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S13.杣川を遡る

S1301B. 杣川を遡る(岡崎〜源流)

取材:2017.11/12
初稿UP:2018.01.15


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地図017B.杣川上流地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  地図017Aの県道4号バイパス”油日”交差点から県道131号を油日神社方面へ向かう。岡崎集落から斜め右へ入ると右の方から杣川が近づいてくる。そのまま南側の山蔭を流れるが、一部、神宮寺近くの公園へ取水され親水公園風の雰囲気を作りだしている。











83.岡崎集落
写真427.岡崎集落近く
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 岡崎集落近く。飛び出し坊やのところから右へ折れると杣川が近づいてくる。

  写真428.杣川が近づく
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  右側から杣川が近づいていくる。堤防といえないぐらいの堤防。もう1枚








写真429.小さな橋が
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 小さな橋が見えてくる。杣川は道と並行しているはずで橋の方向がちょっと解せない。

  写真430.細い水路
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 見れば右側の杣川から取水され、左側の県道の方へ細い水路がつながっている。橋の名前は岡崎橋。助かります。名前が分かってどうということはないのだけれど、分からないと文章を書くのに困ります。われらが岡崎村の岡崎橋。大事にされているのが分かります。そしてやっぱり川は杣川



写真431.道なりに
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 道なりに行くとすぐに神宮寺の前の道に出る。歴史ルート公園鹿深の道である。その道に架かる橋が「新神宮寺道橋」。これはわからんぞ。この”新”がどこまでかかるかで意味が変わってくる。括弧でくくってもらわなければ。いまの場合は”神宮寺道橋”という橋があって、それに対する”新”だということが分かったが。たとえば”神宮寺道”に対して”新神宮寺道”ができてそこに架かる橋とも理解できる。分かっている人には何でもないことだろうが、分からないものにはどうにもならない話。



84.神宮寺
写真432.新神宮寺道橋上流側
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 新神宮寺道橋から上流側を見たところ。深い落差工。そんなに勾配があるとも思われないのだが。

  写真433.神宮寺
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  新神宮寺道橋から上流へは川沿いの道がなくなる。仕方がないので左折すると突き当りが神宮寺。その神宮寺に対して”新神宮寺”があるわけではない。その門前に神宮寺前橋という橋がある。その橋に対して新”神宮寺前橋”だったわけ。





写真434.親水公園
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  岡崎橋のところから取水した水がこのあたりへきて親水公園を形作っている。もう1枚

  写真435.油日神社神田→

 そこらを歩きまわっていたら、何か標柱が建っている。「油日神社神田」とある。だとすると、先ほどの取水はこれが目的で、親水公園は付録だとも考えらそう。



写真436.親水公園
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 川との間に公園が。いまは誰もいない。”杣川荒廃砂防事業”碑。杣川の文字に魅かれて撮影したが、この文、マッチポンプじゃないかな。このままだと、杣川を”荒廃”させて”砂防事業”を行いましたということだろう。杣川が荒廃していたので砂防工事で対策を講じました。ということだろうが、それなら、”荒廃杣川砂防事業”だろう。





写真437.いわたはし
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  杣川荒廃公園のそばの橋。”いわたはし”。漢字不明。”岩田橋”だろう。”磐田橋”もあり得るか。









85.油日神社
写真438.灯籠の列
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 油日神社の灯籠が並ぶ。灯籠と油日岳、もう1枚











写真439.これ何?
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 ”いわたはし”の近くに石灯籠と得体の知れない・・・、あとが続かない。案内板にしては肝心なところが抜けているし。いろいろ考えた。やっぱり先達っての台風で、掲示板の肝心なところが飛んでしまったのか。いろいろ思い悩んで、掲示板にしては分厚すぎるなと思いつき、覗いてみたら。・・・・
  余談:その昔、高校生と一緒に某寺へ拝観兼学習に行った。和尚さんがあれこれと説明中、その写真を撮ろうとしてレンズキャップを賽銭箱の縁に置いた。あとはお判りでしょう。終わってとろうとした瞬間にチャリン!。生徒はお大笑いするし・・・。話の腰を折られた和尚さん、よろしヨロシ、おもむろに賽銭箱を持ち上げて逆さに振ったら、チャリンと出てきた。いっしょになんぼ賽銭が出てきたか、記憶ナシ。
  ここでは絶対にレンズキャップは縁に置かないように。ひっくり返せません。


