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SZ03.笹路川流域

SZ03A. 笹路川(そそろがわ)を遡るA

取材:2021.03
初稿UP:202022.02.27


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地図01.笹路川付近地図(国土地理院Web Mapに加筆)
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  甲賀市土山町黒川、大宮神社のすぐ下流で、田村川から分離(実際は合流)する。広い田んぼの中を遡っていくが、イノシシ除けのネットのため、橋の上からしか撮影は不可能である。分離後最初の橋は”学校前橋”。周囲を見回しても田んぼばかりで、どこに学校がと思う。いろいろ地図を探してみて、県道187号沿いに、”山内小学校”というバス停がある。田村川の前川橋の南側にそれらしいものが見える。
  そのあと森下橋を経て、しばらく田んぼの中を走って山に近づく。新名神をくぐって笹路の集落に入る。川は、地図のD,E点と進む。E点からさらに進むと、笹路川は左へ、県道は右へと互いに離れていく。  




Aゾーン付近
写真001.学校前橋
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  地図A点。県道507号から田村川にかかる前川橋を経由して、笹路川の橋に至る。歩いてきた道も、橋の向こうで閉鎖されている。橋の名票はついているのだが、真正面からの逆光と、プレートの彫りが浅くて、ほとんど文字は読めない。なだめたりすかしたりして、なんとか”学校前橋”と読むことができた。しかし周りは田んぼである。学校なんてどこにも見えない。ただ前川橋からこちらに至るまでの間、左側に、なんとなくプールを思わす雰囲気の場所はあった。もしそれがプールだとすればそこが学校か。
  帰って地図(国土地理院Web地図)を調べてみた。学校の名称はおろか、”文”のマークもない。我が家周辺の思いつく小学校を調べてみた、全部”文”のマークはついている。ということはその学校はすでに廃校になったのだろうか。しかしそうかといって、廃校になったことが確かめられないうちに”廃校”とするわけにいかないし。最後は実際にそこへ行って調べるしか手はない。しかし、地図に学校の門の表示はない。こうなれば地図を洗いざらいして…。最後、マピオン地図に”山内小学校”というバス停がある野を発見した。多分これが、その学校の名称だろう。地図の赤文字の”文”のマークは私が書き込んだものである。



写真002.下流を見る
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  学校前橋から下流を見たところである。地図を見る範囲では下流の合流点まで、道が明示されている。これを歩いて合流点まで行こうと予定をたてていた。しかし、ネットで塞がれていた。左岸の道はネットの中。如何ともしがたし。地図の上で、合流点まで160mほどである。

  写真003.ポンプ小屋?
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  橋のたもとのポンプ小屋が、なんともなく詩的だった。シューベルトの”美しき水車小屋の娘”を思い出させる。これで周囲にネットがなければ…。橋の下の流れを1枚。





写真004.上流側
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  右側から木が生い茂ってきて川面は暗い。この奥がどうなっているのか。ネットで塞がれている以上、ここから見るこの状態でしか判断できない。左上に見え鈴鹿連峰の上のわずかな青空が、こころばかりの息抜きである。







Bゾーン付近
写真005.森下橋
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  地図B点。森下橋である。あれはいつごろだったか、野洲川渓谷を撮っていたころ、この道もよく通った。細い道だった記憶があるが、道も広くなり、橋もしっかりしたものに変わっていた。橋のたもと左手に、旧い橋の親柱が4本、きっちり並べて保存されていた。昭和元年12月の竣工という。

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写真006.森下橋上流側
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  森下橋から上流側をみたところ。田村川同様この川も深い。たとえば田村川の青木ヶ瀬橋、ここから直線距離で370mほどしか離れていない。標高はどちらも290mほど。合流点までの距離もこちらの方が若干長いが大差ない。いろんな意味で両者よく似ている。川の深さのイメージもよく似ている。





写真007.道端の石灯籠
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  橋を渡った後、県道は滑らかに左曲がりながら田んぼの高さに沿って標高を上げていくが、もう1本、渡ってすぐのところで、クッと左へ折れる細い道がある。ひょっとしたら、これが昔の道だったのかもしれない。公園の中の小径のムードで直進して、弦と弧の関係で県道に合流する。その合流点に立つ石灯籠である。
  道はこのあとしばらく田んぼの中を走った後、山間へ入って行く。行く手に新名神の高架が見えてくるが、北から南を見る関係で、大きなシルエットを見ることになり、写真にはなりにくい。



Cゾーン付近
写真008.新名神上り線
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  地図C点。新名神がトンネルに入る直前。右がトンネル(名古屋方)。上下線別々に分かれている。写っているのが上り線。手前の影が下り線。川は、ここまで来るともう深さはない。

  写真009.県道沿い
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  川は、県道から少し離れて新名神の下をくぐり、すぐ県道沿いに戻ってくる。そして100mほど併走したのち、再び離れていく。流れ下る先に、しっかりした山が見える。カシミールで作図させると高畑山(右手の遠い山のグループ、いちばん高いピーク)という。対岸の農地にも、ずっと川沿いにネットが続いている。



