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地図720.野洲川源流・武平峠付近地図(国土地理院Web地図に加筆) 野洲川流域から日野川流域へ越える峠道は、前項の「平子峠」が最後である。平子峠から綿向山までは日野川流域が対象、それを越えると綿向山・御在所山間は愛知川流域が対象になるが、両区間とも地図の上でははっきり表示されている道はない。御在所岳から南については野洲川流域が三重県に接することになる。今回はその一番北に当たる武平峠である。さらに南の国道1号が越える鈴鹿峠とともに、野洲川源流域を代表する峠である。この武平峠は御在所岳や鎌ヶ岳への登山に利用されているが、峠のすぐ下を鈴鹿スカイラインの武平トンネルが通過しており、トンネル入り口の駐車場から水平距離で約200m、標高差70mほどの道のりで峠へ着くことができる。今回もその例にならっての取材である。 1. 若宮大橋から深山橋まで 地図721.土山町大河原付近地図(国土地理院Web地図に加筆) たとえば、平子峠から国道477号沿いに武平峠へ向かう場合、従来は地図に見る上流側の宮下橋を渡って大河原の集落を経由して野洲川ダムの方へ向かわなくてはならなかったが、何年か前に下流側に本格的な橋が架けられ、鈴鹿スカイラインと平子峠の道とが直結され便利になった。 写真751.若宮大橋 野洲川を渡る若宮大橋である。画面左が武平峠、右外が平子峠へ通じる。左の写真では見えにくいが、民家の屋根とほぼ同じ高さのところを通っている。「若宮橋」、地図に見える”かもしか荘”の東にある若宮神社に因んだものかと思うが、ローカルな名がついたという印象。野洲川とそれに並走する県道5号をカバーして、実際の長さは100mを越える堂々たる橋である。もうちょっと大きい名がついてもよかったのではないか、そんな気がする。 写真751_1.若宮大橋から上流を 若宮大橋から上流側を見たところ。上流側に見えるのが宮下橋(水道橋と並行しているため橋脚が妙な並びに見える)。現在はこの若宮大橋で平子峠とスカイラインとが直結したが、以前はこの宮下橋を経由していったん大河原の集落へ下りて上り直さなければならなかった。川の流れは画面奥から手前向きである。 写真751_2.若宮大橋から下流を 若宮大橋から下流を見る。流れは橋の下をくぐってすぐ下手の岸にぶつかり、右へ折れて下っていく。対岸山沿いに見える道が県道5号。一見すると橋が対岸と平行に架かっているように見える。ちょっと不思議な風景であるが、橋の一番峠側に立つと、県道はぐっと大きく曲がってちゃんと橋の下をくぐっていく。 写真752.ランプウエー合流 左から旧道を利用したランプウエーが合流していくる。片側からだけの変則的なランプウエーだが、通行量がさして多くないためか、合流点に信号もない。 写真753.冬の大河原集落 ランプウエーからの道を合流する。旧道が新しくなったあたり。これは1980年代の撮影。旧道の野洲川ダムへの途中から撮ったもの。この場所ですでに道は屋根の上へ上がっている計算になる。 写真754.野洲川ダム ほどなく野洲川ダムにつく。どういう意味なのかわからないが、水がほとんどない。今年だけの現象なのか、毎年この時期はいつもこうなのか。 写真755.竣工記念碑 「野洲川堰堤竣功記念碑」と「野洲川ダム改修竣工記念碑」、新旧2基の記念碑が建つ。1939(昭和14)年に着工したが、1944(同19)年に戦争のため工事中断、1947(同22)年工事再開、1951(同26)年に完成たものという。その後2000年代に入って改修工事が行われた。2001年着工、2009年竣工。 写真756.改修記念プレート 堰堤の壁面に関係市町の記念プレートがはめ込まれている。野洲市のところでは私が撮影した三上山。拡大写真もう1枚。 写真757.下流側 堰堤上から下流側を見たところ。途中道路が屋根の上を通ってきたのは当然の理。 写真758.堰堤を振り返る少し上流へ移動して堰堤を振り返ったところ。水がなく情けない姿をさらす。 写真759.さらにもう一回り さらにもう一回りしたところ。流路がS字に曲がりあまり渇水を感じないところだったので、無意識に撮ってきたのだが、調べてみるとその昔どうやら同じ場所から撮っていたらしい。昔は今回撮影したレンズよりさらに短いレンズを使っていたらしい。今回のレンズは22mm、画面サイズがフォーサーズだから、35mm換算で44mm。昔のレンズは6×7判の65mm。35mm換算で32mm。べらぼうなワイドということではない。まあそこそこのワイドというところだが、今回の44oに比べると4分の3ほどの長さだったということになる。 写真760.水中に立つ 上の写真、遠くの木の中に3本の木が立つのが見える。同じところから、それを望遠で狙ったところ。空の色を写しているのだろう。水面まで春めいている。水の多い写真はいずれも1980年代前半の撮影。 写真761.沈んだ鳥居 これも昔の写真。鳥居が頭だけを見せていた。こうして撮ったのだから、この鳥居が立っていたことは間違いない。しかし、いつの間にか見えないくなってしまった。 地図720A.野洲川源流・武平峠付近地図(国土地理院Web地図に加筆) 冒頭の地図720とほぼ同じ範囲であるが、いわゆる鈴鹿スカイラインと野洲川渓谷との関係を概観するためにサイズをアップした。上の写真75〜761の写真は野洲川ダムの下流で撮影したものである。この間、峠に向かう道路からはダム湖は左に位置していた。そして、地図の左下「第3橋・深山橋」を越えたところで川は右側に出る。そのあと支流第2橋、支流第1橋の2本の橋を渡るが、本流が道路の右側にあることは変わらない。そのあと第2橋で川は左へ出て、第1橋でもう一度右へ出る。その間本流に架かる橋には橋マークがつき、支流を渡る橋についてはマークがつかない。以上がこの地図から読み取れる道路と川の情報である。 写真761_1.深山大橋 野洲川ダム上流部を過ぎて深山大橋を渡る。いままで(峠に向かう)道路の左側にあった川(ダム最上流部)が、ここで右側へ回る。この写真761_1は峠方を向いて撮っている、実際の川の流れは、橋の右側を流れ下ってきて左手ダム湖最上流へと流れ込む。 写真761_2.深山橋から上流部を見る 道路の右側を流れ下ってきた川が、大きくカーブして橋の下へと回り込んでくる。もう1枚。流れは画面奥から手前向きである。 写真761_3.深山橋下流 まさに虚をつかれた感じ。こんな風景は一切想像していなかった。クルマから注意をしておれば、上部だけでも見えたかもしれない。この道を何度通ったか知れないが、ここにこんな風景が存在するとは、想像すらできなかった。ダムの最上流、要するに上から流れ下ってきた水が池へ流れ込む状態をイメージしていた。そこへ巨大なゲートが立ちふさがっていたのである。満水になればこれがどんな風景になるのかは分からないが、いまはその構造のすべてを見せていた。手前の堰堤から水が向こう側へ落ちているのであろう。ザーザーと水が落ちる音が周囲に響いていた。もう1枚。 |
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