造られた(と思われる)道は分水嶺付近で旧道とクロスする(左右に横断する旧道。右が三重県側)。旧道の峠道。一見、、トンネルに見えるがそうではない。分水嶺の尾根に生える木々が道に覆いかぶさっている。新道と分水嶺は斜めにクロスしている。これは三重県側から滋賀県側を見たところ(写真右)。逆に三重県側を見たところ。どちらから見ても、何の変哲もない自動車道である。



51号越え(写真・下/滋賀県側から三重県側を見る)
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 県道51号、JR草津線の油日駅の裏手から、和田川沿いに遡ってくる道である。和田川は、県境と並行して流れる浅野川の源流部に対し、それを塞ぐように流れ出る。地図の上では源流部からさらに県境と並行に遡っているように表現されているが、私が行ったときには、どう探してもその流れははっきりしなかった。で、肝心の51号越えは、標高241mと低い丘陵を越えるだけだが、不思議なことに県境を越えてから県境沿いにカーブしながら標高を上げていく。地図で読む最高点は259m(電波塔のそばへ登り切ったところ)。難しい区間である。
  もう1枚。県境の滋賀県側を見たところ。



名無し越え(写真なし)

 51号越えから直線距離で1Km足らずのところにある県境越えである。標高253m、しっかりした道で県境を越えていることは間違いはないが、確か農道云々という標識が上がっていたが、他の県境に見るような標識は見つからなかった。



余野越え(写真・下)

 ”名無し越え”を越えて、五反田川の流域に入る。分水嶺としての範囲は短いが、その狭いところを、たった1本というべきか2本というべきか。県道4号とJR草津線が重なって県境をまたいでいる。
  左にシオノギ製薬の敷地を見て直線コースを行く。行く手に緩い左カーブが見えてくる。そのカーブの始まったところが県境である。峠という雰囲気はない。
写真拡大   シオノギのネットが切れたところに「従是南三重縣管轄」の石標が立っている(写真・左)。側面には「伊賀國阿山郡東柘植村」、裏には「明治三十二年七月・・」とある。カーナビ付きのクルマで走っておれば「三重県に入りました」とコールするはず。車内のものは何の感動もなく、ああそうかと聞き流すはず。話に夢中ならそのコールがあったことすら意識しないだろう。それほど無意識に過ぎる県境である。三重県側から滋賀県側を見たところ。三重県側に目を戻すと、さらにゆるーいカーブが続く。黄葉した木の向こう側が余野公園(三重県)の入り口である。



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