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地図003.大原川流域地図2 (国土地理院Web地図に加筆) 大原川は、鳥居野交差点のすぐ南で不明橋をくぐった後、南南東へ向きを変え杉ノ尾橋、山王橋をくぐりながら、櫟野川との境の丘陵沿いを流れるようになる。それに準ずるように県道129号もその分南へ寄ってくる。JR油日駅近くの踏切を越えてやってくる幹線道路が県道129号にぶつかるところ、甲賀町大久保の三叉路に建つ林照寺が、このあたりの風景の中心をなす。 4.D点付近 写真030.杉ノ尾橋 杉ノ尾橋、ちょっと珍しい名前である。川が東西に流れている関係だろうが、南北に架かる橋が多い。この橋もそうだ。写真に写っている道は櫟野川の富田橋を渡ってきた道である。ついでにいえば、櫟野川で富田橋の一つ上流の橋(うっかり名前を確かめてこなかった)とつながっているのが先ほどの不明橋(杉ノ尾橋から見ると1つ下流)である。櫟野川と大原川とで、橋の上下関係が逆になっている。どうでもいいことだけど、途中で道路がクロスしている。面倒くさいことをしたものだ。馴れないものが走ると途中で東西の順番が逆になり、頭がおかしくなる。 写真031.杉ノ尾橋下流側 不明橋に向かって右へ曲がっていく。すぐ下流に落差工がある。小さなダムができた形になり、水面は夕空を写して静かである。 写真032.杉ノ尾橋上流側 徐々に左へ曲がっていき突き当りでくっと右に曲がる。その突き当りの手前に落差工がある。しかし、落差はわずでか、どちらかといえば段差工というべきか。この大原川は下流側から落差工が多く、いままでいくつ記録してきたか。マピオン地図を見るとこの落差工が表記されている。それを見ると、それが設置されているのは、橋の近くに多い。何か理由があるのかと不思議だったが、この段差工などはどちらかというと橋から遠いほうである。 写真033.民家の風景 杉ノ尾橋から北へ200mほど。右側に見えてくる民家の風景である。たぶん農家だと思うが、何とも豪壮な構えである。前の庭でおばちゃんが忙しそうに行ったり来たりしていたはずだが、写真になって見ると姿が見えない。確かに写っているはずだがと大伸ばしをして見た。いたいた、植え込みの間に麦わら帽をかぶって前屈みになって・・・。元気だゲンキだ。 写真034.山王橋 杉ノ尾橋の1つ上流側の橋である。杉ノ尾橋は南北にかかっているが、この橋は東西にかかっている。地図を見れば分かるが、川の流れがほぼ90度向きを変えているということである。遠くの丘にはまだ日が十分当たっているのに、早くもここでは夕暮れの気配。撮影は14時38分。山のかげに入っただけのことで、何ぼなんでも夕暮れという時間ではない。 写真035.山王橋下流側 山王橋の下流である。川は影の中を流れ下る。行き先が分からなくなるが”く”の字型に左へ曲がったところで、写真032の段差工へ出る。 写真036.山王橋上流側右から続く山蔭の裾を日が当たっているところから”く”の字型に折れ曲がって流れ下ってきたところである。それにしてもこの山裾は秋の日が短い。 5.E点付近 写真037.上河原橋 大原川流域を大きく見て東西方向に走る道が2本ある。1本は川の北側(右岸)を走る県道129号、もう1本が川の南側を走る市道?かな、(県道の表示はないがしっかりした道である)西の方甲賀町寺井の方からやってきて、甲賀町大久保あたりで県道と合流する。となると当然流域の南側から北側へ橋を渡らなければならないわけだが、その橋が上で見た山影の橋、山王橋であったわけ。道は東西に走っているのだが、川が勝手に南側に出て、道は知らぬ間に川の北側の流域へ出たことになる。そうしてあと少しで県道へ出るというところで、右折して少し行くと上河原橋へ出る。 写真038.上河原橋上流側 上の写真で、落差工が1本見えていたが、手前にもう1本あった。こんなにくっつけて2本作るぐらいなら、まとめて1本にしてしまえばよいものを、と素人は思う。サカナの遡上のこともあるのだろうか。 写真039.上河原橋下流側下流側である。すぐ陰になって見えなくなるが、ここから右へ曲がって山王橋上流へつながる。確かにずーっと山蔭を流れている。 