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S08.磯尾川流域

S0801B. 磯尾川を遡る・B

取材:2018.04
初稿UP:2018.04.25


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7.広域農道を越えて
写真036.磯尾口交差点
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 磯尾口交差点である。左右、傾きがあるのが広域農道。それに交差する県道49号(車が入って行く)。ここからは道幅が広くなる。

  写真037.広域農道
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  磯尾川の橋まで50mほどである。せめてそこまでと思ったがそれが難しい。歩道がなく交通量も多い。若いときならクルマが来ないときを狙って走る手もあるが、いまはもう無理だ。





写真038.振り返る
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 広域農道を越えてさらに進む。磯尾川も畑の中を上流へ。

  写真039.磯尾橋
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 そしてぐーっとこちらへ曲がってきて磯尾橋。









写真040.磯尾橋の上流側
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 磯尾橋から上流側を見たところ。川は右前方、杉林と道路との間を流れ下ってきて、道路をくぐって左後ろへ抜けていく。

  写真041.杉林の向こう
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 杉林が過ぎたところで山間のやや広い農地へ出る。新名神の少し下流側から始まっていた蛇行がここでも続く。下流側から見て右へ曲がった川はすぐに左へ曲がりだす






  写真042.山きわを行く
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 山ぎわを細かく蛇行しながらさかのぼる。

  写真043.道に近づき
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  道に近づきまた離れていく。その向こうに岩附神社の二本杉が見える。







8.下磯尾
写真044.岩附神社
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 岩附神社を上流側から見る。
  滋賀県神社庁HPによると、”延暦年間伝教大師が延暦寺を建立するに当り、日吉山王上七社の内の客人宮(白山姫神社)の御分霊を勧請し岩附大明神と名づけ創祀し、木材の伐採並びに搬出の安全を祈った。当時は深山の山頂に祀ったが寛永十九年に現在の位置に社殿を新造して奉遷し、以後享保、明和の二度にわたり改修され、又昭和五十年に現在の社殿を新築した。”とある。岩附神社正面



写真045.蛇行する県道49号
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 岩附神社前から県道下流側を見る。磯尾川に合すように、道路も蛇行しているのが見える。

  写真046.蛇行する磯尾川
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 同じく岩附神社前から蛇行する磯尾川を見る。











地図005.磯尾川上流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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  下磯尾集落の南東方、岩附橋あたりで下磯尾川を分岐する(川の流れから言えば西側の斜面から鴻川と合した下磯尾川が合流)。そのあたりから流れは再び南を向き、上磯尾集落にいたり、そこで東西に分かれるが西から来る流れが磯尾川である。











写真047.合流点
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  岩附神社前の100mほど上流。上の写真046のすぐ上流側である。046に見えているブルーシ−トがこの写真にも見えている。この写真ではわかりにくいが、すぐ前のカーブで、左側から小さな川(名称不明)が合流してくる。







写真048.合流地点
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 上の合流点を角度を変えて撮ったもの。右へ下るのが磯尾川。左の山から下ってくるのが名称不明川。上の写真とは日を改めて撮ったため、田植えの準備時期と重なり水が濁っている。








9.岩附橋
写真049.岩附橋
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 合流点のすぐ近くで県道49号が新田の方からやってくる道路とでT字路をなしている。その新田道路に架かる橋。岩附橋である。上の写真で散り終りの桜がこのときは満開だった(4月4日)。







写真050.岩附橋上流側
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 岩附橋から上流側を見たところ。磯尾川は右へカーブしていく。その接線延長上に県境上の384.5m峰が見える。前にこれに気がついたのは新名神の高架下だった。こちらからだと山の上部が大きく見える。やはり格好がいい山だ。関係地図。5分の3ほどの距離に近づいたことになる。





写真051.下磯尾川
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 磯尾川は田んぼの中を深く流れる。堤防はない。地図005を見ると岩附橋の下流で右手からやってくる下磯尾川と合流するのだが、どうしてもその地点が見えない。たとえば左の写真は、画面奥から磯尾川が流れ下り、手前の田んぼの向こうを右からやってくる下磯尾川と合流し入して、左へ流れ下っていくのだが、説明されてもおそらく理解するのは無理だろう。





写真052.T字合流点
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  現場へは畦道を歩くしか手はない。写真は合流点を磯尾川の下流側から見たところである。左からやってくるのが磯尾川、右奥から来るのが下磯尾川である。こんな状況だから、ちょっと離れてしまえば見えるはずはない。







写真053.合流点アップ
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  合流点に近づいたところ。画面真ん中あたりに下からスイバの細い茎が伸びている。その左側が磯尾川からの流れ、右側、ちょっと黒ずんでいるのが下磯尾川の流れである。それぞれの幅を測って2つの川の流れの比は何対何でしょうかなどと、小学生の算数の問題になりそうなところである。





写真054.道の裏橋
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 さきほどのT字路から上流側(上磯尾のほう)へ県道を300m足らず進む、左側の斜面が崩れて補修されているところがある。左の写真は、その崩落現場の中ほどから田んぼ側へ入る道である。手前の方に橋が見える。橋の名前は”道の裏橋”。その気になって読まないと読めないが、それにしてもどうしてこんな名前がついたのだろう。





写真055.上流側
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  ”道の裏橋”から上流側を見る。両岸は結構急な斜面、その上はネット。どう考えても歩けるような場所ではない。草刈りなどもするのだろうが、大変なところだ。 

