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S10.和田川流域

S1001. 和田川を遡る

取材:2020.10
初稿UP:2021.12.31


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地図003.和田川源流流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  A点、川も道も賑やかなところである。道路は5差路、橋は2本、杣川の立場からいえば2本の橋のすぐ上流で和田川と合流し、少し下流で中川と合流する。(注:中川は短い川で流域は県境に達しない)。2本橋のうち下流側は名票なし。道は甲賀町毛枚に通じている。上流側が新高橋、県道135号が通っている。このまま南西へ進むと、上馬杉の油日神社、浅野川源流部に通じる。
  和田川はいったん道から離れるが、下出・中出集落あたりで、JR油日駅近くの踏切からやってくる県道51号と出合う。B点は中出集落の上流側である。



1.A点付近
写真001.無名橋
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  下流側の無名橋から杣川の下流側を見たところである。平地から深く掘り込まれた底を流れている。堤防が築かれ、それを越えるためには必ずそれなりの登りを必要とする琵琶湖近くの流れとは様子が異なる。
  無名橋全景である。ガードレールと柵が二重になっている。ネームプレートはついていない。




写真002.無名から上流
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  無名橋から上流側を見たところ。橋は新高橋。現場に立つともっと近く迫力がある。県道135号が通っている。このまま右へ進むと、上馬杉の油日神社、浅野川源流部に通じる。
  あとで橋の名を”新高橋”と見たとき、”ほー、ニイタカハシ”か、と思ったが、正解は”しんたかはし”だという。だとしたら上流側のでかい橋(県道135号)が”シンタカハシ”なら、下流側のいま立っている橋がただの”タカハシ”じゃないかと思って見たりしたものだが。




写真003.新高橋
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  新高橋から杣川上流を見たところである。ネームプレートには”杣川”とあるのだが、手前にススキが光っていて、奥のプレートが陰になっている。現場で肉眼でははっきり見えるのだが、写真になると何んとも困ったものだ。ススキを除ければ何とかなるが、せっかくきれいに咲いているのだし…。
  杣川が一直背縁に上流に向かう。真正面のいちばん高い山が油日岳693m、左に鞍部があってその次に高いのが那須ヶ原山800m。?. おかしいじゃないか。那須ヶ原山が100mも高いのに低く見える。那須ヶ原山が油日山より遠くにあるので低く見えるのである。
  ちょっとくどいけど、現場から油日山までの距離が5.27Km、那須ヶ原山が7.08Km。それぞれの距離に対する高さの割合をとってみると、
      油日岳  →693/5.27=131.5
      那須ヶ原山→800/7.08=113.0
  ということで油日岳が高く見える。なお、この数値は地球の表面が平面だとしての話で、実際は地球の表面が球面だから遠くの山ほど沈み込んでいくので、那須ヶ原山の方の数値がもっと小さくなる。




写真004.合流点
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  新高橋上から見た二川の合流点である。左が杣川、右が和田川である。和田川は左岸(下流を向いて左側・いまの場合は画面奥から手前に向いて流れてくる。川の右側が左岸)が森でふさがれ近づくことが難しい。和田川の上流側をもう1枚







2.B点付近

  地図で見ると五差路から杣川沿いに県道51号へのショーットカットがあるが、一車線で離合困難を思わせる。和田川沿いなら無理をしてと思わないでもなかったが、この際無理はよそうと、いったん踏切までバックしてそこから県道51号を折り返す。


写真005.中出集落付近
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  杣川を渡り、中出集落に近づくところで、右手から和田川が近づいてくる。小さな集落ですぐにはずれへ出るが、地図で見ると県道の右手、和田川までの間にちょっとした空き地がある。撮影予定地で狙いをつけていたが、空き地の半分にソーラーパネルがセットされていた。斜めから見下ろすことになり、川の流れは見えない。画面左が上流側である。





地図004.和田川中流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  左の地図にある”甲賀町和田”あたり、山間の静かな集落である。川の名称に”和田川”とあるように、このあたりの中心的な存在といえよう。両側を山に挟まれた山間平野の山裾に和田川と県道が細々とつながっていた。
  ”甲賀町和田”の文字の右上に寺院マークが見える。その寺院が”浄土宗善福寺”とある。









