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SZ03.笹路川流域

SZ03B. 笹路川(そそろがわ)を遡る・B

取材:2021.03
初稿UP:2022.02.27


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地図02.笹路川付近地図(国土地理院Web Mapに加筆)
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  三子山までをカバーしたかったので、上の地図01に比べて縮小率が大きくなっている。
  笹路川は鈴鹿山脈の西斜面の水を集めて流れ下る。その流域は想像以上に広い。支流の本数、左の地図で読むだけでも3本といえばいいのか、4本といえばいいのか。そしてそのそれぞれが細かい支流を持っている。そしてなによりもおもしろいのが、山女原・笹路の2つの集落の間で半径約450mの円周上を細かく蛇行しながら5分の4周すること。その形は、ギリシャ文字の[Ω]を上下逆にしたような。ほかの川ではちょっと考えられない不思議さである。



Fゾーン付近
写真023.笹路 T 字路
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  笹路T字路へ戻って来た。突き当りを左右に横切るのが県道187号。左へ取ると三子神社入り口を経て不明橋に至る。ここまでを往復してきたわけ。陰になってちょっと見にくいが突き当りに地蔵さんの祠が建っている。
  カメラのすぐ後方が笹山橋である。






写真024.笹山橋上流側
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  笹山橋から上流側を見たところ。三子神社の明治100年橋が見える。もともとシルエットであるところへ左半分がバックの竹藪に沈んでいて見えにくいが、反り橋の印象は強い。手前にある大きな屋根が光っている建物、神社側から見たとき、グレーの目立つ建物だった。現場で名称を見たのだが、帰って地図を見れば分かると簡単に流してしまった。地図には名称なし。失敗。





写真025.笹山橋下流側
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  笹山橋から下流側を見たところ。写真10.橋が見える”の逆の視角である。奥に水平に見える高架橋が新名神。右が名古屋方面。すぐにトンネルに入る。農地にはすべてネットが張り巡らされている。







写真026.笹山橋を渡って

  笹山橋を渡って、山女原へ通じる道が上っていく。橋は笹山橋。”写真10.橋が見える”の橋である。道は橋を渡ったところからすぐに上りになり、くっくっと曲がったところで山影に消える。道は登りだして400m足らずで標高350mばかりの小さな峠を越える。不思議なことにこの峠が逆Ω形に流れる笹路川の円形の中心の位置をなしている。几帳面な幾何学的な地形である。峠は片峠で越えてからはほぼ水平に経由する。

                         地図02A.笹路・山女原付近地図



Gゾーン付近
写真027.三子山
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  右の地図の”小さな峠”(私が勝手につけた名称)は切通しになっており、そこを越えてさらに300mほど直線道路を進むと左へ曲がりだす(地図上のG点)。そのあたりから右前方に特徴のあるピークが見えてくる。三子山である。田んぼの向こう、左右に横切るのが笹山橋から半周遡ってきた笹路川である。
  笹路集落内に”三子神社”があるのを知ったとき、その周辺のどこかからこの三子山が見えるのではと期待したが、現実にはそれは全く見えなかった。
  三子山、笹路の集落から南南東に位置する山である。上の地図02にあるように、鈴鹿峠のすぐ東、鈴鹿山脈稜線上に高さも形もよく似た三つの可愛いピークがほぼ等間隔に並ぶ印象的な山である。F点から見た場合、斜めから見ることになり、当然のことながら手前のピークがいちばん大きく見える。




写真027A.三子山(南土山あいの丘文化公園から)
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  南土山の”あいの丘文化公園”(地図・マピオン地図)から見た三子山である。何も知らない人が見ても、一目で”三子山”という名が浮かんでくる。1000mを越えるピークが並ぶ鈴鹿山脈の中で、500m台半ばのこれらの峰はいかにも低い。しかし、その印象は強い。一目見たら心に残る。ただし、その印象はこのように3つのピークを横並びに見るときである。それは地図002に示すように、T峰とV峰を直線で結び、その中点から垂線を引いた時、その線上から見たときに限る。たまたま南土山の”あいの文化公園”はこの条件を満足させる位置にあったのだろう。




写真027B.三子山(京都市左京区花脊杉の峠付近から)
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  1990年代後半、『近江富士遊々』のため、遠くから三上山が見える場所を探していた。そのときの副産物である。琵琶湖大橋を西向きに渡っていて、前方真正面の稜線にアンテナ塔が建っている見えた。琵琶湖大橋の延長線上だから話は簡単だった。京都市花脊峠から伸びる林道の杉峠の近くにそれはあった(地図 ・アンテナ1)。そこからの三上山のバックに、三子山が写っていた。ちなみに、三上山背後のクジラを思わす稜線が十二坊。その右奥が三子山、その右、一段低いところが鈴鹿峠である。左の写真は2009年5月15日撮影。これが「近江富士遊々」収録の写真(1998.11.10撮影)。いちばん左の第1峰が雲に隠れかかっている。鈴鹿峠から右上がりに上って最初のピークが高畑山




