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S09.浅野川流域

S0901D. 浅野川を遡る・D

取材:2020.06
初稿UP:2020.07.25


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  ”浅野川を遡る・C”と”D”との間に丸2年の時間が経過している。”浅野川を遡る・C”は2018年06月に取材して、同じく07月にUPしている。そのあと結核であることが発覚、8月13日に、八日市の東近江総合医療センター隔離病棟に入院。退院が12月10日だった。
  その後2年半、2021年6月まで、草津保健所の管理下にあり、自宅での療養が指示されていたが、もうあと1年であり、無理さえしなければ大丈夫だろうということで、そして今回2020年06月に太子橋から上流を取材したが、油日神社など、周辺の風景は2年前と全く変化なし。楽しみながら取材ができた。

地図006.浅野川源流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  浅野川源流である。川としては甲南町野川から同下馬杉・上馬杉へとさかのぼる単純な流れであるが、並行する県道134号と合わせて見ると結構面白い風景が見えてくる。このコース、ほとんどが新道に置き変わっているが、以前の古い道いわゆる旧道がまだかなりの部分に残っている。
 また、滋賀県甲賀市・三重県境の特徴といえるのだが、川の上流と県境が並行する形がここでも見られるのが面白い。








1.太子橋三叉路
写真067.T字路
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  右折レーンがある広いT字路へ出る。右折してすぐ太子橋を渡る。そのあと、左へカーブしながら山の中へ入って行く。1Kmほどで県境を越え、山出・東湯舟などの集落へ出る。今回は山道は取らず、浅野川をさかのぼる。

  写真068.上流へ
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  太子橋から上流を見たところ。写真で見れば右側、上流から見て左側、いわゆる左岸だけが舗装されている。両橋間の距離、120m。







写真069.針間橋
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  小さな木に囲まれた針間橋。県道134号と浅野川の間の田んぼから針間橋を見たところ。そのあといったん134号へ戻り、針間橋に近づく。(後ろが134号)。

  写真070.宮の前橋
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  左の道が県道134号。横断歩道が見えるところが、油日神社の正面に当たる。その道がまっすぐ伸びて宮の前橋にいたる。その間、県道と浅野川との間に、でんと構えた2階建ての家がある。お宮さんに関係した何かかと思ったが、いまは特別関係はないらしい。宮の前橋を渡った道は、峠を越えて三重県へに入る。




写真071.宮の前橋
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  宮の前橋を渡って奥のほうを見たところ。

  写真072.宮の前橋上流側
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  宮の前橋から上流側を見たところ。流路にはヨシが生えて、水はもう見えない。城出橋から下流側(宮の前橋)を振り返ったところ。







写真073.城出橋上流
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  城出橋(じょうではし)から上流側を見たところ。M型の堰堤があり、それに板を落とし込んで、水位の調整をする。極めて簡単なわかりやすい方法である。もう1枚。ダムにたまった水を、両側の田んぼに送水する。角度を変えて見たところ。軽トラが走っているのが県道134号。

  写真074.大谷橋に近づく
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 城出橋から上流へ向かって、右側(上流側から見て左岸)堤防を歩く。









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  写真075.肌色の建物

  宮の前橋、城出橋あたりから見て川の突き当り右側に見えていた肌色の建物。大谷橋の右手に近づいてくる。左外が大谷橋。

  写真076.大谷橋上流側→

  大谷橋から上流側を見たところ。徐々に左へ曲がっていく。同じく下流側を見る。河床いっぱいにヨシや雑草が背伸びをしている。




地図007.大谷橋から暗渠まで
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  太子橋から川伝いに大谷橋まできた。太子橋三差路からここまでは、県道と川の距離も近く、どちらかを好きに選んで歩けばよかったのだが、ここからは県道との距離も遠くなり、堤防も歩きにくくなる。とりあえず農道を歩いて県道へ。右折してすぐ”飛び出し坊や”のところで、旧道へ入る。旧道から大谷橋を見たところ。




写真080.岡の下池碑
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  飛び出し坊やのところから旧道へ入る。道がだらだら下りになる。ひょっと斜面を見上げると石碑が建っている。”岡の下池”までは読めるが、その下が読めない。
  池の記念碑であることは確かだけれど、周りを見回しても、その池がどこにも見えない。新道の向こう側に水平な堤防の線が見える。あれらしいな。でも妙なところへ碑を建てたもんだ。





