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5.小野峠のこと 地図013.小野峠付近地図 (国土地理院Web地図に加筆) 地図のまんなか付近に「小野峠」という表記が見える。ここが水口から信楽へ向かう旧信楽街道の峠と呼ばれていたところだという。水口町内から杣川を渡り三本柳へ出る。そこから現在の国道307号沿いに今の水口町牛飼いから同山上へ出て、そこから庚申山へ向かって七曲りと称されてる旧坂を登り切ったところが「小野峠」であったという。 地図014.小野峠付近地図 (GoogleMap) 上の国土地理院Web地図とほぼ同じ範囲のGoogleMapである。上でも書いたように通行止めの部分は細い線で表記されている。現実的な処理といえるだろう。それはいいのだが、登山口から広徳寺までの道路が旧信楽道の通行止め区間と同じ太さで表記されている。これはこのあとレポートするように、古野踏切から登山口までの道路と同じ状態である。この区間を細い線で示したのは誤解を招く処理である。 写真041.古野踏切 信楽高原鉄道”古野踏切”である。走っているのは信楽発貴生川行き。国道307号との間の広場から。踏切を渡って山へ入ると庚申山に続く。 写真042.山に入るすぐ山に入る。上り切った右側に雪が残っている。 写真043.山蔭の雪 おやおや、山蔭はこんな雪か。しかし、基本的には雪はないのだから、心配はいらないだろう。ひなたは快適な道。 写真044.登り口?公園のような広場が見える。よく見ると庚申山への登り口らしい。こんなに近かったかな。 写真045.登り口間違いない。登り口である。 写真046.通行止め 広徳寺への分岐のところで、旧信楽街道は「通行止め」。実は地理院地図の「小野峠」の文字が気になっていた。現在位置の広徳寺分岐の少し先に「小野峠」の文字がある。旧信楽街道はその辺りまでは入れるだろうと想像していた。しかし考えてみればそれは間違いだった。通行止めは最後の分岐のところ。それから先、もし途中まで通行可にしても袋小路を作るだけである。 写真047.小野峠へ とにかく納得できるところまで行ってみよう。前日の雪が残っていて、クルマの動きが手に取るようにわかる。入ってすぐこれはアカンぞとすぐに引き返したもの、知らん顔して突っ込んだもの。それはいいとして道はすぐ下りになる。 写真048.ターンのあと 道はだんだん荒れてくる。朽ちた木が道に倒れ込んでいる。きりかえしてバックした痕跡がはっきり残っている。写真ではわかりにくいが、道は下りである。通行止めを越えてから上りは一切なし。 写真049.路面凍結山からの木のクズなどが流れ出し道を覆っている。しみ出した水が凍りだして光っている。凍結した下りは怖い。つるっといったら終わりである。光っているところを避けて通り過ぎる。 写真050.左カーブあいかわらず緩く左にカーブしながら下っていく。 写真051.右カーブ 下りが一段落し、初めての右カーブが見える。道がだんだん怪しくなる。行けといわれればいくらでも行けるが、目的は峠探しである。これだけ下れば峠もくそもない。ここらで引き返すこととする。帰って地図を確かめたら、初めての右カーブの手前だと考えると、「小野峠」の表記を楽に越えていた。先ほどの通行止めの場所、すなわち広徳寺への登り口そのものが「小野峠」だったわけだ。 写真052.帰りのお遊び さて引き返す途中、別のものが見えてくる。タイヤの跡に交じって動物の足跡が見える。可愛い2つツメがシカだろう。もう1枚。どっさり雪が積もっている。左カーブの先に通行止めのバリアが見えて来た。 写真053.ここが小野峠 バリケードの向こう(参道登り口の広場、多分水平だったと思うが)、目の高さに見える。バリケードを過ぎるとすぐこの調子て下りになり、B点の手前まで一気に下っていたわけだ。山上集落からここまで七曲がりの坂を登り切った人が、ここを峠と考えたのは当然のことだったろう。 地図015.小野峠付近地図 (国土地理院Web地図に加筆) 改めて”小野峠”付近の地理院地図を見てみる。A点が広徳寺登り口、旧信楽道が通行止めになっている地点である。このさきB点に向かって歩き始めている。最初の少しは緩い右カーブ右カーブ(写真047)だが、あとは写真048・写真049・写真050と左カーブが続く。そして、次に右カーブ(写真051)に出会うところ(地図のB点)ではすでに地図上での「小野峠」を通り過ぎてしまっている。その間上り坂は一切なし。ということは「小野峠」は「広徳寺登り口」その場所だったということになる。「小野峠」の表記がもう少し左、A点に記載されておれば何の問題もなしに納得できたのに。 6.広徳寺へ 写真054.石標 B点からA点へ帰ってきた左側、広徳寺への道の手前のクマザサの中に石標が隠れていた。一番上の字は”右”かな。私のような素人には”応”とも読めてしまうのだが。”山上”の次は”か”らしい。次は”し”。”山上かし・・・”どう考えてもつながらない。”山上庚申”のはずだが。となれば”山上こうしん”、旧仮名遣いとして”山上かうしん”とまで考えてよくよく見れば、”かう志ん”だったらしい。