地図000.野洲川流域地図 建設省近畿地方建設局琵琶湖工事事務所編 『野洲川改修計画概要』(S58.5)より
この「野洲川流域分水嶺峠巡り」もどうやら終りに近づいた。2012年12月に始めたとき、この計画が完結するのが先か、命がつきるのか先かと考えたが。途中2018年夏、浅野川があと1回の取材、それを含めて、あと1年での完結が見えてきたところで、入院というアクシデントで計算は大きく狂った。これがなければ2019年には終わっていたはずだが、再開がその19年秋だった。
再開後浅野川で残していた源流部を終え、和田川、櫟野川、大原川と進んで、最後の田村川である。
国道1号南土山の白川橋のすぐ下流で分岐(川の流れとしては合流)したあと、南土山の旧東海道の南を蛇行しながら。道の駅”あいの土山”の裏手で唐戸川を分岐、そこで国道を横断して田村神社の横を経て土山町猪鼻へ出る。ここで山中川を分岐、そのあと東へ向かう流れが、市場集落の手前で笹路川を分岐。そのあと北東へ進んで、黒川、黒滝の集落を抜ける。これが最後の集落で、後は三重県との県境で、野洲川との境に達する。
このとき、野洲川から分かれた(川の流れとしては合流)うぐい川流域が、野洲川と田村川とに挟まれた形で稜線に達し得ず、両側を流れている野洲川、田村川が稜線へ出て、そこで手をつなぐのがドラマチックである。
なお、ここでいう鈴鹿県境稜線は野洲川右岸分水嶺出合から高畑山西方の770m峰(田村川流域と杣川流域の分水嶺との出合)までである。
話は前後するが、もう一度下流に戻って、国道1号田村神社前から蟹坂まで、距離にして1Km足らずのところだが、その間、田村川は国道から離れてずっと北の山際を流れている。その流れと国道の間の平地を旧東海道が通じている。いつもこの間は国道をまっすぐ通過してしまうのだが、今回始めて旧東海道を歩いてみて、そこに蟹坂古戦場碑が立っていることに気がついた。解説文も読んでみたが、棒読みするだけで、具体的な意味は何も理解できなかった。
もう1つ、国道を離れて北側の山麓を流れる田村川のことについて。流れの途中に『佐平治翁開鑿碑』なる顕彰碑が立っている。この場所は、田村川にとっては、笹路川と山中川の合流点のすぐ下流に当たる地点で、谷筋の狭いところであった。そこを開鑿した佐平治翁の業績に対する顕彰碑らしいが、私が知る範囲では地域案内書にも、関係Webにも取り上げられていない。
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