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地図M2M.鳥居・灯籠周辺地図 Mゾーン付近 写真065.鈴鹿峠へ さて、前方にトンネルが見えてきて山中川源流・鈴鹿峠への入り口である。普通、一般道から支道への入り口は左へ分かれていくのだが、ここは右車線から右へ分かれていく。事前に予備知識を持っていなければ慌てるところである。その入り口の分岐のところに、「右 万人講0.2Km」という標識がひっくり返っていた。 写真066.鈴鹿峠トンネル 上と同じ場所からトンネルを見たところ。進入路を入れなかったのは大失敗。分かれのところに立つ立札「万人講0.2Km」と、登り口に立つ「万人講常夜灯0.1Km」の標識でお遊び。こんなことどっちでもいいのだけど、0.1Kmと0.2Km。管轄が違うのだろう。ちょっと登ると、トンネルの出口(三重県側)が見える。
写真067.支線分岐を見下ろす 公園への支線入口を振り返って見下ろしたところ。右下2車線の道路が国道の上り線。四日市、名古屋方面へ。その部分を拡大する。画面奥から登って来て、右へ分岐した公園内支線。ぐぐぐと急勾配を上ってきたところ。 写真068.万人講常夜灯 ちょっと離れた高みに、巨大な石灯籠が見える。入口の案内にあった「万人講常夜灯」である。地図で見ると国道の上を越える旧東海道沿いに立っていることになる。 写真069.国道下り線 写真067から少し上がったところ。下り線を走るトラックが見える。地形から見て、トンネルを抜けた直後のようである。赤い箱が見える。消防機具庫だったらしい。この画面左外に、常夜灯という計算になる。 地図M3M.鈴鹿峠周辺地図 Nゾーン付近 写真070.山中川 公園内道路の右側を階段状に流れ下ってくる山中川。専門用語では何というのかわからないが、コンクリートでがっしり固められた溝が、10m、20mおきぐらいに段差工が続く。勘定しようかと思ったが、1,2,3、・・と数えていけば、上まで行ってまた戻ってこなければならない。1基づつ写真を撮っていけば、その枚数をカウントすれば数は記録されるからとやってみたが、結局途中で訳が分からなくなってしまった。いまデータは11枚ま残っているが、途中で訳が分からなくなった数字である。それならばと、Googleの航空写真ではと数えてみたが、8段までは読めたが・・・。 写真071.落差工累々 写真072.落差工累々 とにかくこういうのが累々と続く。最初のうちは1基につき1回、きっちり撮れていたが、道が右にカーブしかかったところで怪しくなった。水路にヨシが伸びてきて、こまかい様子が見えにくくなった。ああ間違えた。”−1”やななどと考えているうちに訳が分からなくなって、やーめた。 写真073.右カーブ 右カーブである。何故かわからないが、カーブにかかると水路のヨシの背が高くなった。底がほとんど見えない。水路は外へ寄る。それはわかるのだが、その上へヨシが倒れていたりするとカウント不能になる。アホなことをやったものだ。もう1回バックしてカウントしなおす気力はなかった。きっちり勘定できてもどうなるものでもなし。 写真074.峠の茶畑 上の写真073の右カーブが曲がり切ったところで、旧東海道とT字路をなすようにぶつかる。”T”の字の、上の横棒が旧東海道、縦棒が山中川沿いに上ってきた公園内道路である。旧東海道に架かる山中川の橋の上から、上ってきた道路を振り返ってみたところである。道路の右側に茶畑が見える。普通、峠の鞍部というと、山に挟まれたせまい空間を思い起こすが、ここにはそのイメージはない。後で見るように、その気になれば、野球場でもサッカー場でもでも、楽々並べて置けるぐらいの広さはある。 ■鈴鹿峠Google Map この地図はいま述べた三叉路を中心としている。Tの字は時計文字盤の7時を上にしている。写真075.源流へ 旧東海道の橋の上から(といっても欄干も何もないコンクリートの1枚橋だが)、山中川の上流を見たところである。左上の例の道標は、”左、東海自然歩道。右、鈴鹿峠路傍休憩地”とある。その向こうには、道が続いているように見えるが、クルマが2,3台置ける空き地で、その奥は森でふさがれている。国土地理院のWeb地図では、ここから400m弱、河川の線は示されている。そこはもう高畑山山頂のすぐ下の斜面である。 Oゾーン付近 写真076.鈴鹿峠へ 地図によると、「鈴鹿峠」は上のT字路から直線道路を南へ120mの地点だという。標高は380m。写真の突き当りの森の入り口がその点である。道は直線で、かつ水平。それを軸として、畑の地形は右に高く、左に低い。両側茶畑である。 写真077.サクラ咲く「登山者の方へという掲示板」があって、その後ろに桜が咲いていた。”