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SZ040 山中流域

SZ040C. 山中川を遡るC

取材:2020.12/2021 .03
初稿UP:2022.02.22


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Jゾーン付近
写真049.一本松緑地
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  山際道(私が勝手につけた名前。正式名称不明)を走って ゾーンの”一本松緑地”へ出る。国道の向こうの十楽寺の屋根がきれいに光っていた。”一本松緑地”という名称は地図には載っていない。最初は単なる広っぱだと思っていたが、撮ってきた写真に偶然その名称が刻まれていた。といって、分かってもらえるかどうか。白く光った灯籠の左に石が2つ重なっている。その後ろ側の石に刻まれている。



地図001F.山中川中流部地図

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写真050.一本松橋
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  上からの続き。碑の一本松の「一」の字がもう1本下に隠れていて、もともと二本松ではないかと思われるが、背後に見える橋が「一本松橋」で、二本松でないことが確認された。それがなければ悩まなければならないところだった。




  写真051.一本松橋下流側
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  一本松橋から下流側を見たところ。川岸にサクラが並んでいる。今年(2011年)のサクラは早く、3月下旬のこのとき、すでに咲いている木があった。このあたりはもう少しで咲き初めというところ。川は国道へ向かって斜めに寄っていく。
  奥の方、右側にネットが見える。例のイノシシ除けに見えるが、これはそうではない。グランド様の広場があってそれを囲むフェンスである。川はそのフェンス沿いに珍しく直線状に流れ下る。




写真052.一本松
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  その一本松橋から上流側を見ると、ひときわ目立つ松が1本。たぶんこれが一本松だろうと勝手に決めた。三子山の1つがバックに見える。まさに「三つ子」の名の通りで、1つだけを見せられて「何番目の山か」と問われても判断はつきかねる。橋は、山際道から下ってきたところで右側(国道側)に向かって下りになっている。
  前へ出て、カメラを下げると流れが見えてくる。奥が上流側である。一本松の下に一本橋が見える。

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写真053.一本橋から下流側

  一本松の下、一本橋側へ回って下流側を見たところ。影になってわかりにくいが、一本松橋が左側(国道側)に向かって下がって見える。



Kゾーン付近
写真054.地下道をくぐって
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  一本橋へ回って分かったのだが、そこがもう1本の地下道の出入り口だった。一本橋は地下道をくぐってきて、対岸の畑への連絡橋だったわけ(右手前が上流側)。
  左の写真は、その地下道を通って国道の南西側へ出たところ。青いトラックは峠を下ってきたところ。その上に三子山のT峰(北峰)が見える。写真052で一本松と重なって見えていたのは、多分この山だろう。


地図001M.三子山・四方草山稜線地図

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  写真054について、続き。右が三子山T峰、その左の稜線も、滋賀・三重の県境、分水嶺に当たる稜線らしい。しかし自分の足で歩いていないからもう一つ地理不安内。Webに助けを借りた。いくつか覗いた中で「四方草山・三子山、鈴鹿峠からの周回コース」が分かりやすく明確だった。トップページは『五目釣りと山旅日記』、釣りの方は分からないが、1997年から2020年に及ぶ山登りのページが圧巻だった。
  そういうことで、右の地図の三子山から安樂越えまでの情報は、そのWeb内の地図を参考にさせていただいた。右のトラックの上の三子山T峰から、だらだら上りで四方草山南峰に達し、鞍部をまたいでこの写真の中での最高点・四方草山(しおそやま667m)に達する。

 ”相場振山のこと”・・・・なお、この尾根で面白いことを発見した。「安樂越」のすぐ南に”相場振山”という名の山がある。大阪での相場の変化をいち早く地方へ伝達するために中継点であるが、三上山のすぐ北にもこの相場振山がある。鈴鹿のこの山は何と呼ばれているのか知らないが、三上山の近くの山は、「相場振山」と書いて、”ハタフリ山”と呼ばれている。太郎坊山の近くにもあり、そこへ登ると野洲のハタフリ山が、きっちり見通せた。名神の栗東IC近くの安養寺山も旗振山だと聞いた。たしかにそこからも野洲のハタフリ山がきっちり見える。太郎坊の次はどこへ行くのか知らないが、この鈴鹿の相場振山へ直接行くのかもしれない。

