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S07.杉谷川流域

S0701B. 杉谷川を遡る・B

取材:2018.02
初稿UP:2018.04.08


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9.上流へ
写真036.浅間橋
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 浅間橋まで引き返し、さらに上流へ。

  写真037.祠
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 浅間橋を後に山蔭を回るとすぐ祠に出合う。村はずれの鎮めというところか。もう1枚








写真037X.ネットの向こうから
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  山間の道を行く。当然、道と川は並行するわけだが、その間の畑にネットが張られ全くの赤の他人という関係。畑が途切れ、近づいてきたところでやっと姿が見える。

  写真037XX.畑の向こう
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 畑というのか空き地というのか、その向こうの川が行く。もう1枚








写真038.橋に出会う
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 500mほど進んだところで橋に出会う。平行にもう1本橋が見える。農道なのか旧道なのか判断がつかなかったが、地図を見ると旧道だったらしい。









写真039.古目直新橋
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 橋の名前を見て驚いた。”コメチョクシンバシ?”。それ以外の読み方ができる人は教えてほしい。正解は ”ふるめなおししんはし”。勝手にせい。
  この金色に輝くネームプレート、ぴかぴかに磨き上げられたSLのナンバープレートを思いだす。それはいいのだが、周りの欄干や草むらの色が全く不自然。ピントや露出はナンバープレートに合したはず。それには見事に合ったが、周囲には意を払っていないというところ。現場は全体に影、後ろを照らす上の写真038の光が反射していたような気がする。こんなに変わるものなのか。 



10.さらに進む
写真040.さらに進む
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 さらに上流へというところだが、川の姿はほとんど見えない。

  写真041.長瀬橋
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 右側を流れていた川が左側へ出る。橋は新しく架け替えられたらしい。旧道が残っている。長瀬橋。ぴかぴかの”古目直・・”ほど出はないが、同じ傾向が出ている。






写真042.渓流
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 古目直橋から長瀬橋まで、山間部を抜けて何となく峠を越えたように感じたが、川の流れの向きは変わっていない。

  写真043.別所橋
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 山間部を抜けて里へ出る。峠を越えて川の流れが逆になった雰囲気だが、そうではないから不思議。別所橋。県道の橋ではない。県道から分かれていく里道の橋。読みにくいが”杉谷川”と読める。間違いはない。





写真044.上流を見る
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 別所橋から上流を見る。里が広がる。

  写真045.斜光
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 午後さして遅い時間ではないのだが、光ははや斜め。道端に立つ木が印象的。もう1枚







11.新田橋
写真046.新田橋
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 新田橋。そういえばここは新田、と納得したのはよかったが、川の名が”つめた川”。おい、それはおかしい。さっきの橋で確かに”杉谷川”とあった。しかし、さっきの橋が杉谷川であったとしても、この橋が杉谷川でなければならない理屈はない。そういえばさっき格好のいい木の横から撮った時、分岐が見えていたぞ。そういえばこんな表示も立っている。古ぼけて何が書いてあるのか読めないが、とにかく「つめた谷川」の文字は読める。間違いなくこの川は杉谷川ではない。




写真047.つめた谷川
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 日本庭園を思わす竹の疎林のそばを行くつめた谷川。










写真048.東海自然歩道
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 東海自然歩道の表示。岩尾山1.5Km 伊勢廻寺9.9Kmとある。反対側、紫香楽宮跡 7.2Km、それはいいのだが、XX川橋 3.7Kmには紙が巻き付いていて字が読めない。その掲示をよくよく読んでみると要するに信楽までの道が荒れて歩けないという。補修する気持ちもさらさらアリマセンという腹まで読める掲示だった。





地図005.東海道自然歩道関係地図  (国土地理院Webに加筆)
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  「東海自然歩道」が整備されたのはいつのころだったか。晴れがましかった標識がいつの間にかくたばり情けなくなってきた。そこへきて道路そのものの荒廃の表示である。思わず憎まれ口をたたいてしまったが、その後なんだかだと考えるにつけ、この案内表示が今自分がやろうとしていることについて、とんでもない関係があることが分かってきた。
  実は上の地図は前項 "滝川" のところで「消えた分水嶺」のところで使った”地図010.国道307号・三重県境C点間の分水嶺”に加筆したものである。信楽高原鉄道・国道307号が走る”小野谷越え”と三重県との県境の岩尾山を結ぶ野洲川分水嶺は”S"の字を裏向けにしたような形でつながっている。その間、その分水嶺を越える道路(クルマが通るレベルの道路)は存在しないが、昔の樵道程度の細い実線で示される”道”は何本か存在する。その中で唯一名称付きの道として「東海自然歩道」が存在する。「野洲川分水嶺探訪」を看板とする本稿としては無視できない項目なのである。こんなところにレポートの対象が存在することなど考えても見ないことだった。どの程度の”荒廃”なのか。それを確かめるのが本筋であるが、全体の完結も急がれる。いまはとりあえず先を急ぐこととし、時間があれば補遺の形で加筆することとする。




写真049.モニュメント
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 少し行くとちょっとしたモニュメントがあり、休憩所のようでもある。それでいて、祠にも見えそうな・・・。案内を読んでみると「平成3年度創意と工夫の里づくり・・云々。ご自由にお休みください。」とある。といっても中は何かがお祀りしてあるような。






写真050.?碑
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 休憩所の前に由緒ありげな石碑が建っている。特に解説はない。分からんやつは読むな!というやつ。行ったときが悪かった。表の面を読もうとすると、完全な逆光。その上に快晴と来ているから、まぶしくて読めたものではない。もちろんまぶしくなくても読めないことは変わりがないのだが。
  帰ってからその面を伸ばして、明るさをちょっとでもと調節して何とか読めたのが下の数文字。「・・・字一石搭」と読める。ははああれやな。園養寺釣鐘堂のそば岩坂十三仏に立っていた…。そこまでが精いっぱいだった。