3.C点付近
写真006.山蔭の川
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  善福寺の前がちょっとした広場(写真A)になっていて、そこで県道に和田川が近づいてくる。写真Aの電柱が立っているあたりから和田川を見たところ。写真Aのミラーカーブの向こうに、写真006の小屋が見る。画面左が上流側である。







4.D点付近
写真007.かめかわばし
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  左手に赤い橋が見えてくる。橋にかかるまでの間に小さな空き地がある。赤い橋といっても、赤茶色といったほうが正しい。白いガードレールの上から素人が塗りなおしたのだろう。それはいいとして問題は橋の名前である。”かめかわばし”とある。普通に理解すれば”亀川橋”だろうが、川そのものは”和田川”のはずだ。どう考えればいいのか。何かソレにまつわるものはないかと周りを見ても神社があるわけでもない。山と田んぼだけ。これだけは手の出しようがない。




写真008.上流を見る。
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  上流側、深い谷である。白サギが一羽、餌をあさっている。シラサギにすれば両側は深い斜面で防空壕に入っているようなものだ。橋の上で少々動いても飛び立とうともしない。こちらもしびれを切らせて”かめかわばし”の名票を撮っていたら、その間にいなくなっていた。

  写真009.下流側を見る
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  ”かめかわはし”の上から下流側を見たところ。左側に走ってきた県道の柵が見える。川は低いところを流れている。




5.E点付近
写真010.富士スタジアムGC
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  谷を渡るブリッジが現れる。地図に”富士スタジアムGC”とある。その下の道をたどると正面入り口に至る。向かいの山への連絡橋らしいが、地図には表示がない。ゴルフにはまったく関心がないので事情はわからない。







写真011.上流側を見る
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  桜の木に見えたが、正しいかどうか。それに日が当たっている。和田川は大きく右にカーブしていく、川の面には光が当たらず、暗く沈む。

  写真012.下流側
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  富士スタジアム正面に向かって左側である。和田川のそばまで竹ヤブがあって秋の光を遮っている。暗い影の中を流れてくる。川面表面がきらきら光る。






6.F点付近
写真013.ペア池付近
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  ここはE点の上流側である。川面は影になって見えない。田んぼの向こうに見える白い橋が、E点の富士スタジアムGC連絡橋である。県道を左へ折れたところで、道の両側に同じ大きさ相似形のペア池がある。名称は不明である。下流のE点から見て上流側、サクラ木群を越えたところである。





写真014.右池
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  県道51号から左折してすぐ右側に見える池である。ススキの向こうに白鳥がいる。何でこんなところに白鳥がいるのか知らないが、ワープロもびっくりして ”は区長” と出した。よっぽど慌てたのだろう。







写真015.左池
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  県道51号から左折して左側に見える池である。池は道路に対して左右対称的な位置にあるわけではなく、テレコになっていて、回ってすぐ右側が右池。左池は右池が過ぎて、和田川をまたいだところの左手に見えてくる。池の向こうに県境の稜線が見える。右から3分の1ぐらいの場所に、”三ツ頭”が見える。真ん中の三角形のピークを中心として、左右に対照的な出っ張りが見える。全体で見れば王冠を見るような。このあたりを走っているとときどき見えるのだが、このようにピシッと決まった場所に見えるのは珍しい。JR油日駅から下流側の田堵野あたりから見た三ツ頭。



写真016.上流側
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  右池の白鳥からも分かるようにこのあたりはちょっと公園風な雰囲気を持たせているのだろう。山の裾を流れる和田川は階段を流れ落ちる。この川としては珍しいことである。下流側は合流点からここまでずっと地表よりかなり低いところを流れていたのだが、ここへきてかなり地表に近いところを流れるようになる。その段差を一発で落とすのではなく、階段でというわけ。水面がこうして太陽に光を受けて輝くこと自体珍しいことである。




写真017.鳥の巣?
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  左の山裾からちょろちょろと水が流れこむ。右の方から流れ込む(というほどの流れではないが)のが右池からの流れのようだ。鳥小屋のようなものがセットされているが、小屋に入口がない。全く意味不明。なんやろこれは?。