ひら仮名の2文字目”う”が”じ”に見えたのは、ササの葉の影がはねているように見えたためらしい。いやはや。 写真055.参道登り口 広場から見た参道登り口。日が照っているところに雪はない。というより、影を見る限り春の日差しである。 写真056.上り坂坂道を登る。茶色になった松の落ち葉が降り敷く。もう1枚。 写真057.残り雪 日陰になると残り雪。 もう1枚。 写真058.雪が増す徐々に雪が増す。 写真059.峠 ぐっとカーブして、そこが峠。登り口からの距離600m。データのプロパティによると参道登り口が12時15分、この峠が同28分。約15分。幼稚園の遠足。ちょうどいい。登り一方の写真を撮りながらだからこんなものだろう。そうかあの時は昼過ぎだったのかと改めて思いなおしている。 写真060.振り返る 峠を回って振り返る。峠は越えて振り返るか、下って振り返るものだが、ここはそうじゃない。峠を回って振り返る。シンボルマークはカーブミラー1本。 写真061.そして下りそして下り。雪が見事なアクセント。 写真062.二丁目 落ち葉の広がりがあって何か石標が立っている。近寄ってみると「二丁目」だという。いまではこのXX丁目もめったに耳にしなくなった。懐かしいな、昭和20年夏。集団疎開。毎日麓まで食糧調達に下りた。1丁目、2丁目の石標がふもとまで18丁。1丁が確か100mちょっとだからいまでいう1.8Kmということだったはず。 写真063.真ん中の1本は? 登り口からちょっと登ったところで自転車に乗った男性とすれ違った。だから自転車はわかる。歩いた人もいる。そういうこともあるだろう。しかし、クルマとは1台も出合っていない。このこれだけのクルマはどこから湧いてきたのか。両側の2本。少なくとも数台だ。それよりもっと不思議なのは真ん中の1本。これは何だ。バイクか。前後の車輪のブレがない。こんなに安定して乗れるものか。 写真064.ちょっと歩いて 二丁目からのんびり歩いて3分ほど。もう1枚。 7.広徳寺 写真065.おい、ちょっと待てよ おい、なんやね。これは。入口が閉鎖されている。それならそれと少なくとも登り口にはその旨表示しとけよ。わざわざ30分かけて一人で歩いてきたのに。文句を言う相手もいないし、ぼやく同道者もいない。 写真066.本堂を見上げる 境内へ入った突き当りから本堂を見上げたところ。 写真067.真鍮祖神 本堂への石段。だんだん分からなくなってきた。広徳寺というから”寺”だと思っていたが、”真鍮祖神”だという。そして鳥居、ここは神さんか。それならワシは悪いことをしているのと違うか。神さんは絶対だから、入ってはいけないというところへ入ってはいけないのだ。神さんは来る者は拒まずなんて悠長なことは言わない。と思ってよく見ると”本堂”だという。開祖は伝教大師だと。 写真068.お寺です 本堂は新しい。扁額に「広徳寺」とある。やっぱり寺だ。HP”山上庚申さん”によると、------2013年4月22日に漏電により焼失。2015年に山上区内で本堂再建につき話し合いを始め、伸銅関係団体の皆様方とも話をさせていただきながら、2016年に再建に向け始動、2017年3月末に再建復興。----とある。ということは、再建されてまだ1年たってない勘定になる。 写真069.境内を見下ろす 本堂の前から境内を見下ろす。10数年前に一度来たことがあるが、もっと広々とした風景を見た記憶がある。こんな閉ざされた風景じゃなかった。 写真070.藤左衛門像 境内から少し低い道に下りる。藤左衛門像跡地という碑があって、その右側に本物の銅像が”真鍮開祖藤左衛門翁之像”という立派な台の上に立っている。 写真071.釣鐘堂の・・ さらに奥へ進むと釣鐘堂。その奥に祠があって、その横を抜けると展望台だった。パノラマ展望図。 8.展望台 写真072.甲賀市大展望 手前の田んぼを横切る高架橋が水口町牛飼から三重県境近くへ向かう広域農道。その奥に見える街並みが甲南町深川市場あたり。そこまではわかるが・・・。 写真073.新名神宙を走る新名神高速道路。甲南 I Cから甲南トンネルへ向かうところ。この高さは信楽高原への高度稼ぎというところだろう。 写真074.鈴鹿山脈南端 左から高畑山、那須ヶ原山、油日岳、ちょっと離れて三ツ頭(私の勝手な呼び名)。鈴鹿山脈の最南端。このあと画面右外は滋賀・三重県境の丘陵地帯。 9.補遺 写真075.飯道山・庚申山案内図 広徳寺入り口にあった案内図である。現在地・庚申山広徳寺とある。今回歩き始めた古野踏切のところが「小野登山口」とある。 写真076.三上山 飯道山山頂から見た三上山である。撮影は2009年1月7日。注意してもらうと分かるが、三上山の手前に菩提寺山が重なっている。ほとんど相似形に見えるから不思議である。その山麓に将棋倒しのコマのように点々と橋げたが並んでいるのが見える。これが工事中の国道1号バイパス現在は完成し車が走っている。琵琶湖の奥の山が比良山系。一番左が蓬莱山・琵琶湖ばれいスキー場。三上山山頂の右上に見える高原状の山頂、右になだらかに流れ落ちる山が武奈ヶが岳。 |
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