  写真056.下流側
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 下流側を見る。少し離れて水平な黒い線があり、先ほどの下磯尾川とのT字路かと思ったがが、近すぎる。川をオーバークロスする水路橋だった。








写真057.何か見える
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  写真054にも小さく見えていたが、突き当りのヤブの下に小さな祠が見える。大した距離でもないので行ってみた。丁寧な仕事をした地蔵さんだった。もう1枚。地蔵さんのところから見た斜面の崩落現場。







写真058.地蔵さん
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  さらに進む。100mも行かないうちに今度は県道のそばに地蔵さん。こちらは丁寧な仕事を通りこして豪華なもの。なんせ屋根など銅板葺きである。 

  写真059.三本サクラ
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  手前の田んぼに水が入れられている最中、その際にネットが張られ、その向こうを磯尾川が流れているはずだが、目には見えない。向こうの山ぎわに3本の桜が満開。もう1枚。 




10.西蔵寺
写真060.西蔵寺
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 左手の丘の上にお寺がある。西蔵寺という。桜が続いていたもう1枚











写真061.距離標?
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 「西蔵寺」石標の通路を挟んで右側に不思議な石標がもう1本建っている。結構大振りだけど字が見えない。寺院や神社に旗のポールを支えるための石柱が立っているが、その類だろうなと思っていた。しかし、念のためにと近づいて見ると小さな細い字が刻まれている。
  まず一番上に”距”とある。その字の位置が上から離れすぎてバランスが悪い。その上は汚れていて字があるのかないのかが分からない。その下に3行、右から”大津元標”、”甲賀郡役所”、”水口警察署”。どうやらこれら3か所までの距離を示すものらしい。



写真062.距離標・下
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  一番下は”大字磯X”、Xの部分が分かりにくいが。これは”尾”だろう。それはいい、問題は真ん中である。これがややこしい。何せ字が小さい。彫りが浅い。字が刻まれていること自体わからないほどである。







写真063.距離標・中
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  とりあえず中の段の上半分を拡大。3列になっているその右端。”拾X里拾X町”。上の”X”は”壱”かな。下の”ヒ”が見えるが上半分が”王”に見えるからなんとも・・・。2行目、3行目を読んでいたら日が暮れる。下半分を見よう。" X拾四間四尺”。Xは”西”に見えたけど、これはやはり”四”だろう。大津までの距離を”尺”まで測るか?。とにかく3行とも”尺”まで明示してある。よっぽおど堅い人が測ったのだろう。いやいやいずれにしても恐ろしいものを見せてもらった。




写真064.さらに進む
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 西蔵寺の前から県道49号上磯尾方面を見る。クルマはめったに来ない。このように道路上から撮っていても何も心配もない。同じ場所から農地を見る。相変わらず手前の田んぼの向こうを磯尾川が流れている。左の写真064でカーブした先右側に竹藪が内側に張り出している。これがひとつの目印になる。





写真065.振り返る
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  上の写真で右カーブを曲がって少し行ったところ。そこから西蔵寺を振り返ったところ。

  写真066.蛇行
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  道路とほぼ平行にさかのぼってきた川が、ここへきてぐっとほぼ90度向きを変える。奥の茶畑の手前で左へ折れ、さらに上流へ向かう。






写真067.竹藪が近づく
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 農地側へ張り出している竹藪が近づいてくる。注意してみるとこの写真の左端の民家が、写真064写真064Aに写っている。どうでももいいことだが。

  写真068.竹藪をあとに
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  竹藪を越えて振り返ったところ。写真059.三本サクラが画面真ん中やや左に1本に重なって見える。







11.385m峰
写真069.上磯尾遠望
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  同じ場所から上磯尾集落を遠望する。画面右奥に県境の385m峰が見える。

  写真070.上磯尾入口
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  集落の手前で県道が滑らかに右へ曲がる。それに従って385m峰が左へ左へと動き、行く手正面へ回ってくる。地形の偶然とはいえ、神の妙味を見る思いである。関係地図





写真071.水田越し385m峰
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  上磯尾集落の手前を磯尾柑子線が通っている。それにつながる道路を右へ(新田の方へ)100m余り行くと幅50mほどの段々畑へ出る。その奥に385m峰が見える。全域を見たわけではないが、今回こうして磯尾川流域を歩いての、1つの象徴的風景ということができる。関係地図





写真072.磯尾川
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  段々畑の一番奥まで歩いて、右側を見たところである。1本の細い川が上ってくる。地図で見るとこれが磯尾川の最上部である。









写真073.磯尾川源流へ
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  振り返ると段々畑の右端沿いに細い溝が385m峰目指してさかのぼっていく。磯尾川の源流部である。まだまだ上の方、山の中へ伸びているのだろうが、レポートはこれで打ち切りとする。
  道路沿いにネットが張られている。目の粗いネットだから、普通なら網の目の間にレンズを持って行けば難なく撮影は可能だが、ここはツルが巻き付き普通の撮影は不可能だった。ネットの上へカメラを持ち上げて、バリアングルファインダーで撮影したものである。
  この385m峰、磯尾川をさかのぼるについて初めからこの山の存在を知っていたわけではない。まったく偶然に新名神高架下からの風景でこの山に目が止まった。その後も意識してドラマを作ったわけでもない。ところどころで気がつけばこの山が見えた。それをそのまま記録してきたわけだが、最後の最後に来て主役に躍り出た。大して高い山ではないが、考えてみれば不思議な山だった。




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