写真081.栢ノ木橋
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  大谷橋を過ぎたところから、川は旧道に近づいてくる。一番近いところに栢ノ木橋(かやのきはし)がかかっている。すぐ上流側に落差工が見える。次の暗渠まで流れは一直線である。それは”浅野川”とある視点から見るほうがはっきり見える。
  地図を見ると、川は広い谷筋の中央を流れているように見えるが、実際は、この欄の写真で見るように、流れの南側は山である。




写真082.旧道別れ
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  左が旧道。まっすぐのびて、県道135号へ戻る。右へカーブしていくのが里道。県境までこの道を歩く。

  写真083.我が家への坂道
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  坂道が左へ分かれていく。斜面の上に民家があってそこへのアプローチ。地図で見ると家は3軒。それぞれにこの導入路がついている。






2.イノシシ除けネット
写真084.T字路
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  いつの間にか田んぼにネットがかかり、T字路が右へ分かれている。ネットの上に油日岳が現れる、と思ったのだが、油日岳は単独峰である。たとえば神社の前の遙拝所からの写真、そこからさらに谷筋へ入ったところから撮ったもの、どちらもシャープな単独峰である。見えているのはいわゆる三ツ頭らしい。






写真085.右を見る
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  T字路に立って右を見たところ。左側の田んぼにはネットが張られている。いままで歩いてきた右側の田んぼにはネットなし。道路の舗装はなし。右の田んぼの奥に道と同じ高さの美しい低い堤防が見える。これが浅野川である。橋は見えない。

  写真086.下流側を見る
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  浅野川と交差するところまで進んで、下流側を見たところ。橋はない。暗渠になっている。川を越えた左岸の田んぼは高くなっている。三叉路から見たときは、この段差が見えていた。






3.暗渠に入る
写真087.上流側を見る
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  こちら側はネットが張られているが、目が大きいので、撮影は可能。川は暗渠へ入って行く。

  写真088.少し離れて見る
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  真正面からでは奥行きが見えない。農道を少し戻って暗渠を見る。その入り口が小さな三角形に見える。後ろの山が田んぼ側へ崩れてきて、その部分を改修するときに暗渠にしたのか。奥の杉林の処は事故なし。手前の雑草が生えている部分が土砂崩れのところと考えると意味が分かってくる。というと暗渠はどこまでか。畦道を歩けると直接その部分が見えるのだが。



写真089.暗渠はどこまで?
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  暗渠はどこまでか?。
 右側の田んぼが、ネットで囲まれた最初の田んぼである。突き当りの草刈りが行われている部分が暗渠、その次のイネが植わっていない田んぼの部分の盛り土に、木や草が生えてほったらかしという感じ。この両者を潜り抜けて暗渠が終わるのが一番理解しやすい。地図を見ても川が消えているのはさして長い距離ではない。




地図008.T字路から県境まで
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  地図の左上、赤色で”T”の字を埋め込んだところが、ここでいうT字路のところである。そこから上流へ進むと、直進する道は左側の谷に入る。道は左へ曲がった後右へ分かれる。左に小屋Aが見えてくる。T字路からも見えていた小屋である。










写真090.小屋A
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  右の田んぼが休耕田。左側の小屋Aが、T字路からネット越しに見えていた。田んぼは1枚ごとに高さを上げていくが、道を歩く範囲では。ほとんど勾配感はない。








写真091.暗渠
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  右が休耕田である。左が現役。1m近い段差がある。その間、陰になっていて分かりにくいが水面が見える。うっかり考えていて、浅野川本流から支流が流れ出てくる(要するに奥から手前へ流れ出る)のだと考えていたが、地図を読むと谷筋を流れ出てきて、手前後ろから画面奥の浅野川へ流れ出る。
 この水が浅野川に流れ込むには、突き当りが暗渠では成り立たない話で、突き当りの部分で、暗渠は終わりになっていると考えられる。




写真092.小屋 X
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  写真090の田んぼの奥、山のふちに小さな小屋Xが見える。その小屋と同じ高さまで登って、真横から見たところである。
  地図を見れば小屋Xのこちら側に小屋Bがあるはずだが、Xにばかりに気を取られていて、小屋Bの写真はいくら探してもない。撮影して来なかったらしい。X を撮るときに小屋Cを意識した記憶はあるのだが。
  小屋Xとしたのは田んぼの向こう側という意味である。こちら側のルート沿いの小屋はA,B.Cの順でナンバリングした。




写真093.小屋C
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  小屋B,小屋Cと道は直線でつながる。左の写真には小屋Cが写っている。ここを過ぎると道は緩く左へ曲がりだす。

