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S15.大原川流域

S1501A. 大原川を遡る・A

取材:2020.11
初稿UP:2022.01.30


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地図002.大原川流域地図1  (国土地理院Web地図に加筆)
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  ほぼ東西方向の流れが4本見える。いちばん北が”大橋川”、これは大鳥神社の少し西で大原川に合流する。次がその大原川。これが本編の主役である。3番目櫟野川。前項で取り上げた川である。一番南を流れるのが中川。このうち大橋川と、中川は流域が県境の稜線に届かなため、対象から除外している。
  さてその大原川だが、流れに沿って集落が続く。その点、櫟野の集落以外ほとんど集落がなかった櫟野川と対照的である。そのため流域の西半分ではとにかく橋が多い。左の地図の範囲だけでも13橋を数える。いわば本稿は、”大原川橋巡り”と言ったところである。



1.A点付近
写真001.新寺井橋への下り
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  県道4号が新寺井橋に向かって勾配を下っていくところである。橋を渡るのに勾配を下る。琵琶湖に近い平野部に生活するものにとっては、川は堤防に守られたものであり、川を渡る道は堤防に向かって勾配を登るのが当たり前になっている。それに対して、まったく逆のこのイメージが何とも言えず新鮮に感じられる。
 前方に横断歩道が2本見える。2本目を越えたところが新寺井橋である。




写真002.新寺井橋
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  黒いクルマの前が、上から見たときに見えていた2本目の横断歩道である。いうまでもない、その向こうの橋が新寺井橋。川の流れは左→右。

  写真003.歩道橋
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  上流側にかかっている歩道橋。歩く人はめったにいない。通学の児童専用というところだろう。左の植え込みのところに石灯籠が見える。”愛宕山常夜灯”とある。






写真004.上流側
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  歩道橋に立って上流側を見たところ。左側に桜の木が数本。春にはきれいだろう。いまは枯れかけの雑草が河床を覆っている。

  写真005.寺井橋
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  いま見てきた橋は”新寺井橋”(県道4号)である。新に対する旧寺井橋はどこにあるのか。2つの橋は手をつないでそこにある。左がいま見てきた”新寺井橋”、右が旧道の”寺井橋”である。道は”y”の字を左右逆にしたように見える。




写真006.草津線
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  旧の寺井橋から下流側を見たところである。草津線が通っている。電車はいつ来るかわからんからなーとボヤキながら周りの写真を撮っていたら、うちのヨッちゃんが「警報機が鳴っている」という。私にはもちろん聞こえない。最近は一人にしておくと何をする分からんからということで、いつも監視についてきている。それが役だったわけ。
  ややあって柘植行きの”青大将”がやってきた。結構高いところを走っている。いやそうじゃない。電車は普通の平地を走っているのだが、川が低いわけ。県道4号の新寺井橋も切通しでレベルを下げている。




写真007.合流点
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  地図で見ると、寺井橋から草津線をくぐってすぐ下流のところが杣川との合流点になっている。それはいいのだが、そこへのアプローチがよくわからない。現場の堤防上の道もなさそうである。草津線に乗って電車の中から撮る手はあるが・・・・。






2.B点付近
写真008.下り道
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  最初の橋を目指して田んぼの中を走っている。道は直線。おかしいな、もう見えてきてもいいはずだが、と不安を感じ始めたところで、道が下りになって、その向こうに橋が見えた。何度も書いてきたが、新鮮な感覚だ。
  たどりついて見た橋の名は、”毛ノ久保橋”、不思議な名だ。






写真009.毛ノ久保橋下流側
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  下流側である。落差工が2段、小さなダムになっている。それを過ぎると細い流れが右へ曲がって、少し下ると新旧寺井橋という勘定。
  少し左へ寄って空をカットするとイメージが変わる。手前のススキはともかく、対岸(右岸)が大きく見える。最上面の田んぼの部分は人間が組み立てたものだが、半分以下は自然の地層だろう。ちょっと大げさかもしれないが、河岸段丘のイメージを感じる。その間の細い河道を流れる水流。川の下刻作用を見る思いである。この河道が成るに、何万年の年月が必要なのか。




写真010.毛ノ久保橋上流側
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  緩く右へ曲がっていく。1つ下流の県道4号新寺井橋から1つ上流の新須原橋、上の地図002でBゾーンと表示したあたりは、両側田んぼで集落は見られない。

  写真011.新須原橋
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  しっかりした欄干、どっしりした親柱。本格的な橋である。県道4号、JR甲賀駅からまっすぐやってくる道路が通っている。いまは田んぼの中を走っているが、将来は中心的な道路になる計画か。






写真012.新須原橋下流側
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  下流側、ここでも落差工が2つ見える。手前の方ははっきり横一線に見えるが、そのすぐ下流側にもう1か所。岸から出た草と重なって見えにくいが小さく見える。

  写真013.新須原橋上流側
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  新須原橋上流側。すぐそこに須原橋が見える。だから須原橋下流側でもあるわけ。新須原橋と須原橋、流れに沿った両者間の間隔が約90m、そして甲賀駅から来た両者の道路が地図に見るように250mほどさきでX字型にクロスするのだから贅沢な話である。




写真拡大 写真拡大   写真014.須原橋下流側

  須原橋から下流側を見たところ。目の前に見えるはずの新須原橋が消えた。正面に見える森のシルエットに吸収されてしまったわけ。

  写真015.須原橋上流側→

  須原橋上流側である。すぐ目の前に落差工がある。ここまで来て平地に対する川のレベルが普通の感覚になる。”ハエたたき”のような杉の木の印象が強い。と、どこから来たのかシラサギが一羽、遊々と飛んで去った。



