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SZ03.笹路川流域

SZ03C. 安樂越え

取材:2021.03
初稿UP:2022.02.27


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J ゾーン付近
写真049.アレッ!通れる?
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  アレッ!通れる?。地図の”三叉路ゲート”のところである。道が小文字の”y”の字状に分かれている。左へ行く道はネットで閉鎖されているが、これはいまのところ関係はない。直進すると”安楽越”だが、ストリートビューで見たときには、半分だけ通行できるようになっており、”石水渓三重県側工事中通行止め”の表示が立っていた。要するにバイクと歩行者は通れるが。クルマはダメという規制である。
  野洲川水系から鈴鹿山脈を越えて三重県へ抜ける峠、大きな峠が3つある。北から武平峠、安楽越、それに鈴鹿峠。このうち武平峠は北周りの最後の締めくくりとしてすでにアップ済みである。最後に予定している鈴鹿峠は、古い話だが、3,40年前に一度行ったことがある。国道1号からクルマで上れる。今回は、このあと山中川の項でまとめる予定をしている。
  問題は安楽越である。この峠は何としてでも登らなければならない。ここへ来るまでは規制中だと考えていたから、ここへ車を置いて歩く心算をしていた。うちのヨッチャンが、”テレビのニュースでいつか鈴鹿でクマが出たといってたけど”と心配顔。うん、出ないという保証はない。しかし、仮に出たとしても、ここの峠まで行かんことには、いまやってることのケリがつかんのや、・・・・規制が解けていたことで、うっかりすると”風雲急を告げる”ことにもなりかねない、このややこしい話がいっぺんに解決した。


地図03A.安楽峠・安楽川地図

写真拡大 写真050.安楽越え
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  三差路に立っていた”安楽越”の案内である。もちろん鈴鹿峠を越える東海道がメイン、その隣といえばいいのか、この”安楽越”がサブ、いわゆる間道である。
  ということはお伊勢参りの庶民も通ったわけで、ごろんとした石に、”右いせみち”の素朴な石標も見える。”いせ”の部分に、立札のかげがかかって見にくいが、”いせ”と書いてあると先入観を持ってにらんでみると確かにその字が浮き上がってくる。素人が練習用に彫ったような石標だけれど、この調子の標識がよく見られる。
  安樂越えの立札に戻るが、「鈴鹿路は塞がりて・・・松永貞徳・・」とある。どこかで見たような・・。そのときは思いだせなかったが、帰って撮ってきた写真を見直していて、ああこれだったんだ。上林神社の前の句碑だった。現場では”車馬不浄物入ル可ラズ”の縦長の碑に引かれて、句碑は初めからこれはわからんと敬遠していた。いま、立札を参考にして読み直してみると、何とか読める。句碑解読
  句碑の左に「伊勢両宮奉燈」の灯籠があるが、これも往時は街道のどこかて建てられていたものを、この神社の前に移したものであろう。


さてここで、どちらが本流?
地図04.笹路川源流付近地図(国土地理院Web Mapに加筆)
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  さていま、”三差路ゲート”に立っている。そこから笹路川は見えない。しかし、地図によれば、その東南東110mほどのところの [合流点1] で、2つの流れが合流している。1つは、三差路から東北東へ向かう道に沿う流れ[ア](道は、現在ネットで閉鎖中の)。もう1本はこれから尋ねようとする安楽越えぞいの道に沿う流れ[イ]との2本である。道路と川の流れとが相似をなしているのが面白い。さてこのア・イのどちらが本流かということである。
  流れの長さ、流域面積を問えば、間違いなく [ ア] が長く、かつ広い。しかしそれに沿う道の重要性を問えば、立場が逆転する。東海道の間道であった安樂越えを越した人々は、峠の近くに至って、その源流の姿を見たはずである。そういう意味で、私としては安楽峠付近を源流とする [ イ] を本流としたい。
  [合流点1] を過ぎれば、これは有無を言わせず笹路川本流になるのだから、 [ ウ] 以下は間違いなく支流になるはず。



地図03.安樂越え付近地図(国土地理院Web Mapに加筆)
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  「安樂越え」、日本中の峠で、こんな有難い名称はほかにはないのではないか。この名称は、三重県側へ越えた川の名称「安楽川」にちなむとか。じゃ、安楽川は?と問えば、安楽峠にちなむとなり、けりがつかなくなる。何かもっと基本的な理由はないのかと探したが、鈴鹿山脈の峠の中では比較的標高が低い云々。しかしこれにしても、峠の標高494mは、「安楽」と呼ばれるほどのものでもない。たとえば本家の旧東海道鈴鹿峠は380mと、安楽峠より110mも低い。(標高値はすべて国土地理院Web地図の右クリックによる)。
  Wikipediaによれば鈴鹿峠の標高は357mとある。これを使えば、その差はさらに大きくなる。この357mという標高は、私の推測だが、国道1号上り線のトンネルの標高ではないか。そんなことで安楽峠は鈴鹿峠よりはるかに高い。そんな、安楽に歩ける峠ではなかったはずだ。