写真027B.三子山(京都市左京区花脊杉の峠付近から・2)
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  2021年4月。このページを編集していて、上と同じ花絵峠の少し西に、別のアンテナマーク(アンテナ2)があるのに気がついた。杉の峠近くのアンテナ1に気づいたときにはなかったはずである。そのときすでにこのアンテナ2があったとしたら、私の目は節穴だったことになる。経緯はともかく、いまここにアンテナががあることは事実である。ここからも見えるはずだ、とりあえずカシミールで作図させてみた。距離が遠い分の効果はてきめんだった。アンテナ1の場所からでは、真下に見える琵琶湖は、望遠に切り替えると視界から消えた。しかしここ(アンテナ2)からでは望遠でも十分琵琶湖をカバーしている。そして、ここから三上山が見えるということは、当然三子山も見えるということである。ここから三子山までの距離59.6Km。



Hゾーン付近
写真028.川?
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  G点からH点へ回り込んできたところで、走ってきた方向を見返しているところである。
  左に黒い杉林があって、その手前に小さな竹ヤブが見える。その部分だけにガードレールがついている。橋とは言えないが、その下をなんとなく川が抜けているような雰囲気がある。右側はどうかと見ると、ネットが張ってあって、その手前に地蔵さんが祀られている。そこには川が流れている雰囲気はない。
  もう一度左側を確かめる。農道が下っていく。橋と見えるガードレールの手前に、道しるべが立っている。何でこんなところに道標なのか。ピンと来ない場所である。




写真029.道標
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  何でこんなところに?。近づいてみる。ところどころで見る”東海自然歩道”の道標である。?、これは裏だぞ・・・。自然歩道独特の太い丸太の向こう側に指導標が張りつけられている。太い柱に縦に書き込まれている”東海自然歩道”の文字もこちら側からは見えない。明らかに裏だ。下を通る細い道を意識して建てられている。下へ回ってみる、と、やっぱりこちらが表だ。と、いうことは、この下を行く細い道が東海自然歩道ということだ。左へ行くと鈴鹿峠。3.8Kmという。家へ帰って地図を調べたら、途中笹路川を経由して、三子山の西への尾根へ出る道が、”東海自然歩道”とあって、距離も間違いなく3.8Kmだった。
  分からないのが、上の道を横断する方向に笹路2.1Kmという指示。どう考えても道を横断する向きにその道は見当たらなかった。




写真030.下を行く道
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  下を行く道。東海自然歩道である。下り切ったところで、杉林の陰に橋が見える。やっぱり川があったのだ。地図を見ると、上流から流れてきた川が、左から流れ込み、橋の下をくぐったところで上の道にぶつかり左へ曲がっていく。川の上に木が生い茂り、流れは橋から真下を見下ろす向きにしか見えなかった。下から上に向いて見えるコンクリートの構造物、橋の一部かと思われるか、別の視点は探すこと能わず。これ以上どうにもならなかった。




写真031.橋から奥
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  橋から奥を見たところ。このまま進むとF点の下流まで笹路川に沿って下り、4分の1週ほどで支流沿いに遡り、三子山の西方の尾根へ出る。東海自然歩道は開設当時脚光を浴びたが、いまは色あせ見る影もない。
  東海自然歩道は、三重県側から登って来て安楽峠へ出てくる。そのあと林道を下り、山女原の集落を抜けて、いまの道標のところでこの道へ出てくる。鈴鹿峠までは上で書いた通り。結局、三子山の稜線を迂回したことになる。三つ子山は歩いたことがないので、どっちがどうなのか判らないが。




写真032.一般道にもどる
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  自然歩道の道標でだいぶ時間をくった。一般道へ戻る。すぐ川を渡る。大平橋である。


  写真033.下流側
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  大平橋下流側である。地図を見るとこのあたりで、左手から支流が1本合流してくるはずだが、木が繁ってその気配すら感じられない。
  細いU字溝の水道橋がクロスしているが、これはあくまで人工的なもの。支流の合流ではない。しかし、支流も本流も実に複雑に蛇行している。呆れるぐらいである。



写真034.上流側
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  大平橋上流側である。このあたり、どこの橋から見ても、目の前のほんの少しの範囲しか流れは見えない。たとえば地図を見るとこの流れは、右手の方から道路のカーブに沿って流れ下ってくるはずだけど、こうして見た範囲では、そんな気配はさらさらない。ずっと遠くからまっすぐ流れ下ってきたように見える。