山の気象は確かめましたか。装備は万全ですか・・・”。掲示板だけだったら、この写真は撮らなかった。 写真078.旧東海道鈴鹿峠道標群 写真079.三子山・四方草山 全部で何本立っていたのか。勘定もしていないが、その列は見事だった。上の4葉の写真に登場する道標は、いわゆる旧東海道の森へ入る手前右側に並んで立っている。しかしこの写真079で示した三子山、四方草山への道標だけは、その群れから離れて森への入り口左側に立っていた。どちらも今度の取材で遠景ながら親しく眺めた山(トラックの上が三子山T峰、その左いちばん高いピークが四方草山)だった。地図を調べると、この森の手前の空間を進むと、自然に稜線につながって行くようだった。 写真080.森の中の道 森の中へ続く道である。この道を進むと坂下宿へ至る。この写真はここへ着いたときに撮っておいたものだったが、道標を撮っていてふと気がつくと、リュックを担いだ女性が2人歩いてくるところだった。これは!…と思ったが、真正面からカメラを向けるわけにもいかず涙をのんだ。 写真081.山帰り「コンニチワ・・・」と声をかけて通り過ぎていった。帰りのクルマの中でヨッちゃんがいわく。「あの、女性2人組、峠へ車置いといて、何とか山へ登って来はったらしいわ」。もうちゃんとインタビューしていたらしい。三子山だったら左から帰って来るはずだが・・・。鈴鹿の山は分からない。 写真X01.阿須波道 2016年1月、国道1号”頓宮”の近く。大日川の取材をしていて、「阿須波道」という道標に出くわした。近くに地蔵さんがあったり、”花の木七堂 伽藍廃寺跡”という碑があったりして、不思議な雰囲気のところだったが、阿須波道については何の説明もなし。事情が分からないまま、とにかくカメラに収めて帰った。当たるも八卦で検索してみると、何の苦労もなしにすっと出てきた。 阿須波道が開通した当時は、”八町二十七曲り”と呼ばれたという。当然だろう。いまの国道 1 号でも27はないにしても、特に三重県側はカーブの連続である。そのイメージでこの直線道路を見ると、何とも違和感を感じる。そして、「ここが鈴鹿峠」という場所の道標群を見ると、「現物合わせやな」とニヤッと笑いたくなるのである。 地図A:明治25年測量。ただ1本の道が、峠を越えているだけある。地形もおそらく自然のままであったであろう。鈴鹿峠、坂ノ下、いずれも横書きは右書きである。”三子山”は”三児山”となっている。 地図M3M.鈴鹿峠周辺地図 Pゾーン付近 写真082.路傍休憩地 茶畑の直線道路を引き返してきたところである。山中川を越えたころから舗装道路になる。東海道自然歩道の”鈴鹿峠路傍休憩地”に当たるところである。右側、枯草の奥に「万人講常夜灯」の先端部が見える。
写真083.万人講常夜灯 上の常夜灯解説文は、現地柵そばに立てられた立札によるものである。不思議なことが一つある。-----もともとは東海道沿いに立っていたが、鈴鹿トンネルの工事のために現在の位置に移設された。-----との下りである。トンネル工事というのだから、この山の中の東海道沿いという意味であろう。その”東海道沿い”から現在の位置へというのだから、現在の位置は東海道沿いでないことになる。それがおかしい。 Qゾーン付近 写真084.国道を見下ろす 常夜灯から下流側へ歩いて、国道を見下ろしたところである。左二車線が下り線。京都・大阪へ。右、木の向こうが上り線、四日市、名古屋。右、まだ咲いていない桜の下を流れ下る山中川。上でレポートした段差を下ってきところである。このあと下り線をくぐって左側へ出る。 写真085.鈴鹿峠直下 写真は山際を流れ下ってくる山中川を峠の方を向いて撮ったものである。写真が分かりにくいが川の左が国道1号の下り(草津・大津方面へ)。右側は山だが、川沿いに峠から下ってくる車1台の細い道がある。対向車が来たら・・・・ということだが、道は下りの一方通行。ということで、鳥居と灯籠のところでクルマで走りだしたが最後、鈴鹿峠へ向かわなければ、あとはどうしようもないという難儀なところである。 写真086.一方通行出口 一方通行の出口である。常夜灯の前から一方通行の道を川沿いに下ってきて、右へ曲がって国道へ出るところ。上の写真はこの橋の上から右方を見たところである。左上の標識は、国道を下ってきて、この橋を手前に向かっての一方通行に見えるがそうではない。橋は手前から奥に向かっての一方通行。そこから国道へ出るに際して、左折しかできないということである。橋の出口と、奥の電柱についている矢印が正しい。 |
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