地図005.和田川源流流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  ペア池から県道51号に戻る。地図に”小林”とある山地を右に曲がるあたりで、サルが群れをなして遊んでいた。何匹いたか。山から道へ出入り自由だからカウント不可能。馴れたもので別に逃げようともしない。
  G点は、浅野川源流の方からやってくる道路との三叉路である。このあたり、幅100mたらずの山間平野が田んぼになっており、和田川は向こう側の小山の裾を流れている。県道から肉眼で見たのではその存在すら認められない。






7.G点付近
写真018.三差路
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  浅野川源流へつながる道路との三差路である。左へ曲がるのが三重県との県境(和田川源流)へ向かう道、右奥へ向かう(クルマが見える)のが浅野川源流への道。ここは言うまでもなく和田川流域である。実は今回の和田川沿いの県道51号を遡る前に、浅野川を取材していた。源流部の森の中の小さな峠を越えて出てきたのがこの三叉路だった。あまり深くも考えず、「県道51号越え」を浅野川源流域だと考えていた。
  しかし、いまこうして和田川をトレースしてみると、ここが和田川の源流部であることがはっきりわかる。D点の三叉路の標高が226m、そこから北西へ450mほど入った道路の終点(Q点)あたりが243m、17mほどQ点のほうが高い。そして、いわゆる道路はそこで終わりになり、あとは林道になってだらだらと下がっていく。そういう意味でQ点は峠だったのである。そして地図をしげしげと読んでみると、県境上のP点(標高270m)を始点としてPQRと流域境界線が伸びていく。浅野川源流域から和田川流域へ出るためには、当り前のことであるが、Q点という森の中の小さな峠を越えなければならなかったのである。情報は 1 方向からのものだけではダメである。最低でも2方向、可能ならそれ以上のものをつき合わせて初めて正しい見方ができる。
  上の写真018で、画面奥、右半分に見える稜線が、地図005で示されている”流域境界線”(浅野川と和田川との分水嶺)である。森の中の小さな峠はこの右奥にある。



8.H点付近
写真019.H点三差路
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  G点の三叉路から県境に向かう。地図のH点のところがまた三差路になっており、そこに常夜灯が立っている。このあたりところどころに建つ地域名の標識に”高嶺”とある。建物のない三叉路、石灯籠が建っている。
  この写真から022までの4枚は、2020年6月の”浅野川流域”取材のときに撮影したもの。三差路の奥の田んぼが緑である。



写真020.金刀比羅宮
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  近寄ってみると”金刀比羅宮”と刻まれている。ちょっと離れすぎているが、昔は何かつながりがあったのだろう。








写真021.道路沿いの水田
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  県道51号道路沿いから、下流側を見たところ。道沿いにサツキの花が咲いている。
  写真の右上に小山と竹藪がありその縁を和田川が流れている。しかし写真には川があるようには見えない。画面奥、横一列に並ぶ家並が、県道沿いの集落。左奥が三叉路。






写真022.上流側を見る
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  同じ場所でカメラを右へ回して、上流側を見ている。左上の山が、上の写真で右上に見えていた山。まあ、早い話が現場ではこの山が真正面にどーんと見える。その山のふもとまでおよその距離70m。







9. I 点付近
写真023.和田川始点
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  H点を過ぎてほんのわずかで、左へ折れる三叉路がある。上の写真の山裾あたりだが、写真で見るのと現場へ行ってみるのとではイメージが異なる。写真ではちょっとした広場が見えるが、現場ではその広場の左側になる。こちらからでは山の陰になっているのかもしれない。
  この溝が和田川の源流である。H点からの写真では道が見えているが、現場でこの道も見えない。中流以降の地面から深くえぐれた谷筋のイメージはない。




写真024.同じ場所から
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  同じ場所でもう1枚。桜の木に沿って少し奥(距離にして20mほど下流側)へ入ってみた。溝(和田川源流)が右へ折れて姿を隠す。桜の木の向こう、杉の林の左下に何か枠のようなものがあって、道がそこまで来て途切れている。すぐそこだから、行って見ておけばよかった。左端山蔭に写真020の金毘羅宮常夜灯が小さく見える。灯籠のところからこちらが見えていたということだ。




写真025.道の奥
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  溝が道の下をくぐって反対側へ出る。田んぼの間を割っていくのだが、草が生えて川には見えない。普通は山腹から流れ下って来るものだが、この源流はどこなのか。全く不明。







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