  写真035.山女原集落
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  大平橋を渡って三叉路を見たところ。正面に山女原集落(あけびはら・・)が見える。右手をまっすぐ登っていくのが、集落内の道路。左は外周道路、いわゆるバイパスである。標識にも、”亀山市・安楽越”の文字が出てきた。更に進んで奥の三叉路、地蔵さんの横に道しるべがあって同じく”安楽越え2.0Km”とある。いよいよ近づいたとの感。




Iゾーン付近
写真036.上林神社
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  山女原集落をバイパスでトラバースしたところに神社があった。上林神社である。地図で見ると道路からかなり奥のあるように見えるが、この鳥居などは道路に面していて、ああ神社があるとすぐにわかる。
 道路から見て、鳥居の左奥にウメかサクラかわからなかったが、白い花が満開だった。撮影日は3月17日だったが、今年は全国的に桜の開花が記録破りの早さで、平地ではボチボチというタイミングだった。鈴鹿中腹のここではなんぼなんでもとは思ったが。




写真037.安原?
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  鳥居の左の一角に句碑やら灯籠やら石造建造物が並んでいた。その中の一つ、ひょろひょろとした縦長の石柱。読みにくかったが何とか読めた。「車馬不浄物入ル可ラズ 安原」。本文は下馬・葷酒山門・・・と同じ意味だろう。それはいいとして、その下である。私は、うっかりそれを「安原」と呼んでしまった。何だろうこの「安原」というのは?。大分考えて、よく見ると?これはウ冠ではないぞ。なるほど、山かんむりに女。山女原の1文字目と2文字目をくっつけて1つの字にしたのだ。面白い手だけど、ホンマにこんな字があるのだろうか。




写真038.境内を行く
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  実はこの上林神社、地図を見て境内を笹路川が流れているのが分かっていた。それもどこかで分岐しているのである。ちらっとでも見ておきたい。ということで境内へ。大きな桜の木があったが、これは咲いていなかった。
 すぐそこに橋があった。橋の名前は宮前橋。神社の前の橋は宮前橋と相場が決まっている。こんなことを言ったら罰が当たるが。




写真039.宮前橋上流側
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  宮前橋から、上流側(神社に向かって右側)を見下ろしたところ。これは、あとで見ていくが、先ほどの神社の鳥居のすぐ上流の真倉橋をくぐって来た流れらしい。


  写真040.下流側
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  この写真は失敗した。左側に見える岸のコケが馬鹿に光っていた。何とか手を使って外さなければならなかったところ、えーい面倒くさいで行ってしまった。森の向こうにちらっと見える民家の屋根瓦は気にいっているのだが。地図によると、川はこの森の向こうで神社の奥から北流れと合流しているらしい。



写真041.見下ろす
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  橋を渡ると急勾配の階段が立ちふさがっていた。何mぐらいだったか、手すりを頼りに登り終えて見下ろしたところである。TVの刑事もので階段を転がり落ちるシーンが出てくるが、ここでぼーっと立っていて、後ろから蹴とばされたら、2,3回石段でバウンドして、地面へたたきつけられてアウトだろう。下から石段を撮っておけばよかった。いくら探しても見つからない。
  宮前橋の左が上流。下流側の対岸のコケが光っている。上流側は写っていないけれど、表の鳥居の横から流れ込んで来て、写真の外で左へ急カーブして(一番下ススキの向こうで川がほぼ直角に曲がっている。上の寺はあとで見る地福寺)ここへ流れこんでくる。




写真042.上林神社本殿
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  石段を上がった真正面に見える本殿。いかにも山里の神社らしい雰囲気である。


  写真043.祭神
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  祭神は”素戔嗚尊”、小学生時代によく聞いた神様だが…どこかにもあったぞ。白川神社だったか、向こうは”速須佐之男命”だったが。






写真044.山の神
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  境内とは1区画離れたところに”山の神”が祀られていた。山裾の集落にこのような素朴な神さんが祀られている。野洲川源流や、日野川源流あたりでよく見た。








写真045.地福寺
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  下から道が上ってきて、奥のほうに鐘楼が見える。地図で見ると地福寺らしい。下の川沿いから随分上に見えた。何や、ここまでクルマで上ってこれたのか。




    写真046.真倉橋    写真047.真倉橋上流側
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上林神社のすぐ上流側にある橋である。

 階段状に流れ下ってくる。



写真048.上流へ
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  真倉橋を渡って上流へ向かう。このときは意識していなかったが、道の行く先正面のシュロと重なっているピークが、このあと”三差路ゲート”から見る正面右側のピークである。






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