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地図001.宮川流域地図 (国土地理院Web地図に加筆) 滝川から宮川が分岐する。それがどこだといわれても、土地不安内の私には甲南町塩野温泉北方の田んぼの中(左の地図のA点)というしかない。なぜそんな小さな川にこだわるのか。実はこの川、旧信楽街道の小野峠あたりを水源として、水口町山上町付近を経由して、A点で滝川に合流するのである。 1.旧信楽街道のこと 写真001.庚申堂道標 水口町山上に立つ”庚申堂”の道標である。地図001のP点で国道307から枝分かれした旧信楽街道が水口町山上へ向かうところ。旧街道と農道との変則的な十字路に立っている。初めて見たときには307号庚申道交差点にある道標が引っ越してきたのかと思った。それほどこの道標のイメージは強い。でもよく見るとかなり違いがある。基本的な違いは307号に立つのが嘉永4年8月とあるのに対し、こちらは”伊勢湾台風復興事業”・・・云々とある。 写真002.ハイキングコース 上の”庚申堂”道標は、杣街道の三本柳からやってきた旧信楽道が山上集落にかかるところに立っている。かつてはここから七曲りにかかり、旧小野峠経由で信楽へと向かっていた。しかし現在は七曲りは通行不能。庚申堂道標の横に”庚申山ハイキングコース・広徳寺。展望台1.8Km”の道標が立っている。新しく手入れされた跡が見え、生きていることが分かる。右斜めにという矢印の道はこの写真には写っていないが、旧信楽街道を指している。おかしいな通行止めのはずだけど。様子を見るためとりあえずその道を登ってみる。 写真003.T字路 と、すぐにT字路へ出た。右に若宮神社(鳥居が傾いたりして現在工事中)。まっすぐ行けば七曲りへ、左へ折れると山上集落へというところである。左向こうの角にハイキングコースの案内板と石標が見える。 写真004.ハイキングコース左 先ほどと同じ様式の案内板があって、今度は「左へ」という。七曲りへのガイドかと思っていたが、そうではないらしい。七曲りならまっすぐの道のはず。いったん山上集落へ入って、そこから上りなおすコースらしい。距離は1.6Km。先ほどから比べて200m短くなっている。理屈にあっている。生きている証拠である。 写真005.左庚申・・・ 「左 庚申」までしか読めないが、これは庚申山だろう。七曲りを越えて旧小野峠から庚申山へと考えていたが、それはいまのクルマかぶれの考え方。昔の人も今のハイキングコースと同じ道をたどっていたらしい。とすると、右は?。石標の字は読みにくいし、これも下が埋まってしまっているからさてどう読むのか。悩んでいたのだが、考えてみると答えは”信楽”しかない。「志可・・」らしい。 写真006.玉教? 左の面には光が当たっていた。字は読みやすい。でも「玉教・・」て何だろう。右とも左とも書いていない。悩んだけど分からなかった。たまたま別の日に行ったとき光の様子が違っていた。何や「玉教・・」ではなかったのか。「三教金物」、施工者のPRだったらしい。 2.宮川のこと 写真007.宮川分岐 「滝川をさかのぼる」の項で”宮川分岐”にこだわった。実はこの川、旧小野峠(次項)付近を水源として旧信楽道と並行しながら七曲りを下る。そして水口町山上集落を経て甲南町塩野で滝川に合流する。 写真008.広域農道 そうして山上集落の庚申堂道標から農道を東へ突っ込んだところへ出てくる。地図のC点。広域農道の橋をくぐって集落側へ出てきたところである。 写真009.細かく蛇行細かく蛇行しながら広域農道沿いにさかのぼる。もう1枚。走っているのが広域農道。 写真010.深い河道 周囲の田んぼに比べて河道は低い。カキの木の向こうを行くのが広域農道。 写真011.急なカーブ急なカーブである。単なる堤防だと怖いところだが。 写真012.上流へ こうして田んぼを半周してきて、旧信楽街道(電線に沿った道)沿いに上流へ向かう。当然、川の水は上流から下流へ階段状に下ってくる。 写真013.見下ろす旧信楽街道から見下ろしたところ。 写真014.集落への道 若宮神社前から山上集落へ向かう道。その下を暗渠で抜ける宮川。田んぼよりはるかに深い河道。 写真015.上流を見る 暗渠へ入って出てきたところ。川の水からすれば暗渠へ入る前の部分。右上の電柱が七曲りへ向かう道だけれど、流れが見えるのはここまでである。七曲りが通行止めでなければどこかでまた見るところがあるのだろうが。 |
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