補遺
写真439A.遙拝所
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 たびたび登場願っている”引札”の高田さんから上の”これ何?”について助言をいただいた。
  要約すると、
  ・・・・油日神社の本来のご神体は、あの油日岳・・地域の自然崇拝の山。油日岳から神々しい光がさし、山頂に油日大明神が降臨され、そのときに大光明を発したので「油日」の名となったとのこと。岳大明神は油日神社の奥ノ院となっています。毎年9月11日に、宮司と氏子が山に登って祭事を行います。昔は一晩夜を明かす「岳ごもり」がおこなわれ、麓からお山に灯かりがちらつくのを見ながら手を合わしていました。
  「これ何?」の不思議な看板もどきものは、実は油日岳・岳大明神を仰ぎ見る・・・すなわちあの額縁の中に・・・或いはあの額縁越しにお山を入れてお祈りする神聖な遙拝所なのです。・・・・




写真439B.遙拝所
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  なるほどなー、しかし遙拝所だとは気がつかなかった。そういえば神社にはよくあるなー。”○○遙拝所”などという碑をよく見る。ボク等の小学生のころには、天長節や紀元節などの式典には”宮城遙拝”というのがあった。遥か東の方を向いて最敬礼をするのだけれど、それに比べるとこれはわかりやすい。信仰しているお山を目の前にして拝むのだから。ウチの近くでも朝早く家の前から三上山を拝んでいる人を見ることがある。
  で、最初は訳が分からず適当に撮って来た(写真439)のだが、これでは申し訳ないということで、もう一度気合を入れて撮りなおしたのが写真439A。油日山を入れた遙拝のイメージ写真が写真439B。----補遺ここまで。




写真440.油日神社
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 NHKのドラマに使われて人気があるらしい。この神社は油日岳(694m)の里宮だという。山頂には岳大明神と呼ばれる奥宮が祀られている。

  写真441.油日神社楼門
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 油日岳の山頂に油の火のような光とともに油日神が降臨したことから「油日」の名がついたと。また、聖徳太子が社殿を建立し油日大明神を祀ったとの伝承もある。もう1枚。楼門前を流れる清水。





写真442.油日神社本殿
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 油日神社本殿。重要文化財だという。









86.上流へ
写真443.上流へ
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  油日神社をあとにさらに上流へ。右へ行けば”大甲賀CC”へという道である。

  写真444.やつおはし
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  その登り口で”やつおはし”という橋に出る。










写真445.上流側
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 その橋から上流側を見たところ。実は地図で見るとここから見て左側を細い道がついている。それを谷筋へ入るまでトレースするつもりでいた。しかし思いがけなくというか案の定というか、ここもネットでシャットアウト。ゲートを開けて通れなくもなさそうだが、道が保証されているわけではない。それだったらはっきり道だと認められているほうがいいだろう。ということで先ほどの写真443の分岐までバックして、改めて「左油日岳」コースをたどることにする。




写真446.油日岳遠望
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 道はやはりネット沿いである。ネットの内側を行くか外側を行くかの違いだけ。ネット沿いであることに違いはない。これはそのネットの目にカメラを当てて撮ったもの。油日岳(中央やや右)遠望。松林の中はゴルフ場である。ちなみに、画面左から3分の1ぐらいのピークが那須ヶ原山。





87.油日岳登山道
写真447.? 見たような
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 X字型の十字路へ出る。なにか一度来たようなイメージである。中央の行き先表示。右の市道中津・・・は、これが市道?と恐れ入ったというところだけれど。左の油日岳?、何か記憶がある。数年前のこと、”あいあい滋賀”で『三上山物語』を連載していたころ、油日岳の中腹まで上ったことがある。ひょっとしてあの時・・・。