安楽騒動

  ということで、”近江輿地志略”を探していたら、山女原村の項に「安楽越」として、”山女原村より伊勢國安樂村へ出る路なり。土山より國堺へ二里、國堺より桑名へ十二里。”・・・とある。ナニ?、”安楽川”だけだと思っていたら、何と”安樂村”があったという。安楽川は峠の向こう側へ流れる川、”石水溪”につながる川がそれだが、安樂村があったとは。ということは、いまもどこかに”安楽XX”という地名が残っているのではないか。”安樂市”は聞いたことがないから”安楽町”か”安楽村”か。
写真拡大   安楽川は安楽越えの三重県側を源流として途中石水溪を経由しながら流れ下り、国道1号・25号重複区間の安楽大橋をくぐったところで、旧東海道・庄野宿の少し西で鈴鹿川に合流する。
  輿地志略には”伊勢國安樂村”とあって、感覚的にはエライ遠くにあると考えがちだが、少なくともこの川の流域にあったはずだ。ということでとりあえず手始めに、”伊勢國安樂村”で検索してみた。と、”伊勢国何とかデータベース”というのが出てきた。これならすぐ出てくるだろうと開けてみたが、ものすごいスケールのもので、とても素人の手におえるものではなかった。素人は素人なみに原始的にやるしかないと、国土地理院のWab地図で原始的に”安楽川”を下ることにした。と、ものの1分もしないうちに「安楽」の地名が出てきた。上の地図で、画面中央にピンクに色付けしたところである。”安楽”の文字は、地図本来のもの。ピンクの印は私がつけた。安楽川が近くで大きく”田村川なみ”に蛇行していた。これがまたとない目印になった。で、一見、ハナシは解決したように見えたが、実際はこのあとの方が面倒だった。
  Google Mapを開いていまの場所を確認してみた。安樂川が蛇行している場所を探せばいいのだから話は早かった。しかし、問題はここからである。”安楽”という地名が出てこない、が、そこに”安楽公民館”というバルーンが上がっている。これやなと、クリックした。細かいことは忘れたが、”亀山市安坂山町”というアドレスが出てきた。それをキ−にして検索すると、そのエリアが示される。例の安樂越えもそのエリアに含まれていた。ところがどこにも”安楽”という地名が出てこない。
  話は変わるが、私が住まいしている野洲市の県道2号に、「江部」という信号がある。しかもその近くに「江部自治会館」というバルーンが上がっている。それをクリックしても”野洲市永原XX”というアドレスがでてくるだけ。どうも「江部」というのは、旧い”字名”らしい。地元の人どうしならこれで通じる。そういう不思議な地名がある。それが天下の公器、交差点の信号の名称に使われているのがまた妙な話であるが。この”安楽”もその類ではないか。で、”亀山市安坂山町安楽”で検索してみた。反応なし。亀山市の公民館で検索してみたが、リストアップされたその中に”安楽公民館”は含まれていなかった。
  きりがないのでこれでやめるが、最後にもう一つ。最終確認のつもりで、例の「安楽公民館」のところを開いてみた。きのう確かにあったバルーンが消えていた。こんな不思議なことある?。安樂川はある。安楽寺もある。国土地理院のWeb地図に”安楽”の地名が載っている。しかし安楽XXという地名はない。現場へ行って地元の人にきいたら「ここが安楽や・・・」との返事が出てきそうである。



K ゾーン付近
写真049C.安楽越えへの道
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  前項で使った安楽越えへの道である。いわゆる三差路ゲートの右側の道である。ストリートビューでの情報では”三重県側石水渓付近の道路工事により通行禁止”となっていたが、私が訪ねたときは規制は解除されていた。この写真ではわからないが、前方の森に入るまでの直線道路は緩い上り道で、水平距離144mに対して標高差5m、100m当たり3.5mほどの登りである。ここから登って県境の稜線を越えるところが安楽峠であるが、ここから見えるのか見えないのか。

地図03A.安楽峠・安楽川地図

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  ここから見て近くに見える2つの山、右の大きな山、谷を1つ挟んで左に見える小さな山、道はその谷筋を山間へ入って行く。写真で見ると、これら2つの山はそれぞれ独立したピークに見えるが、地図で見ると谷を挟んで並行に走る尾根らしい。地図ではそれらを右尾根、左尾根とした。それらの尾根をたどると、左尾根は左へ、右尾根は右へカーブして県境の稜線に至っている。
  上の写真の2つの山が、左右の尾根の末端だということはまず間違いはなさそうだが、突き当りを塞いでいる山が、鈴鹿の稜線(滋賀・三重県境)なのかどうなのか。とりあえずカシミールでそこのところを作図してみた。写真とほぼ同じような絵が出てくるのだが、問題点も同じ、突き当りを塞いでいる尾根が、県境の稜線なのかどうかということ。これだけではどうにも判断できない。両者比較




