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地図006.新田付近地図 (国土地理院Webに加筆) A,B,C,Dが、前項で一周したコースである。本項ではD→Q→R→岩尾池の順で進む。肝心の”岩尾越え”(三重県境)が外れているが、下の地図008で改めて。 14.岩尾池へ写真061.幅員狭小 さあここからだ。幅員狭小。岩尾山とあって右が消してある。?、この標識どこかにもあった。何を意味するのか。事情が分からない。 写真062.狭くなる 両側畠の狭い道。→ 写真063.杉谷川 どこからか川が現れた。杉谷川だろう。上の地図006で前側橋から見て左へスーッと曲がって谷川になり、少し離れたところを流れてきて、現在の進行方向を向いて、左側から右側へ位置を変えたことになる。ここが地図のQ点である。 写真064.最後の民家 前川橋から上流側に見えていた谷あいの集落である。里から山へ最後の民家だった。きれいに整えられた段々畑の斜面。心休まる風景である。もう1枚。 写真065.川が左へ川が左へ出る。上の民家への進入路とのT字路(R点)のところである。もう1枚。 写真066.山へ道は細く山の中へ入って行く。 15.岩尾池 写真067.岩尾池 右側の山に沿ってしばらく行くと岩尾池。明治年間に農業灌漑用としてつくられたものという。午後の光がきらきら光る。もう1枚。右の高い山が岩尾山かとも思うが、ちょっと近いようにも見える。カシミールで作図させてみたが、も一つはっきりせず。 砂地の道路に人間以外の足跡多数。 写真069.池のふちを行く なおも池のふちを行く。何か標識が見える。近づいてみると息障寺2.2Km。ということは県境が近い。 写真070.池のふち池のふち。多少の上下があるもののトータルすれば水平な道である。 写真071.岩尾池のスギ 池のふちに風格のある木が現れる。水口の教室で何人かが作品として撮ってきていた木だ。ここだったのか。池の一部が凍っている。 16.大沢池へ 写真072.狭くなる 樹木が多く視界が利かない。もう大沢池畔へ出ているはずだが。 写真073.石標?緩くカーブする右側に何か石標のようなものが見える。 写真074.岩尾山碑 近寄ってみるとやはり石標である。すぐには何が書いてあるのか読み切れなかった。石?・・・。さらに近寄って・・・、それでも石としか読めなかったが、よくよく見ると、”石”の上に”山”があった。岩尾山。 写真075.大沢池 道の向こうに大沢池が見える。もう1枚。 17.岩尾越え 地図008.岩尾越え付近地図 (国土地理院Webに加筆) 写真076.不思議な1枚 あれおかしいぞ。左から日が照っている。ずーっと南を向いて歩いている。冬の夕日が右から照りつけている。がこの1枚だけ左から。おかしいな。やっとたどり着いて、この案内板を見て、今来た道を振り返って撮ったものらしい。 写真077.振り向いて振り向いて、なんとなく元湿地帯だったような叢。 写真078.岩尾越え 滋賀・三重県境である。今までの慣例上「岩尾越え」としたが、まったく峠越えを感じさせない場所である。国土地理院Web地図によると標高290m、野洲川流域分水嶺で山中の峠としては異例の低い峠であろう。この先、路肩欠損のため・・・。岩尾山の右を消してあったのはこれだったのかも知れない。 18.息障寺へ 写真079.息障寺 ”岩尾山息障寺”の石標が建つ。息障寺への登り口である。ハイキングコースとしては先ほど大沢池畔からのルートがあるらしいが、こちらは自動車道。背後の岩尾山は471m。修験者、忍者の修練山で、平安時代初期、最澄の開山によるという。 写真080.急カーブカーブを行く。 写真081.ハトが遊ぶ 道路に2羽のハト。のんびりしていて逃げる様子もない。 写真082.芭蕉旧跡芭蕉翁舊跡とある。木村至宏氏の文章によれば「行く春を近江の人と惜しみけり」の碑があるはずだが、辺りを見回しても発見できず。 写真083.? 句碑か何かがありそうだったが…。 写真084.小さな人形埴輪のような小さな人形が並んでいる。事情が分からないから、まったく意味不明。 19.息障寺へ 写真085.息障寺 息障寺だと思うのだが、基本的な知識がないからよくわからない。もう1枚。森閑として物音ひとつせず。 写真086.曼荼羅岩 巨大な岩が垂れ下がっている。曼荼羅岩だとか。
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