写真040.地蔵さん 上の写真037を写して後ろを振り向くと地蔵さんが 1 体ぽつねんと立っていた。レンズを少し伸ばし気味にしたのだわかりにくくなっているが、中央のススキと木が重なっているところが川の右岸らしい。何度も書くがこのあたりの川は少し離れるとその姿が見えなくなる。 写真041.道標だった 地蔵さんはよく見ると道しるべだった。まんが悪く太陽は真後ろにある。その上に快晴と来ている。見にくいことおびただしい。1時間や2時間ずらしても解決するような話ではない。何と書いてあるのかもわからない。とにかく撮って帰ってそれからの相談としよう。 写真042.大井田橋 上河原橋から右岸堤防(カキの木の反対側の岸)を遡ると100mちょっとで大井田橋へ出る。この橋を渡る道はJR草津線油日駅のすぐ北の踏切から北へ走り、県道129号の林照寺前の三叉路へつながる道である。上の道標で”上野”へつながる道を示したが、それがこの橋を渡る道だった。 写真043.林照寺遠望 県道129号三叉路へ向かう道がきれいな弧を描く。左奥の大きな寺が林照寺である。大井田橋上から。 写真044.林照寺林照寺である。”浄土宗笹尾山林照寺”とある。県道129号と大井田橋への道が三叉路をなすところに建つ。 6.F点付近 写真045.仏性寺 林照寺前から県道129号をちょっと進むと、右斜めに折れる道に出合う。櫟野集落へトラバースする道である。道の左側、広いグランドのような空間に祠が一つ建つのが見えて、「仏性寺」との立札が建っている。グランドと見えた広場は公園を兼ねているらしくブランコが見える。 写真046.仏性寺 近寄ってみると”甲賀西国観音霊場第三番”とある。お堂の横に大きな石標に何やら難しいことが書いてある。部分的に”大僧都観慶大師・・・大阿闍梨・・”などと書いてあるが、細かいことは全くお手上げ。 写真047.橋が見える 仏性寺を出ると橋が近づいてくる。この道の先が櫟野寺の集落である。川は左前方から来て右側へ流れていく。クルマはめったに来ない。 写真048.仏性寺橋仏性寺橋。橋の名前に使われるほどのお寺らしい。野暮ったいけれど重厚なな橋である。何年の竣工か不覚にも調べてくるのを失念した。残念。川は左から右へ流れる。 写真049.仏性寺橋下流側 下流側を見たところである。地図を見ると橋の下を流れたあと、山にぶつかって右へ折れるようになっている。すぐそこが山のように見えるが、これは樹木の垂れ下がり。この下を流れて、次の竹藪ぐらいの所を右へ折れるようである。 写真050.仏性寺橋上流側 上流側である。ここで落差工が見える。左に見える白い建物。このあたりではびっくりするほどの建物である。先ほどの仏性寺の左後ろに見えていたのも、学校の校舎かと思たが、この建物の続きだったらしい。地図で読むと”大原薬品工業神工場”とある。 写真051.アオサギがいた 仏性寺橋付近を回って、クルマを置いたところへ戻ってきた。向かい側の田んぼへ渡る橋が見える。その手前にアオサギが向こうを向いて、こちらに人間がいることには何の関係もなさそうに立ち尽くしている。羽を広げたところを狙ってとレンズを伸ばして・・・、待った。そこへ遠くでクルマの音がした。先ほど”クルマはめったに来ない”と書いたが、そのめったに来ないクルマが来たのである。それもダンプが。それを避けるためアオサギを横目で見ながら一歩横へ足をずらせた。そして見たときにはもうアオサギはそこにはいなかった。 写真052.不明橋 仏性寺橋を渡って250mほど行くと、左へ折れる細い道があって、不明橋へ出る。橋だけが山影である。これはいややなと思ったが、思った以上に写っていた。 写真053.不明橋下流側不明橋下流側。山の陰だと思っていたが、こうして影を見ると木の影だったらしい。もう少し下流側に目をやると、先ほどの製薬会社の建物が目に入ってくる。 写真054.不明橋上流側 上流側。ずーっと影の中を行く。この影は木じゃないやっぱり山だ。上の写真は山の端に木が立っていたのか。ここで県道129号の南側に民家があるエリアが終わる。同時に橋も少なくなる。どうなることやら。 |
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