写真049E.安樂越えを上空から
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  三差路から鈴鹿の稜線までの直線距離は1.1Kmほどである。その距離にある山腹に樹木が生えていたとして、それがどの程度に見えるのか。残念ながらその判断力はない。いろいろ悩んで、カシミールでの上空からの視点に行きついた。左の写真049Eは三差路上空400mの空間の一点から、安楽峠周辺を見下ろした作画である。安楽峠は三叉路からの谷筋から見て、若干右へずれているから、直接視界には入ってこないが、例の突き当りの山は、この作画でいえば、赤い矢印P2の少し右の点に当たるようである。どうやら写真049Cの突き当りの山は、鈴鹿の稜線であったといえそうである。そしてその少し右が安楽峠である。



L ゾーン付近
写真051.森の入り口
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  三差路から緩い勾配を上って山の裾に達したところである。左前方から川といえないぐらいの川が流れてくる。先ほどの三差路で林道から分かれて、左への道をとる。少し行けばダムにぶつかる。そのダムから流れてくる川である。前項の地図04で流れ [ ア] で示した川ある。林道は川をまたぐのだが、見たところ橋はない。暗渠でくぐっているのだろうか。確かめるにもその場所に余裕はない。
  地図を見れば、いまの場所から見て右後方で、安楽峠の方から林道沿いに下って来た流れと合流するのだが、いくら目を凝らしても合流点は見えない。



写真052.森へ

  K点で小さな川をまたいでさらに奥へ進む。道は最近整備されたらしく、落ち着いた雰囲気である。ただし、道幅はクルマ1台。まあ、大概の林道はこんなものだ。









  写真053.さらに進む
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  道は広くなったり、狭くなったり。もっとも、”広く”といっても対向車が来ればさてどうしようと思案しなければならないところだが。結局、今回、峠までの往復で出合ったのは、峠に留置された1台と、下りの途中で出合った散歩中らしい外国人男性1人だけだった。






M ゾーン付近
写真054.どれぐらい進んだか
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  両側を山に挟まれ前後の視界も利かない。どれぐらい進んだのか見当もつかない。道路も荒れてくるし、左側の草にも何となく水が流れたような跡が見える。雨によっては川があふれることもあるのだろうか。







  写真055.安樂越橋
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  道はさらに荒れ、安樂越橋にでる。この写真は帰りに撮影したもの。橋の上流側にクルマを止め、ズボラをしてその場所から撮った。当り前のことだが、往路は対岸からこちら側へ渡っている。道から見れば川は右後ろから来て橋を潜って左側へ出ていることになる。 地図で見れば、三叉路からここまでずっと、川は道の右側を流れていたことになるが、ここまで川の姿は一切見えなかった。




写真056.上流側 写真057.源流 写真058.源流
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 写真056.橋の上から見た上流側である。渓流としての流れのイメージ。視線が水平に近く、水面が光り流れは見えやすい。
 写真057.写真058.水たまりのように見える源流部である。道路から見下ろす形になり。水の表面に波もないため、水面の反射は見えない。水面下の砂や石の濡れたイメージで、水の存在を察知するだけである。




写真059.峠間近に
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  地図で読めば、安楽越橋は峠からの直線距離410mの場所だった。川の流れは徐々に小さくなり、立ちはだかる太い木が、流れを断ち切るイメージである。この写真が流れの最後だが、上の隅から光が差しこんでくる。峠からの光だろう。これ以前に、渓流の途中では見えなかった光である。





M ゾーン付近
写真060.安樂越
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  先着車が1台あり、それでなくとも狭い峠の自由が利かず。いろんな道しるべが好きなように立っているが、一般的な県境に見る標識は立っていなかった。”クマらしい動物を目撃したの情報が・・・”、「ホラ、やっぱり、いつか忘れたけど、テレビで見た。こんな山道、1人で歩いていて、出合い頭にぶつかったら、どないすんの」。ヨッちゃんがまたひとくさり。
  ”三子山T峰・175分”、電車の時刻表みたいな案内である。これで仮に片道200分かかったら、延着証明が出るのやろか。片道の時間だと思うが、3時間。往復で1日仕事。そんなにかかるのか、帰って地図を調べてみたら、片道3.2Kmほどという。いずれにしても、このトシで行けるはずもないから心配する必要もないけれど、1Km強で1時間か。きついなー。



写真061.三重県側
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  安楽峠の向こう側である。三重県四日市市。崩れ落ちた花崗岩質の砂礫が路肩に盛り上がっている。


  写真062.滋賀県側
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  2018年8月から12月までの入院で、予定が大きく狂った。それと低下した脚力。入院するまでは、山女原からこの安樂越えまでの往復3Km,これが大きな壁になるとは思っても見ないことだった。しかし、ここが未完のままでは形がつかない。少々時間がかかっても、とにかくきょうは歩く。そんな思いで出かけてきたのだった。
  それが思いもよらぬ規制解除でクルマで上る。「歩く」と心に決めてきたところが、クルマで上れる。何とも中途半端な思いだった。車で登れるようになったとしても、歩いて登ってはいけないということではない。歩いて登ってもいいのだが、そこはそれ人間の弱さ「歩く」との決心はどこかへ飛んでいた。
  写真は、クルマで上った”安樂越え”からの下り道である。「ああ、安楽安楽」。




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