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1.馬場出越え・2 写真001.太子橋前 T 字路 野川南交差点から県道134号を1.4Km、信号がない交差点。ここを右折すると太子橋である。 写真002.太子橋右折してすぐ太子橋にかかる。このあたりで一番しっかりした橋である。橋を渡るとすぐ左へカーブしながら登りにかかる。 写真003.橋を渡る カーブにかかるところに横断歩道がある。何のためかと不思議に思う。ひょっとすると通学路かもしれない。しかし学校そのものがどこにも見当たらない。 写真004.大きなカーブ山の中の何もないところである。大きなカーブが右左。 写真005.左カーブ 旧道とクロスするまで、左へカーブしながら、その先が下りになるのか。それともカーブにかかるまでが登りで、カーブにかかるまでが水平なのか。肉眼で上り下りを見極める難しさ。 写真006.わずかな下りほんのわずか下り勾配。画面左端に道路標識とガードレールが見える。クロスする旧道らしい。 2.峠の交差点 写真007.新旧クロス 新旧クロス地点を上から見下ろす形になる。 写真008.緩斜面の上から緩斜面の上から真正面に十字のクロスを見る。左から急斜面を登ってきた旧道。クロスしてすぐ右が旧道の県境(切通し)である。 写真009.新旧十字交差 こんな山の中で新旧2本の道路が十字にクロスする。珍しい風景である。左側に道路標識が見える。アップすると何とか内容が読める。現場は”甲南町上馬杉”。左へ行けばその上馬杉。さらに右へ行っても直進しても阿山町(三重県)だという。 写真010.旧道を横切る 旧道との交差である。左から上ってきた旧道の勾配が見える。なるほど急勾配である。右へ行くと旧道の切通。三重県との県境である。 3.峠のひろば 写真011.峠ひろば 十字路を越えてすぐ左側に公園がある。”峠ひろば”−グランドゴルフ場ー上馬杉グランドゴルフ愛好会とある。道路沿いの生垣。 写真012.集落俯瞰峠の広場から上馬杉の集落を俯瞰する。 4.県境 写真013.県境 ”峠ひろば”を過ぎて少し行くと三重県との県境、本稿のテーマである。旧道とのクロスから170m進んだところで、”伊賀市”との標識が立っている。何にもないところである。標識がぽつねんと立っているだけ。クルマもほとんど通らない。ましてや人は通らない。 写真014.滋賀県側 去年の秋、このあたりはどうなっているのだろうと、下見のつもりで遊びに行った。県境と道路が斜めに交わっているので、三重県の”伊賀市”の標識に対して、滋賀県側の”甲南町”の標識は、少し十字交差点寄りに立っていた。道路の向こう側に見える桜の紅葉は、峠ひろば、グランドゴルフ場である。 写真015.手力社へ九丁? 今回行ったときにはここのところで草が枯れていて石標が読みやすかった。”是より手力社へ”とあって、その下に”九”と読める。”九丁”と続いているのかもしれない。 単純な道を手力神社へ向かって走るだけ。 写真017.手力神社へ 県境にあった石標で手力神社まで「九・・・・」という。多分、九丁のことだろう。私は「九丁」の距離が何となく体で感じられる。小学校6年生までこの「丁」という単位を使っていた。あの戦争の末期、5年生の3月末から6年生10月までの半年間、集団疎開で京都府乙訓郡奥海印寺村(当時)の柳谷観音(寺院名は楊谷寺)で生活をしていた。本来なら6年生になった4月からという話だったが、3月10日に東京が、14日に大阪が夜間爆撃を食らった。京都も危ないというので、急遽3月25日の出発となった。 写真018.手力神社へ *道は観音さんの参拝道である。 1 丁ごとに石標が立っていた。18丁で麓につく。 1 丁の距離が100mやなといつのまにか体でおぼえた。細かいことを言わなければ、手力神社は県境から900m、およそ 1 Kmのはずだ。 5.手力神社 写真019.手力神社へ 県道50号との T 字路である。手力神社はそこからわずか右。 写真020.参道入り口県道50号と参道との T 字路である。手力神社はこの奥。もう 1 枚。。 写真021.忍びの里甲賀・伊賀 神社の名前は、”たじから-じんじゃ”かと思っていたが、”てじから・・・”だという。文字の部分拡大。祭神は”あめのたじからおのみこと(天手力雄命)だから、神社の名前も”たじから神社”かと思ったが、神社名は”てじから”だという。難しい話だ。 |
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