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付録:分水嶺総集編

南周りD・荒川流域2・/荒川流域(杣川へ)/城川流域/滝川流域

初稿UP:2022.02.25

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地図S04.荒川(野洲川へ)・荒川(杣川へ)・城川流域・滝川流域分水嶺地図
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アセボ越え
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    「アセボ峠」、私がつけた名称ではない。国土地理院のWeb地図にも記載されている。県道56号が通る、れっきとした道路の峠である。飯道山に登るのに、この道を経由して信楽へ入り、ゴルフ場の横から登ることにしていた。左の写真は下の三雲経由で、荒川東流沿いに上りだして、湖南市側から甲賀市信楽町へ抜けるところ。光がもう一つで、帰りにもう一度狙ったが、よく似たものだった。


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  アセボ峠を信楽側へ越えてちょっと下ったところに、右側に林道への分岐がある。大納言の電波塔への保安道路である。いま辿っている分水嶺の向きとは逆向きになるが、とりあえず歩いてみよう。のんびり歩いていったら、道の真ん中でシカが草を食っていた。電波塔を下の平野から見上げると、稜線に立っているように見え、そこに立てば野洲川流域が一望だと夢を描いたが、道は電波塔の信楽側へ行きついた。野洲川一望のポジションへは立入禁止、涙をのんだ。右はそこから電波塔を見上げたところ。電波塔の落ち着いた姿は途中木の間から見たのが唯一のものだった。


飯道山難関区間

 シカに出合ったり、電波塔を見上げたり、気楽な取材だったが、アセボ峠を越えたところで、飯道山の難関区間に入る。まず613mの三角点のあるところに赤三角()を付した。分水嶺の対象が変わるという意味である。私が勝手つけているマークで、Web地図公認のマークではない。で、いまの場合、阿星山の方から進んできた荒川流域(横田橋下流で野洲川へ合流)がここで終わりになるということである。


荒川橋
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 じゃ、その次はということになるが、ここでとんでもない失敗を犯していることに気がついた。つぎの流域を読んでみると、取材した記憶がない。源流域は甲賀CCゴルフ場の中、烏ヶ嶽の南東側を通って杣川に架かる新宇川橋のすぐ下流側へ流れ出ている。はて、このあたり、杣川の堤防はずっと歩いたはずだが、さてそんな川があったかな。調べてみるとこまかい記憶は飛んでいたが、その流入する川の橋(堤防上を行く道の橋)と新宇川橋が互いに直角につながって、その川が荒川(杣川へ合流)だということは記録していた。写真左(手前、堤防に架かる橋が荒川橋。クルマが走っているのが新宇川橋)。JR草津線の下を流れる荒川。しかし、取材はここまで。その時点で、その川が飯道山頂上直下まで伸びているとは全く考えてもいなかった。まさに不覚の一語。



  分かれる市境

 杣川に合流する荒川の源流域は”市境別れ”まで。実はこの南回りの分水嶺は、”東坂越え”前後の一部を除いて、ずっと湖南市・栗東市、湖南市・甲賀市信楽町の市境をたどってきた。すなわち市境がイコール分水嶺だった。その市境(=分水嶺)が飯道山のすぐ真北の地点まで来て、向きを北東に転じ、飯道山の斜面を下りだす。そしてこともあろうに中腹まで下ったところで荒川(杣川に注ぐ)の源流をまたぐ。関係エリア地図。このことは、市境としては許されるが、分水嶺としてはあってはならないことである。方向を北東に転じ、斜面を下りだしてからの線は、市境そのものであって、分水嶺としては成り立たたない線だったことになる。これが市境別れの意味である。”市境別れ”を過ぎた分水嶺は飯道山の頂上を越えて、さらに南西に向かって下っていく。 写真拡大

  ”市境別れ”から飯道山山頂を越えて、次の対称流域の境・553m三角点までは城川源流域である。この川は、水口町三本柳の街並みのそばを経て、杣川へ合流するのだが、これもきっちり取材できていなかった。残念の一語に尽きる。
  右の地図は、飯道山頂上から南へ向かう分水嶺の鳥瞰図である。右の方から、城川源流域伸びあがってきている。分水嶺は滝川と隼人川の間を南下し小野谷越えに達する。



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