  写真094.水が枯れた田んぼ
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  フェンスの網目が大きい。何気なしに撮ったのだが、よく見ると水が枯れている。部分的なものかと思ったが、端の方でも枯れていた。こうなると、素人はどう考えていいのかよくわからない。これで問題なしなのかどうなのか、素人には何ともわからない話ではある。




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写真095.小屋D

  小屋Cを過ぎた後、道はゆっくり左へ曲がっていく。そして曲がりなおす辺りに小屋Dが見える。

写真096.水平線→

  道の左側にネットから少し離れて水平線が見える。貯水池らしい。



4.柳谷池開鑿碑
写真097.柳谷池開鑿碑
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  上の水平線が見えたところから、そこそこの距離歩いてから、この石碑が現れた。最初の方の”岡の下池”碑も、現物の池は、碑から道を越えた反対側にあった。ここはそんな癖があるかなぐらいに考えて、とにかく写真だけは撮っておこうかで帰ってきた。







写真098.柳谷池
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  帰って柳谷池を探してみた。なんと、ほとんどこのコースの終わりに近いところから、南へ谷筋が伸びて、まさにそのものずばりの柳谷池とあるのに気がついた。その柳谷池への道がこの道だとするとつじつまが合う。川の流れもここで柳谷池への流れと別れると考えると話が早い。
  この浅野川の源流はどちらか。というのはいまの谷筋の源流が尽きるところを源流とするか、いまの柳谷池を源流とするかである。しかし、よく考えてみると池には必ず流れ込む流れがあって、流れ出る流れがあるわけである。池が流れの最高点というわけにはいかないはずである。
  しかし浅野川源流はとっくに田んぼの向こうに見えなくなっている。例の暗渠のところで、流れは見えなくなっている。たぶんそこに流れがあるという予測の下に歩いているだけの話である。現実問題としてはネットがなければ何とかなるのだが。




写真099.アザミ
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  もうほとんど最高点に近い。田んぼの段差の部分にアザミが咲いている。

  写真100.オタマジャクシ
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  田んぼのふちに水たまりがあって、そこにオタマジャクシが遊んでいる。








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写真101.小屋E

  山の間隔が狭くなってきた。右の田んぼが最後のものだ。浅野川は田んぼの向こうがわ山の端を流れているはずだが姿は見えない。ネットがなければ見えるのだが。

写真102.小屋F→

  田んぼはなくなる。緩い左カーブのところに小屋が2つ。小屋というより物置に近いけれど。



写真103.森に近づく
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  森に近づく。ネット内側は畑というより荒れ地である。手はつけられていない。

  写真104.森に入る
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  森に入る。数10m進んだあたりから道幅が広くなり舗装道路になる。そのあたりの高さがいちばん高く、あとは森を出て県道51号との三叉路まで緩い下りが続く。大げさな表現をすれば、森の中で舗装が始まったあたりが峠であったといえる。




5.浅野川源流部
地図009.浅野川源流部地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  上馬杉の油日神社前からずーっと浅野川の源流を遡ってきた。といってもそんなにきつい勾配ではない。田んぼ1枚について1mぐらいか。歩いていてもほとんど勾配を感じないぐらいである。そうして最後の森に入る。上述したように数10m歩いたところで、道路の幅が広くなり、舗装道路に変わる。道はそのあたりがいちばん高く、そのあとは緩い下りに変わる。、森を出てからも緩い勾配は続き、そのまま県道51号との三叉路まで。森の中で、地道が舗装道路に変わった最高点、そこは一つの峠になっていたのだが、その時点では、ただの偶発的な道路の最高点だとしか理解できていなかった。そして、県道へ出てからもそこはまだ浅野川流域にいるのだと思いこんでいた。




写真105.県道へ出る
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  森の中の峠から下ってきて、県道51号との三差路に出るところである。県道がL字型に曲がるところへ峠から下ってきた道が交差し、T字路になる。右が県境。田んぼの奥の山陰を和田川(右が上流)が流れる。
  この時点ではまだこのあたりは、浅野川の源流域だと考えていたが、このあと、和田川を遡ってみて、ここは和田川の源流域だということが分かってきた。物事を見るには1つの方向からだけではだめで、複数の立場で見なければならないこと改めて思い知ったことだった。




写真106.県道側から
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  県道から峠への進入路を見る。広い道だが、クルマはめったに来ない。突き当り正面に掲示板があって、”愛郷心で美しく心のふれあうまち高嶺”とある。
  後で分かることになるが、ブルーの看板の奥、山裾に民家が2軒見える。その背後の杉林の尾根が浅野川流域と和田川流域との分水嶺である。稜線の奥が浅野川流域。手前、すなわち見えている範囲はすべて和田川流域である。





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