写真448.油日岳登山道
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  この前来たときは左の道から来て左の道へ入ったのではなかったか。どこかの集落から右のコースを来ることもできたのかもしれないと思った記憶がよみがえってきた。左のコースから来たとして、そのときのイメージで撮ったのがこの写真。
  帰ってそのときの写真を探しだした。(2009年7月27日)。例の市道云々はないがコースタイムの時間も同じだし、背後の木の形も同じ。間違いなし。それにしても何でこんな真夏に遠望を考えたのだろう。ネタに困っていたのかもしれない。 2枚並べて比較をどうぞ。全くの山カンで撮ったのだが、意外とよく似たアングルで撮っているものだ。




地図017C.杣川源流付近地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  2009年のコースは地図のA点からクルマで入った。一車線の林道である。対向車が来たらどうしようもない道だったが、X状のクロス(P点)のところだけは余裕があった。クルマを止めて写真を撮ったのだろう。右側からも入ることができたのだなと思った記憶がある。撮影したのは、P点からさらに1.7Kmほど入り込んだところ、地図で読むと標高323mの場所である。そこだけ林が途切れて振り返ると三上山が見えた。いま地図で見ると小さなダムがある。それによる展望だったのかもしれない。山頂まであと1.5Kmほど。あと1時間もあれば登れたはず。そのときなぜ登らなかったのかと悔やまれる。




写真449.中津古橋
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 少し行くと森を抜け、すぐそこに橋が見える。これやな。その向こうに油日岳。ヤッタ!、ネームプレートがついている。橋の名は中津古橋、それよりも何よりも川の名が杣川。間違いなし。こういうネームプレートはあり難い。名前が分かるのとそうでないのとでは達成感がまるで違う。





写真450.上流側
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 あとは地図で納得するしかないが、数年前この上流で三上山を撮った。あのX字型の十字路が間違いない生き証人。あの時はクルマで上った。残念ながら今はその勇気はない。








写真451.下流側
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 下流側。左の松の木の影にゴルフ場が見える。

  写真452.油日岳
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 油日岳が真正面に見える。









写真453.中腹から見た三上山
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 そのときのあいあい滋賀『三上山物語』への掲載写真。このときは撮影場所が杣川源流などとは何も意識していなかった。ただ油日岳中腹から三上山が見えるそれだけだった。人間意識するかしないかでものの見え方が変わる。別バージョンをもう1枚






地図018.杣川源流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 杣川源流部の流域図である。油日岳山頂付近から流れ下る杣川に、この地図(国土地理院Web地図)において名称が明らかになっている河川で、最初に合流してくるのは青野川である。そういう意味において、青野川合流以前の純粋な杣川のみの流域を”杣川源流域”とした。北側と南側のそれぞれに1か所赤丸印Aと同じく丸印Bを示した。○AB拡大。これは、それぞれの隣の河川との間につくる狭隘部である。分水嶺がそこを通過しなければならない絶対条件を有する箇所であることを示している。
 油日岳の東側の稜線に赤三角を付した。これは先刻ご承知の通り、杣川流域と櫟野川との分水嶺が県境稜線から離れていく点である。いわば”杣川・櫟野川分水嶺別れ”ということになろうか。これが油日岳からの直線距離280m、稜線伝いに歩いてもおそらく300mほどであろうと考えられる。杣川の源流域面積に比して、極めて短距離であるところが面白い。もうすんでのところで、これがゼロになるところであった。山麓に油日神社を有し、山頂も岳大明神として油日神社の奥宮に当たる。その油日神社がよって立つ杣川源流域が県境稜線にわずか300mしか接していないという不思議さに驚く。もしこれが仮にゼロになれば、杣川自体がこのレポートの対象から外れるという大事件になるところだった。



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