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S09.浅野川流域

S0901C. 浅野川を遡る・C

取材:2018.06
初稿UP:2018.07.25


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地図003.浅野川上流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  浅野川上流である。川としては甲南町野川から同下馬杉・上馬杉へとさかのぼる単純な流れであるが、並行する県道134号と合わせて見ると結構面白い風景が見えてくる。このコース、ほとんどが新道に置き変わっているが、以前の古い道いわゆる旧道がまだかなりの部分に残っている。
 また、滋賀県甲賀市・三重県境の特徴といえるのだが、川の上流と県境が並行する形がここでも見られるのが面白い。









11.野川南交差点
写真049.野川南交差点
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  このあたりの中心的な交差点である。ギリシャ文字のΨの字を上下逆にしたような形をしている。いちばん基本的な道路としては柑子の”右いが上野”道しるべから下野川に入って峠越えをしてきた道路が北から南へ突き抜けていたのだろうが、それにいろんな県道が絡んできてこんな格好になったのだろう。現在の基本道路としては県道775号が北から南へ抜ける。先ほども書いたが、この道路は交差点を越えたあと800mばかりで県境を越える。いずれこの道路も「玉瀧越え」としてレポートすることになる。一旦775号に吸収された134号がここで復活して、元のサヤに納まるように浅野川と並行するようになる。ここらのところが何とも楽しい。もう1枚。右の白いクルマが775号のルート。左の白が復活した134号。まっすぐいく行くのが旧道。



写真050.大神宮常夜灯
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  上の野川南交差点の片隅に立つ”大神宮常夜灯”。以前伊賀街道を歩いたときに、県道4号野田交差点の近くでお伊勢参りの”参宮常夜灯”を見た。これもおそらく同じよう旧道を照らしていたものであろう。







写真051.134号
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  県境から下ってきた775号は左へ曲がって下野川のほうへ。まっすぐ行くと復活134号が右へ曲がっていく。右側、田んぼの中に浅野川の流路が見える。

  写真052.134号
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  先ほど田んぼの中に見えていた農道橋から見た県道134号の橋。橋としてはとりたてて大きな橋ではない。







12.浅野橋
写真053.浅野橋
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  県道134号、浅野川の浅野橋。写っている橋は先ほどの農道橋。

  写真054.下流側
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  下流側を見たところ。上流側。写っている集落は下馬杉。








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写真055.高石橋

  先ほどの県道134号の浅野橋から県道で100m足らず上流側。下馬杉の集落沿いを流れていた川が県道側へ戻ってくる。大きな木があって印象的な橋である。名称は高石橋。

写真056.下流側→

 高石橋から見た下馬杉の集落。浅野橋からは上流に見えたがここからは下流に見える。



写真057.上流側
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  上流側、すぐには集落は見えない。200m足らずのところにもう1本橋が見える。










13.ファブリダム
写真058.ファブリダム
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  水道橋を越えて橋を越えると川幅が広がりファブリダムが水をたたえていた。

  写真059.道から離れる
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  川は再び道から離れる。橋につながる農道が一直線。谷筋いっぱいの田んぼに緑が濃い下流側上流側








写真060.T字路
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  右折レーンがある広いT字路へ出る。地図で予習したところでは、右折した先は山の中へ入って1Kmほどで県境を越え、山出・東湯舟などの集落へ出る。上の地図で「馬場出越え別れ」としたところである。カメラは傾いてはいないと思うのだが、右折した後の道は緩い上りになっているようである。浅野川はすぐ道路沿いを流れている。






写真061.太子橋
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  堤防といっても道と同じ高さであるが、きれいに手入れされていた。岸にはネムの花が。もうそんな時期なのだ。橋は峠へ向かう道路。しっかりした橋である。いずれそのレポートで改めて。






14.油日神社
写真062.油日神社
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  さらに200mほど進んだところ、左手に急に神社が現れる。油日神社とある。驚いた。こうしてあちこち歩きまわっていると同じ名前の神社があることはよくわかる。しかし、「油日神社」といった珍しい名の神社が2か所にあるとは思いもよらなかった。縁起書を読んでみたが、特に甲賀市の油日神社とつながるようなものはなし。それよりも、この地の起源がやはり聖徳太子だという。
  「本社ノ東北三丁目二名山太子山在リ往古聖徳太子此ノ地ヲ平定サレタ時馬ヲ杉ノ木ニツナガレシ故事ニヨリ馬杉ノ地名ガ生マレタト言ウ。」



写真063.辻月丹生誕地
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  神社の登り口に、「剣聖辻月丹資茂生誕地」とのでかい碑が立っている。普通こういう場合は、神社の境内に…というところだろうが、この神社は違う。道路から直接登り出す。まさに”登り口”なのである。そこにぐっと睨みを利かすようなでかい碑が立ち、その後ろにまた他を圧する杉が立っている。碑といえ、杉といえ、スケールが違う。碑に至っては実際に計ったわけではないが、おそらくタタミ一畳ははるかにオーバーするのではないか。
  情けないかな、読めないのである。一字一字は読めるのだがどこで切っていいのやら。剣聖までは読める。問題はそのあと、大体、剣聖といえば宮本武蔵ぐらいまで、後は基本的知識がない。それに木の影になっていて読みにくい。一字一字読み直してそれをもとに検索してみた。「つじ げったん すけもち」と読むのだとか。Wikipediaにもちゃんとアップされている。だいたいあのカタナとやらを振り回す方はどうも苦手で。野球の「サムライJapan」というチーム名が気になって仕方ないたちでして。いやいや月丹さん失礼しました。



写真064.急な石段
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  げったん生誕碑のところでも道路から少し高いのだが、そこからさらに急な階段。

  写真065.境内
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  天気のエエ日は建造物はアキマセンで、といい続けているが、まさにそんな日。ここまで登ったという証明写真。







写真066.見下ろす
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  よく考えてみれば、上がったという証明なら前の写真はいらなかった。この写真で十分。若いときは何とも思わなかったが、今になって思う。こんなとこから転げ落ちたらエライこっちゃな。
  アホな話は置いておいて、下から見上げているときは何も感じなかったが、上から見下ろして初めて気がついた。何か感じるのである。これは現場に立って見なければわからないこと。T字路に神社があることは地図を見れば分かる。しかし、現場を見る前と後とではその地図の見え方が変わるのである。
  鳥居の向こうトラックが走っているのが県道である。地図を見るとところどころでバイパスができた跡が残っているから、昔からの幹線道路だったのだろう。その幹線道路から直角につながる道、それが県境へ向かう。大事な道路だったが、いまは別に先ほど見て来たようなしかっりした道路が造られた。そういう意味で寂しくはなってしまったが、ここはかつては神社前の重要な三差路だったのだ。




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