 ”大峠のこと”・・・・それともう一つ。今度は峠の話。”相場振山”から南東向きに稜線をたどると「大峠」という名の峠が示されている。これは知らん顔できない。さいわい滋賀県側にも、三重県側にも道は表示されていない。しかし、恐らくここに峠があったことは事実。道のない峠はないわけで、何らかの道はあるのだろう。そういう峠を訪ねることが、このレポートの出発点だった。残念ながらもうそこを尋ねることはもう不可能だ。2012年に始めたときに、この鈴鹿の稜線を最初に歩いておくべきだったと悔やんでいる。




写真055.十楽寺門前
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  地下道から少し下ると、先ほど一本松緑地の前に見えていた十楽寺の門前へ出る。写真では逆光になっていて見にくいが、アップして”清浄山十楽寺”とある。本尊は日本最大級の丈六阿弥陀仏如来坐像だとか。赤いノボリがひらめいて、賑やかなことである。


  写真056.門前から本堂を
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  門前から本堂を見たところ。










写真057.一本松緑地へ戻る
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  一本松緑地へ戻る。十楽寺の屋根の反射が印象的だった。新名神高架橋の下からだどってきた山際道(私が勝手につけた名前。正式名称は分からない)はここで終わり。あとは国道をたどる。








Lゾーン付近

  国道を走っていて山中川は見えない。川は国道の北東側(鈴鹿峠に向かって左側)を流れている。山中交差点近くで、南西側から支流が流れこむが、よほど注意して見ていないと分からない。山中交差点で笹路からやって来た県道187号と出会う。次の三葉はその187号から見た山中川である。


写真058.深い陰の中
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  山中三差路を左折後、笹路の方へ100mあまり進んだところで、山中川が道路の下を暗渠で抜けている。道路を走っている限りでは、その下を川が流れているとは感じられない。右下にガードレールの一部がチラッと見える。川は手前が上流。段丘状の地形に沿ってクランク状に流れ下る。







写真059.竹藪沿い
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  上の写真で道路の下を抜けた川が30mほど流れ下った後、右へ折れる。その折れた流れを正面から見ているところ。右側は竹藪である。上の枯れた土地に比べて川の面は暗い。その中を細く流れる水面が光る。


  写真060.広く見る
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  上の写真の撮影位置からほんの少し下がってカメラを上へ向けた。杉の木の奥の民家の屋根は山中交差点から下手の国道沿い。その屋根の上に見える平坦な稜線が山中城址あたりか。

地図M2M.鳥居・灯籠周辺地図

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写真061.062. 灯籠と背が低い鳥居
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  上の写真、山中三叉路から500m弱のところ、左手の山ぎわに立っている背の低い鳥居と灯籠がセットである。特にその鳥居。国道から一段低いレベルに立っているため、走っているクルマからその寸足らずなスタイルが目立つ。ウチのヨッちゃんなどは、”ワ〜低い鳥居、どうしたんやろ、この鳥居”と感激して手もたたかんばかり。1回目だけではなしに、何回通っても大騒ぎをする。何か曰くがあるのではないかと、あれこれと詮索してみたが、特にどうのこうのということでもないらしい。近くに説明板もない。不思議なコンビである。

  さてこの場所、あと車で行けばすーっと鈴鹿まで行ってしまう。しかし、山中川はこの鳥居から下流側へ50m弱の地点で、国道をくぐって、西側へ出る。先ほど十楽寺の少し下流で、北東側(鈴鹿に向かって見れば左側)へ出たあと、ずっとその形で並走して来たものが、鳥居の手前で、右側へ移動した。鳥居を撮った後そちらへ回ってと予定していたのだが、ついうっかり先を急いでしまった。不覚だった。残念ながらそこのところの写真がない。
 鈴鹿峠へクルマで行く場合は、四日市方面へのレーンから入り、出る場合は草津方面へのレーンへと指定されている。国道はご存じのように片側2車線だから、年寄りが簡単に横断は無理だ。そんなことで、一度撮影を失念してしまうとどうしようもなくなる。難儀なところだった。



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