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J ゾーン付近 写真049.アレッ!通れる? アレッ!通れる?。地図の”三叉路ゲート”のところである。道が小文字の”y”の字状に分かれている。左へ行く道はネットで閉鎖されているが、これはいまのところ関係はない。直進すると”安楽越”だが、ストリートビューで見たときには、半分だけ通行できるようになっており、”石水渓三重県側工事中通行止め”の表示が立っていた。要するにバイクと歩行者は通れるが。クルマはダメという規制である。 地図03A.安楽峠・安楽川地図写真050.安楽越え 三差路に立っていた”安楽越”の案内である。もちろん鈴鹿峠を越える東海道がメイン、その隣といえばいいのか、この”安楽越”がサブ、いわゆる間道である。 さていま、”三差路ゲート”に立っている。そこから笹路川は見えない。しかし、地図によれば、その東南東110mほどのところの [合流点1] で、2つの流れが合流している。1つは、三差路から東北東へ向かう道に沿う流れ[ア](道は、現在ネットで閉鎖中の)。もう1本はこれから尋ねようとする安楽越えぞいの道に沿う流れ[イ]との2本である。道路と川の流れとが相似をなしているのが面白い。さてこのア・イのどちらが本流かということである。 地図03.安樂越え付近地図(国土地理院Web Mapに加筆) 「安樂越え」、日本中の峠で、こんな有難い名称はほかにはないのではないか。この名称は、三重県側へ越えた川の名称「安楽川」にちなむとか。じゃ、安楽川は?と問えば、安楽峠にちなむとなり、けりがつかなくなる。何かもっと基本的な理由はないのかと探したが、鈴鹿山脈の峠の中では比較的標高が低い云々。しかしこれにしても、峠の標高494mは、「安楽」と呼ばれるほどのものでもない。たとえば本家の旧東海道鈴鹿峠は380mと、安楽峠より110mも低い。(標高値はすべて国土地理院Web地図の右クリックによる)。 ということで、”近江輿地志略”を探していたら、山女原村の項に「安楽越」として、”山女原村より伊勢國安樂村へ出る路なり。土山より國堺へ二里、國堺より桑名へ十二里。”・・・とある。ナニ?、”安楽川”だけだと思っていたら、何と”安樂村”があったという。安楽川は峠の向こう側へ流れる川、”石水溪”につながる川がそれだが、安樂村があったとは。ということは、いまもどこかに”安楽XX”という地名が残っているのではないか。”安樂市”は聞いたことがないから”安楽町”か”安楽村”か。
K ゾーン付近 写真049C.安楽越えへの道 前項で使った安楽越えへの道である。いわゆる三差路ゲートの右側の道である。ストリートビューでの情報では”三重県側石水渓付近の道路工事により通行禁止”となっていたが、私が訪ねたときは規制は解除されていた。この写真ではわからないが、前方の森に入るまでの直線道路は緩い上り道で、水平距離144mに対して標高差5m、100m当たり3.5mほどの登りである。ここから登って県境の稜線を越えるところが安楽峠であるが、ここから見えるのか見えないのか。 地図03A.安楽峠・安楽川地図 ここから見て近くに見える2つの山、右の大きな山、谷を1つ挟んで左に見える小さな山、道はその谷筋を山間へ入って行く。写真で見ると、これら2つの山はそれぞれ独立したピークに見えるが、地図で見ると谷を挟んで並行に走る尾根らしい。地図ではそれらを右尾根、左尾根とした。それらの尾根をたどると、左尾根は左へ、右尾根は右へカーブして県境の稜線に至っている。 写真049E.安樂越えを上空から 三差路から鈴鹿の稜線までの直線距離は1.1Kmほどである。その距離にある山腹に樹木が生えていたとして、それがどの程度に見えるのか。残念ながらその判断力はない。いろいろ悩んで、カシミールでの上空からの視点に行きついた。左の写真049Eは三差路上空400mの空間の一点から、安楽峠周辺を見下ろした作画である。安楽峠は三叉路からの谷筋から見て、若干右へずれているから、直接視界には入ってこないが、例の突き当りの山は、この作画でいえば、赤い矢印P2の少し右の点に当たるようである。どうやら写真049Cの突き当りの山は、鈴鹿の稜線であったといえそうである。そしてその少し右が安楽峠である。 L ゾーン付近 写真051.森の入り口 三差路から緩い勾配を上って山の裾に達したところである。左前方から川といえないぐらいの川が流れてくる。先ほどの三差路で林道から分かれて、左への道をとる。少し行けばダムにぶつかる。そのダムから流れてくる川である。前項の地図04で流れ [ ア] で示した川ある。林道は川をまたぐのだが、見たところ橋はない。暗渠でくぐっているのだろうか。確かめるにもその場所に余裕はない。 写真052.森へ K点で小さな川をまたいでさらに奥へ進む。道は最近整備されたらしく、落ち着いた雰囲気である。ただし、道幅はクルマ1台。まあ、大概の林道はこんなものだ。 写真053.さらに進む 道は広くなったり、狭くなったり。もっとも、”広く”といっても対向車が来ればさてどうしようと思案しなければならないところだが。結局、今回、峠までの往復で出合ったのは、峠に留置された1台と、下りの途中で出合った散歩中らしい外国人男性1人だけだった。 M ゾーン付近 写真054.どれぐらい進んだか 両側を山に挟まれ前後の視界も利かない。どれぐらい進んだのか見当もつかない。道路も荒れてくるし、左側の草にも何となく水が流れたような跡が見える。雨によっては川があふれることもあるのだろうか。 写真055.安樂越橋 道はさらに荒れ、安樂越橋にでる。この写真は帰りに撮影したもの。橋の上流側にクルマを止め、ズボラをしてその場所から撮った。当り前のことだが、往路は対岸からこちら側へ渡っている。道から見れば川は右後ろから来て橋を潜って左側へ出ていることになる。 地図で見れば、三叉路からここまでずっと、川は道の右側を流れていたことになるが、ここまで川の姿は一切見えなかった。
写真059.峠間近に 地図で読めば、安楽越橋は峠からの直線距離410mの場所だった。川の流れは徐々に小さくなり、立ちはだかる太い木が、流れを断ち切るイメージである。この写真が流れの最後だが、上の隅から光が差しこんでくる。峠からの光だろう。これ以前に、渓流の途中では見えなかった光である。 M ゾーン付近 写真060.安樂越 先着車が1台あり、それでなくとも狭い峠の自由が利かず。いろんな道しるべが好きなように立っているが、一般的な県境に見る標識は立っていなかった。”クマらしい動物を目撃したの情報が・・・”、「ホラ、やっぱり、いつか忘れたけど、テレビで見た。こんな山道、1人で歩いていて、出合い頭にぶつかったら、どないすんの」。ヨッちゃんがまたひとくさり。 写真061.三重県側 安楽峠の向こう側である。三重県四日市市。崩れ落ちた花崗岩質の砂礫が路肩に盛り上がっている。 写真062.滋賀県側 2018年8月から12月までの入院で、予定が大きく狂った。それと低下した脚力。入院するまでは、山女原からこの安樂越えまでの往復3Km,これが大きな壁になるとは思っても見ないことだった。しかし、ここが未完のままでは形がつかない。少々時間がかかっても、とにかくきょうは歩く。そんな思いで出かけてきたのだった。 |
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