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地図006.上磯尾付近地図 (国土地理院Webに加筆) 上磯尾、まさに県境の集落である。磯尾川の源流ということになるのだが、山深い源流のイメージはそこにはない。集落の近くの溜池が源流である。もちろんその池へ流入するための最源流ということになるのだが。当然その流れはあるはずだが、その源流は、何度も見てきた385嶺ということになる。そのピークは池から300m強でしかない。 1.上磯尾集落 写真001.上磯尾集落入口 上磯尾の集落に入る手前、地図のP点である。「左・明王寺」の案内が立っていて、甲南町の地図がついている。その現在位置がいかにも県境の集落を感じさせる。ここから県境(磯尾越え)まで1Kmたらずである。 写真002.集落入口 集落の入り口である。写真では水平に見えるが実際は結構な上りである。クルマを押して下って来るお婆ちゃんが見える。このときは結構健脚に見えたが、ひょっとしたら、クルマに引っ張られていたのかもしれない。 写真003.坂の上に建つ坂の上の家、城を仰ぐイメージである。もう1枚。 写真004.愛宕山灯籠 公民館らしい雰囲気の場所に、”歩こう走ろう磯尾区コース”という案内があって、その表示に隠れて”愛宕山”の石灯籠が建っていた。 写真005.お地蔵さんそして道を挟んだ反対側にお地蔵さん。手作りの屋根の中に入って、きれいに花が飾られていた。 写真006.みがわり地蔵 杖が邪魔をして妙な撮り方をしたものだ。後ろにある電柱を隠そうとしたらしい。台座に”みがわり地蔵”とある。 写真007.屋根光る さらに登る。屋根が午後の光を返して光る。もう1枚。段々畑に合わせ、民家の位置が徐々に高くなってくるのが分かる。 2.集落をぬけて 写真008.なおも登る 集落を抜けて、道はなおも登る。もう1枚。 写真009.水田のあと? 道の左側、水が溜まっているようにも見える。水田のあとらしい。耕作されている様子はない。山際に水の音が聞こえるが、もはや磯尾川ではなさそう。もう1枚。間違いなく棚田のあとである。右後ろを見る。高原の雰囲気。残念ながら山の名称判然とせず。385m峰がどこかに見えているはずだが、あまりにも近すぎて判別不可能。 写真010.山に近づく カーブが終わって山に向かってまっすぐ進む。山が近づいてくる。突き当りに何か見える気配だが、・・・。 写真011.山蔭の道山蔭を行く。道に沿ってきた棚田もこれで尽きるというところ。 写真012.池 最後の棚田のさらに上に古い池がある。この池の水を田んぼの水源としていたのか。何か不思議な感覚に迫られる。今登り始めた下の集落には少ないながらも車も走り人々の生活があった。そこから10数分、坂道を登って来ただけなのに、時間も空間もずいぶん離れたところへやってきたとの感を受ける。そんな不思議な感覚を抱きながらなおも進む。 写真013.右カーブ突き当りに見えていたのはカーブミラーだった。時間が巻き戻されたような。 写真014.? 道路に映る木の影が印象的。カーブミラーの向こうに不思議なものが見える。白い襖を2枚並べたような。いまこうして見るとふすまの上にさらに何か別のものが見える。よく見るとそれが県境の標識だった。現場は奥が明るくてふすましか見えなかかった。 2.磯尾越え 写真015.磯尾越え 近づいて、手をかざしてみて、やっと三重県/伊賀市と読めた。国土地理院Web地図で標高を読むと、上磯尾集落の入り口で213m。この磯尾越えが257m。44mの登りだった。 写真016.三重県側から 光の加減でどうしても見えにくかった三重県側だが、逆から見れば「滋賀県/甲賀市」、これは問題なくはっきり見えた。もう1枚。これがあのふすまの正体だった。 地図006.上磯尾付近地図 (国土地理院Webに加筆) ここでもう一度、最初の地図006を見てみよう。滋賀県側から三重県側へ向かう県道49号は、境界線上でくっと右に曲がる。曲がった結果どうなるか。その道は県境に沿ってほとんど水平に進むようになる。それが離れていくのは200mほど進んだところである。「トウゲ」という字は山へんに上下と書く。普通は県境に向かって上りつめ、そこを越えたところですぐ下りになる。そしてその2本の線(県境と道路)は、普通は互いに直角に交わる。上の地図の場合、滋賀県側は一応そのルールに従っている。しかし三重県側は…。 |
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