12.新田集落
地図006.新田付近地図  (国土地理院Webに加筆)
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  甲南町杉谷新田。周囲を山に囲まれたこじんまりとした平地である。普通、そういうところは盆地ということになるのだろうが、イメージは明るい。
  そういえば、おなじみの高田さんからの情報だが、----この「新田(しんでん)」は、江戸末期から明治にかけて開拓された地域で自然豊かな情景が残されていることから、朝日新聞創刊130年・森林文化協会30周年記念「にほんの里100選」に選ばれています。----という。
  たしかに穏やかな雰囲気が漂うところである。












写真051.神社が見える
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  さて、いまいるところは地図のA点、休憩所のところである。山際に小さな神社が見える。そこまで行ってみよう。杉谷川は姿を見せない。いやこの風景の中を流れているのだろうが、田んぼより低いところを流れているから分からないだけだ。琵琶に近い平野部の高い堤防とは事情が異なる。





  写真052.杉谷川
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 200mも歩くと川に出合う。杉谷川である。ご覧のように田んぼより一段低いところを流れているから、一面平地の中を流れていても姿は見えない。赤く濁っているようにも見えるが、これは川底の砂の色、水は澄明そのもの。







写真053.五十鈴橋
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 川の名前は?。何か難しい字が書いてある。これは弱い。”江すずXし?”。Xのところは ”む”に濁点が打ってあるようにも見えるが、そんな字があるはずもない。これは”ば”に決まっている。しかし、”江すずはし”て、どんな字を書くの?。答えは「五十鈴橋」でした。そうか”以”だったのか。Xは何やろね。素人が思いつくのは”波”か”婆”だけど。






写真054.下流側を見る
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 五十鈴橋から下流側を見る。突き当りの山ぎわにしっかりした木が見える。山間の道をたどって里へ出てきたところ(地図のP点)に立っていた木だ。ということはその右に見える橋が別所橋ということだ。

  写真055.新田集落
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 散在する新田集落。どちらを見てもバックに山が見える。







13.五十鈴神社
写真056.五十鈴神社
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 五十鈴川の近くだから伊勢神宮かと思ったが、さすがそれは恐れ多いというところか、神社の名前も川と同じ五十鈴神社。もう1枚









写真057.岩尾山?
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  実は、ここの写真051からの新田集落巡りは後刻日を改めて回ってみたものである。五十鈴神社の前から南の方を眺めてみて、山の合間に見える奥の山がひょっとして岩尾山ではないかと考えた。山の名前を知ることはまず現実の山を実際に生きた目で見ることである。ところが実際に岩尾池、大沢池を尋ねてみても息障寺へ上ってみても、その岩尾山がよくわからない。岩尾池畔からそれらしい山が見えるのだが、もう一つよくわからない。現地の人に聞くのがいちばん早いが、ここへ来てから人に出会ったことはない。結局、カシミールで作図させてみるしか手がない。
  作図させてみると、もしやと思ったその山は別の山で、肝心の山はそれよりも少し右に、「岩尾山」と名称つきで表示されているのである。ホンマにこんな山見えたのかな。しかしこうなった以上知らん顔で放っておくわけにはいかない。改めて確認に出かけた。




写真057X.改めて撮りなおし
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  上の、写真057を撮った五十鈴神社前からワイドで撮ったものである。現場に立つと確かに岩尾山は見える。しかしカシミールの作図よりもはるかに見にくいのである。おそらく木の問題だろう。カシミールは地図の標高をもとに作図するから、木は計算に入らない。山が近いほど木が大きく影響する。
  岩尾山はこの写真にも写っているのだが、おそらく初めての方には見分けられないはず。といって、文章で説明できるものでもない。画面の真ん中から少し右、大きく股を広げたピークとしか言いようがない。  




写真057XX.後方の高台から
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  このままではどうしようもない。ということで、神社から100mほど右後方の民家の前へ移動した。神社より数mの高さである。そこで撮ったのが左の写真。ここからでもその気になって見なければ見えないぐらい。手前の山が陰になって、岩尾山に日が当たるタイミングを待って撮ったものである。こうしなければ区別できない状態である。岩尾山は神社の前から見たときよりも少し右に寄って見える。望遠にすると若干見やすくなる。手前の赤い屋根の上に見える格好のよいピークではない。念のため。集落が途切れた左側。稜線の奥、日が当たっているべたっとした横に長い山である。

  岩尾山は一件落着した。しかし、岩尾山よりはるかに存在感がある最初の山は何山なのか。カシミールで、そのままカメラの標高を200m余り上げてみた。現場でどローンを飛ばしたのと同じ理屈である。それがこの図である。中央に池が2つ並んでいる。手前が岩尾池、奥が大沢池である。岩尾池の右に見えるのが岩尾山。池を挟んで左に”361”の数字(字が上下逆になっているから読みにくい)が見える。この山が写真057の山だったというわけ。いやはや。




写真058.神社の右に見えていた
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 ここまで来たのだから、どちらを回っても同じことと、一周することにする。写真051で神社の右に見えていた丘の上の民家。









写真059.再び杉谷川
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 再び杉谷川を渡る。橋の名は前側橋。どちらからどう見てこの場所が前側に見えるのか。見事な直線。圃場整備に併せて整備されたのだろう。遠くの橋が五十鈴橋。と書いて、いまふと思ったのだが、五十鈴川橋の前側(上流側)ということか。でもちょっと恐れ多いかな。

  写真060.上流側
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 上流側。左へスーッと曲がって消える。遠く谷あいの集落が見える。






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