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S09.浅野川流域

S0901B. 浅野川を遡る・B

取材:2018.06
初稿UP:2018.07.25


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地図004.磯尾川中流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  新名神の下をくぐって南側へ出て、県道4号野尻交差点からやってくる県道134号と絡むようになる。甲南町柑子に近く新道は山越のルートをとるが旧道は浅野川に沿って柑子の集落の中を行くようになる。
  甲南町下野川で道は新旧入れ替わり、旧道が峠越えのルートをとり、新道が浅野川沿いを経由するようになる。














6.新名神をくぐる
写真025.新名神をくぐって
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  新名神をくぐって南側へ出る。?、新名神ではなかったのか。まさか、こんなところに新幹線が。よく見ると、防音壁に手の込んだ仕掛けが。

  写真026.蛇行する
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 田んぼの中を蛇行していく。トラックが走る山際の道が県道134号、4号野尻交差点へつながる。








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写真027.県道と絡み

 上の写真の県道134号が近づいてきて浅野川を渡る。カメラをちょっと右へ振ると橋を渡ったところが変則的三叉路、そのあとちょっとの間、浅野川は県道と並行する

写真028.分かれていく→

 そのあとすぐ道は川から離れていく。川は独立して田んぼの中を山際へ。



写真029.ファブリダム
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 上の写真で見る左側の山の麓である。小さなファブリダムがある。堤防のないダムで長細い池という感じ。








7.甲南町柑子
写真030.甲南町柑子
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 小さな橋が見えてくる。甲南町柑子(こうじ)の集落に近づいていく。

  写真031.下流側
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 甲南町柑子の集落から浅野川下流側を振り返ったところ。落ち着いた風景である。








写真032.上流側
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 同じ場所から上流側を見たところ。いったん近づいた川がグーッと左へ曲がっていく。その手前に橋が見える。

  写真033.崇福寺
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 橋の真正面に崇福寺という寺院が建つ。橋の上から見た山門、本堂








写真034.上流側から
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 集落を抜ける道は山門の前をまっすぐ通り抜けていく。橋を渡ると浅野川の上流側へ向かうことになる。その上流側から振り返った崇福寺。








8.「右いが上野」道しるべ
写真035.「右いが上野」道しるべ
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 道が二股に分かれ、そこに伊賀上野への道しるべが建っている。場所は下の地図の赤い四角で示したところ。一見したところ2文字目は”う”に濁点を打ったように見えるが、その気になって読めばすぐに”伊賀上野”と読める。あまりうまくない石屋さんはそれでも一生懸命彫った。”が”と彫ったはずだが、いつ間にか欠けてしまったのか、そんなしょうもない詮索で痛くもない腹を探られることになってしまった。間違いなく”いが上野”である。




地図003A.甲南町柑子付近地図
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 上の道標の位置。甲南町柑子の集落内を通る道を南下し、そのはずれで左右に分かれるところである。その中で県道134号と、”内保越えへ”と示した道路は後に作られたものだろう。道しるべは文政5(1822)年の建立だというから、当時の道は、まさに左右に分かれる2本の道だけだっただろう。そのうちの右が”伊賀上野へ”という。北(いま歩いてきた道)から来て直進(右)する”旧道?”と示した道が”内保越え”へつながる道だったのだろう(現在は途中で新道に吸収されている)。ちなみに左へ取れば、野川・馬杉を経て柘植へ至るとルートとだったといわれている。
  なお、この地図で道しるべを左へとるとすぐに小さな川を渡る(この川が、ここでいう旧道に沿ってさかのぼっていく)。これが浅野川かと思ったが、その支流の滝山川だった。浅野川はそのまま田んぼの向こうを上流へ向かう。




写真036.櫻神社
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 少し行くと「円通寺・櫻神社」という案内が あって、右の山手に櫻神社が建つ。暗い石段を通して社が見える。登ってみると社があり、案内に”社伝によれば延暦年間僧最澄が大津坂本日吉大社より御分霊を櫻の樹の下に奉祀したしたのが本社の創であり・・・云々”とある。甲賀地方の言い伝えは最澄のものが多い。下の案内では円通寺が一緒にあるように見えたが、鐘楼があっただけで本堂はどこにあるのかわからなかった。