写真010.橋が見える
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  上流に橋が見える。笹路(そそろ)集落の三叉路を左折して安楽越えへ向かう道路である。橋の名は”笹山橋”。本稿では左折せず、いったん県道を直進する。


写真011.笹路集落はずれ
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  県道を直進し笹路集落のはずれである。県道沿いに笹路川が流れ下ってくる。対岸の竹藪、二段の落差工。県道を走るたびに印象に残っている場所である。遠くにもう1本橋が見える。




Dゾーン付近
写真012.S 字カーブ
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  県道に沿って、右手から流れ下ってきた笹路川が、S字カーブを描いて集落の裏手へ回り込んでいく(流れは右手前から左奥の向き)。初めからこのように川が道路から距離を置くところを流れていて、そこへ笹路の集落を作ったのか、集落を作るために、川を後で曲げたのか。







写真013.橋の名不明
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  地図のE点。県道をここまで来て、橋を渡って対岸を戻る予定を立てていた。しかし、ご覧の通り。橋の向こうは閉鎖されている。この手のゲートは、大概のものは開けて通れるようにはなっているが、余所者が遠くから来て開けて通るのも気が引ける。無理をしないことにして、県道を引き返すことにする。このあと県道は右へ曲がって国道1号へ、笹路川は左へ曲がって上流へ。いずれにしても両者はここで泣き別れ。




写真014.不明橋上流側
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  橋の上から笹路川上流側を見たところ。藪が茂っていて暗い。その中へ消えていく。奥のほうでさざなみが光っているがそこまで、それ以上奥は細部不明。


写真015.下流側
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  橋の上、右岸から下流を見たところ。以前は何か小さな川が合流していたらしい。鉄製の小さな水門が残っている。何か仕掛けがあったのかと地図を調べてみたが何もなし。しかし、何かあったことは事実。そういえば上流側の写真でこんなのが残っていた。橋から見た上流側である。右半分は何の変哲もないが、問題は左半分。橋の真下で取水していたらしい。それがこの小さな水門に戻ってきていたのだろう。そのためには、本流の水位を調節する堰が必要になるんだが、何も気がつかなかった。下流側をもう1枚



Eゾーン付近
写真016.三子神社
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  笹路集落の中程に、可愛い公園があって、”三子神社”との碑が建っていて、何台かの駐車スペースもある。しかし神社はどこにもない。事前に予習をしてきたから慌てはしなかったが、何も知らずに来たら難儀しただろう。事情を聞くにも人はいない。神社は川の向こう側に建っている。神社は初めからそこに建っていたのを、入り口を集落側へ移したものらしい。





写真017.三子神社
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  公園と民家との間を通って橋へ出る昭和43年、明治100年記念という。それを渡ると、”三子神社”との御素朴な碑が建っている。奥はほの暗い森、うしろは笹路川。ちょうど日中ストロボを飛ばしたような光加減になる。出合頭の一発勝負の難しさ。ちょっとした階段を上がると小さな社に勧請吊





写真018.三子神社本殿
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  裏から上がると本殿の前へ出るのだったか。そこから石段を降りて振り返ったところ庭の跳ね返りが強くて、何とも撮りにくいところだった。
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写真019.三子神社正面

  写真18の撮影地点から、さらに石段を下って振り向くと、そこが神社の正面だった。「三子神社」その名碑がでかい石の台に立っている。以前はこちら側が正面だったのだろう。いま渡ってきた橋は昭和43(1968)年に作られた。集落からストレートにはいれることを重視したのだろう。そのころはまだ獣害はなかっただろう。しかしいまはこの現場もネットが張り巡らされている。おそらく、”あのとき橋を作っておいてよかったな”というのが、住民の皆さん方の偽らざる心境だろう。




写真020.高畑山
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  神社の正面はネットで囲まれていた。元の道を引き返す。左の写真は本殿横の高台から、ネット越しに1本の道が見えた。不明橋を渡って引き返そうと予定していた道である。その向こうに遠く高畑山が見えた。右奥、竹藪の向こうが笹路川である。

  写真021.高畑山
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  帰り、例の明治100年橋から見た上流側である。竹ヤブの間から、ピークが3つ見えたので、ひょっとして”三子山”かと撮っておいたものだが、上の写真の高畑山の並びだったらしい。





写真022.下流側
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  下流側である。笹路集落のT字路から山女原へ向かう道路の橋(白い橋)を記録しておきたかったのだが、木が邪魔をしてほとんど見えない。で、ちょっと場所を変えてレンズを伸ばしたのが左の写真022。白い橋は木の右側に出てきたが、バックに白い建物が現れた。うしろは田んぼと山。こんなものはなかったはずだが。よく見るとなんと、それは新名神だった。何とこんなところから。
 三子神社だから当然三子山が見えると思いこんでいたが、三つ子の”み”も見えず。淡い夢だった。




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