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S13.杣川源流を遡る

S1300. 杣川源流域概観

取材:2017.11/12
初稿UP:2018.01.15


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地図016.杣川上流地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 杣川は、JR草津線・三雲駅から約2Km上流の地点で野洲川と別れてから、同じく油日駅付近までは同線並びに杣街道(新海道)とつかず離れずほぼ並行する形で遡る。同駅を過ぎたあたりで、杣川は杣街道・草津線から離れて油日神社の方へ向かい、変わって青野川が杣街道と並行するようになる。
 地図を一見する限り、杣川は油日神社付近が源流のように見えるが、拡大してみると油日岳の北西面が源流であることが分かる。一方、三重県側では南西に向かて倉部川が流れ下る。油日岳を基準点として見るとき、杣川は北西へ、倉部川が南西へ、南北対称の図式が出来上がる。これら2つの流れが下流の京都府、例の三川合流のところで出合うという面白いドラマを生む。




地図017.杣川上流地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  杣川は、三雲からずっと杣街道と寄り添うように遡ってきたが、甲賀町上野・油日駅のはずれあたりでまず杣川が北へ向きを変え、分岐Aで五反田川を右に分岐したあと、JR草津線、県道4号とクロスし、分岐Bで青野川を右へ分岐する。杣街道はその後この青野川と並走してさかのぼる。一方、杣川は県道131号と並走する形で油日神社付近にいたり、油日岳北西面の谷筋へ遡っていく。川と道路の組み合わせが劇的に変化する面白いゾーンである。







地図017A.杣川上流地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  S1201Aの項で歩いたところである。そのときは油日農協前から地図の赤線のコースをたどって集落を抜けこの青野橋へ出てきた。今回は杣川をさかのぼる立場である。川は y字を裏返したかたちに分岐し、道は X字型にクロスしている。なんとまあややこしい。
  杣川を遡る立場からするとまず出会うのが県道4号バイパス”新油日橋”である。それを越えたところで右へ青野川を分岐する(実際は青野川が合流してくる)。その次に一応杣街道として歩いたコース(市道青野道路)に架かる青野橋。上から見て大騒ぎしているわけだが、川としては青野川を右へ分岐しただけ、何事もなかったようにそのまま直進していくのである。



地図017C.杣川源流付近地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  油日神社横から山中へ入ったところの、登山道関係図である。2009年のコースは地図のA点からクルマで入った。一車線の林道である。対向車が来たらどうしようもない道だったが、X状のクロス(P点)のところだけは余裕があった。クルマを止めて写真を撮ったのだろう。右側からも入ることができたのだなと思った記憶がある。撮影したのは、P点からさらに1.7Kmほど入り込んだところ、地図で読むと標高323mの場所である。そこだけ林が途切れて振り返ると三上山が見えた。いま地図で見ると小さなダムがある。それによる展望だったのかもしれない。山頂まであと1.5Kmほど。あと1時間もあれば登れたはず。そのときなぜ登らなかったのかと悔やまれる。




地図018.杣川源流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 杣川源流部の流域図である。油日岳山頂付近から流れ下る杣川に、この地図(国土地理院Web地図)において名称が明らかになっている河川で、最初に合流してくるのは青野川である。そういう意味において、青野川合流以前の純粋な杣川のみの流域を”杣川源流域”とした。北側と南側のそれぞれに1か所赤丸印Aと同じく丸印Bを示した。○AB拡大。これは、それぞれの隣の河川との間につくる狭隘部である。分水嶺がそこを通過しなければならない絶対条件を有する箇所であることを示している。
 油日岳の東側の稜線に赤三角を付した。これは先刻ご承知の通り、杣川流域と櫟野川との分水嶺が県境稜線から離れていく点である。いわば”杣川・櫟野川分水嶺別れ”ということになろうか。これが油日岳からの直線距離280m、稜線伝いに歩いてもおそらく300mほどであろうと考えられる。杣川の源流域面積に比して、極めて短距離であるところが面白い。もうすんでのところで、これがゼロになるところであった。山麓に油日神社を有し、山頂も岳大明神として油日神社の奥宮に当たる。その油日神社がよって立つ杣川源流域が県境稜線にわずか300mしか接していないという不思議さに驚く。もしこれが仮にゼロになれば、杣川自体がこのレポートの対象から外れるという大事件になるところだった。




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