地図003B.甲南町野川付近地図
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 櫻神社の前を過ぎて旧道は県道134号と合する。その間、浅野川は道から離れた田んぼの向こうの山蔭を流れる。次に道路近くへ戻ってくるのは甲南町下野川付近である。といっても実際に集落が存在するのは山際の谷筋であって、現実には県道を挟んで集落は存在しない。






9.野川桜橋
写真037.浅野川近づく
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 上の地図で、柑子の集落から、”右いが上野”道しるべのところを左にとって櫻神社の前を経て県道134号に出た。ずーっと山際を流れていた浅野川がこちらへ近づいてくる。写真は県道の野川桜橋の上から近づく浅野川を撮ったものである。
  橋の名称は地名の”野川”とここから始まる道路沿いの桜並木をつないだものであろう。その目印として橋のたもとにちょっとした広場があって休憩所がある。
  と、ここまでは計算通り話が進んだ。問題はこのあと、次の写真を撮ろうとして、何ッ!?。



写真038.日明谷川
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 川の名称が”日明谷川”になっていたのである。読み方はわからないが、いい名前だ。しかし、そんなことで感心している場合ではない。向こうの山ぎわから曲がってきた川は浅野川ではなかったのか。
  地図を見ればことは簡単だが、何度も書いたように私は歩くとき地図を持たないようにしている。いちいち面倒くさいのが最たる理由だが、生命にかかわることをやっているわけでもなし、こういう突発事故もまた楽しみの一つだと考えているからである。とにかくこの川が浅野川でないことははっきりした。何となくいい雰囲気のところである。とりあえず覗いてみようか。



写真039.下野川
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  川といえばいいのか、溝といえばいいのか。とにかく細い川である。集落内の道が川をまたいでさかのぼっていく。

  写真040.合流点
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  川と言うのは不思議なもので、すぐ下流で溝のように細かったものが、数10m遡っただけのこことなのに、ちょっとした川の形をなしている。1つの合流点であることは確かだが。






写真041.福泉寺
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  そこに”福泉寺”という石標が建っていて、両側の倉庫のような奥に本堂が見える。また、石標のすぐ後ろに”闡明学校跡”という碑が建っている。どうやらこのあたりが文化の中心だったらしい。”門”がまえに”單”、確か”セン”だったか。「センメイ学校」、ええ名前だ。







写真042.段々畑
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 道と一緒に段々畑を遡っていく日明谷川。後で地図を調べてみたら、道も川も上野川へ抜ける峠道を目指して坂さかのぼっていく。柑子の集落からつながってくる旧道の延長らしかった。








写真043.細い橋
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 休憩所に戻る。上で見た写真の右奥にちらっと茶色のガードレールが見えている。この写真だけでは正体が分からないが、それを道路側から見たのが左の写真である。じつはこれ人間と自転車専用の細い橋である。この橋にネームプレートがついていた。古くなって読みにくかったが、その気になってしっかり見れば間違いなく”浅野川”と読めた。野川桜橋のすぐ上流で分岐していたのである。



10.日吉神社
写真044.日吉神社
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 サクラ並木は県道に沿って約300m、その中ほどに宮前橋という橋があって、その前に日吉神社が建つ。

  写真045.モニュメント
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  上の写真で鳥居の右側に立つモニュメントである。何か文字が刻まれているのかと思えば、それはない。ただの四角のポールが建っているだけ。それだけで結構不思議な雰囲気を醸し出している。道路の向こう桜並木が見える。




写真046.徐々に右へ
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  道路は徐々に右へ曲がっていく。並木も川も三位一体で右へ。ちょっとも曲がってないといわれそうだが、クルマが走っているあたりから曲がりだす。








写真047.工事現場
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  サクラ並木が途切れる。走っていると何も気付かないのだが、地図を見るとちょっとしたことが起こっている。というのはいま走ってきた桜並木沿いの道は県道野尻交差点から来た県道134号なのだが、ここで知らない間にJR甲賀駅あたりからやってくる県道775号に移っている。その乗り換え点が左の写真で工事中のところ。左からやって来る道が775号。134号はここまでのように思えるが、野川南交差点を左へ曲がってまた復活する。775号はこのあと直進して県境を越えて玉瀧交差点へつながる。



写真048.田んぼの中へ
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  サクラ並木が始まってからずーっと県道と並行していた浅野川が、先ほどの工事現場を越えたあたりから田んぼの中を流れるようになる。写真は野川南交差点近くの小さな橋。のどかな散村風景である。






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