3.C点付近
写真016.落合橋
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  JR甲賀駅近くの県道4号大原市場交差点からやってくる県道24号が、相模交差点を経てやってくるところである。対岸に民家が点在している。一見、堤防の上に並んでいるように見えるが、これが平地である。川は一段も二段も低いところを流れている。この写真では見えないが、地図で見ると、民家の一番手前を通って画面左外へ大橋川が合流しているようだ。






写真017.落合橋下流
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  落合橋から下流側を見たところ。すぐそこに落差工が見える。手前上流側が小さなダム状になって水が溜まり、静かに空を写している。地図を見ると大橋川は、この落差工の下流で合流している。右側の堤防が、一部色が変わり、切れているように見える。たぶんそこが合流口であろう。

  写真018.落合橋上流
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  上流側である。草木が茂って流れがほとんど見えない。左へ曲がってすぐ右へ切り返しているようだ。








写真019.祭禮橋
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  突然、朱色の橋が現れた。不覚にもいつ造られたのか調べてこなかったが、礼”の字が「祭禮橋」と旧漢字になっている。ちなみに、川は上流を見たところである。

  写真020.大鳥神社参道
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  橋は南北方向にかかっており、北へ向かって参道が伸びている。地図を見るとずっと北の方にある大鳥神社の参道らしい。







写真021.祭礼橋下流側を見る
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  祭礼橋の上から下流側を見たところ。これだけ欄干から離れると、流れは直接見えない。イチョウの木が2本、夕日を受けて輝いている。








写真022.祭礼橋下流側を見る
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  欄干に近寄って流れを見下ろしたところ。川は少しの間まっすぐ流れ、やおら左へ曲がっていく。このままでは見にくいが、場所を変えてみると、ここにも落差工がある。魚の遡上道もつけられている。いままでなにもなかったのだから、ここだけ取ってつけたようなことをやってみても意味はなさそうなのに。ちょっと分からない。まさか神さんの前でエエ格好したわけでもないだろうし。




写真023.県道24号クロス
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  祭礼橋から本殿までの距離が約430mある。その間大原川と大橋川を渡り県道24号とクロスする。ここはその県道クロス。そこに”大鳥神社”との巨大な標識が建っている。祭礼橋からここで約半分強。まだ参道は続く。以前はこういうところは全部歩いていたが、時間のこともあって今はクルマで回っている。駐車場まで行くと少し古く曰くのありそうな標識が建っている。





写真024.大鳥神社楼門
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  朱塗りの楼門が見事。大鳥神社は、旧大原村の氏神として信仰を集めている。祭神はすさのおの命(みこと)、懐かしい名前だ。小学校のころい授業でよく出てきた神様だ。その木像は国の重要文化財だとか。






写真025.大鳥神社拝殿
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    大鳥神社の祇園祭は、水稲の守護神とする夏祭であり、歴史は古く、始まりは応永22年 (1415)といわれている。その壮観・華麓さは、夏をいろどる風物詩として親しまれて、「大原ぎおん」と言われている。すべての災いや病気の疫神をはらう祭礼で、その華麗さと荒々しさで知られているとか。そういえば水口教室で、よく写真を見せてもらった。この神社だったのか。
  駐車場の近くに「河合寺址」という解説文が立っていた。分かる人が読めば分るのだろうけれど、私にはわからない。河合寺とかいう寺が、現在の社務所・鳳殿をふくめた空き地に立っていたということらしい。




写真026.不明橋
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  祭礼橋から300m北東へ遡ると次の橋のたもとへ出る。橋のネームプレートはついてはいるが、色が褪せてしまって読めない。文字が彫り込まれたりすると色あせていても読めるのだが、マンが悪く全くの平面。「新□□台橋」までは何とか読めるが2字目と3文字目が読めない。2字目は無理して「広」とよめないこともない。3文字目をそれにつられて「島」と読むと、”新広島台橋”という名称が創作できる。近所にそんな地名がないかと探してみたがそれもなかった。
  写っている橋は下流側を見たところである(川の流れは左→右)。この写真では流れが写っていないからはっきりしないが、橋をくぐってすぐ左へ曲がる




写真027.不明橋上流側
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  上流側を見たところである。右前方から半円を描くように下ってくる。左上の住宅地、右側のグランド、後者の方がレベルが低いが、ここを仮に標準的な高さとしても、川は低いところを流れている。







写真028.鳥居野交差点
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  鳥居野交差点である。”左・大鳥神社”の案内がある。不明橋を渡った道路が大鳥神社前からやってくる県道24号と交差するところである。”右・櫟野寺”の案内があるが、大原川と櫟野川とで流域が違う。このまままっすぐ走っただけでは大原ダムへ突き当たるだけで、櫟野寺へは行かない。しかるべき道を右へとって、山(丘)を越えなければならない。





写真029.山を見る
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  上流側を見たときに、ちらっと見えていたグランドから見たところである。奥に山が見える。右が油日岳。左が那須ヶ原岳である。この写真では両者ほぼ同じ高さに見える。しかし実際の高さは油日岳が693m、那須ヶ原が800mである。それがこうして同じ高さに見えのは、ここから見た場合、那須ガ原山がぐんと奥に位置するからである。ちなみにここからの距離、油日岳が6.18Km,那須ヶ原山が7.69Kmである。
  念のために tan をとってみると、油日岳⇒693/6180=0.112  那須ヶ原岳⇒800/7690=0.104  となり、油日岳の方がほんの少し高く見るはずである。




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