トシのことも考えずに無鉄砲なことをやり始めたなと思う。ここを通り越すのが最大のポイントだろうというこは初めから分かっていた。分水嶺が消えるのである。わかっていながら、そこへ来たら何とかなるだろうでスタートしてしまった。そして今、そこを目の前にして、さあどうしたものか。その思いがこの文章の最初のつぶやきである。
本来ならば、荒川探訪の後はこの項になるべきところだが、”杣街道歩き”で時間稼ぎをしていたのも、ここをどう通り越すかが見通せなかったためである。しかしいつまで逡巡していても始まらない。とにかく通り越すしか仕方がない。
1.消える分水嶺
地図001.野洲川流域全図地図 (建設省近畿地方建設局琵琶湖工事事務所編 『野洲川改修計画概要』(S58.5)より)
もちろん分水嶺が消えるはずはない。こちらが分水嶺の変化に気がつかないだけの話である。いまたどっている野洲川流域の分水嶺、南回りでいえば、野洲川・石部頭首工から立ち上がって阿星山を越え飯道山のすぐ北の地点に達する。問題はそこからである。
写真001.飯道山山頂から
飯道山山頂から北西方を見たところ。三上山の手前に菩提寺山が重なって見える。その手前に小さく白く、点々と並んでいるのが工事中の国道1号バイパスの橋脚(撮影2009年1月7日)。その手前を流れるのが野洲川。比良山系、いちばん左が蓬莱山。
画面左外の阿星山からやって来た市境稜線と分水嶺は、この山頂から北250mぐらいのところ(写真右外)で両者向きを変え、市境稜線は斜面を下っていく。一方分水嶺は山頂へ向かっ登り始め、それを越えてからは南(写真の後方)へ向かい、滝川と隼人川の間を下っていく。
地図002.飯道山付近地図 (国土地理院Web地図に加筆)
市境界線は飯道山には至らず、その手前で向きを北東へ変えて625m峰にいたる。異変が起きるのはそのあとである。さらに北東にある399m峰に向かう。かなり標高を下げるわけだが、それが異変ではない。問題はそれ以前に谷川とクロスするのである。これはこの市境界線がもはや分水嶺ではなくなっていたということである。分水嶺だとばかり思っていた尾根道が、気がつけば分水嶺ではなくなっていた。分水嶺が消えたのである。
川を渡るのがいけないのならば、例えば左の地図で示した細い実線のように、b点から派生する尾根をたどれば解決する話ではないかと考えることもできる。しかしこれはこの地図の中の話であって、実際にはどっちみちこのまま進めば平地へ降りて杣川の岸へ出てしまう。
地図003.小野谷越え付近関係図 (国土地理院Web地図に加筆)
左の地図003で見るように滝川は隼人川と対をなす。両者ともに飯道山の南斜面を水源として南に向かって流れ始める。甲南町・信楽町域を流れる著名な川で南に向かって流れ始める川はこれら2本以外にない。前述の甲南町域の3河川(杉谷川・磯尾川・浅野川)、さらには信楽町域を流れる大戸川、すべて三重県境の丘陵地帯に源を持ち、北へ向かって流れ始める。
さてこのように双子の様なイメージで飯道山の南斜面を流れ下った隼人川と滝川であるが、高原鉄道・国道307号を越えたあたりで両者互いに反対向きに流れを変える。すなわち滝川は東へ流れ野に下ったのち杣川に合流し、隼人川は西へ向って信楽から流れて来た大戸川に合流する。ということは、この滝川と隼人川の間が野洲川流域(直接的には杣川流域)と大戸川流域の分水嶺(赤線で示す)ということである。後刻改めて詳述するが、信楽高原鉄道・国道307号および旧信楽道がこの分水嶺越える地点を「小野谷越え」と呼ぶことにする。
地図004.小野谷越え⇔三重県境地図 (国土地理院Web地図に加筆)
「小野谷越え」を越えて信楽高原鉄道・国道307号の南側へ出た分水嶺は、そこで袋のネズミになってしまう。東からやってくる杉谷川支流と、西からやってくる隼人川支流がつながって抜け道がなくなってしまうのである。杉谷川支流のすぐそばを東へ抜ける細いルート(赤い矢印で示す)があるようにも見えるがこれも一時しのぎ、すぐ行きつまりになってしまう。
そこへ持ってきて、その南にはゴビの砂漠を思わすような茫漠たる広がりが見え県境まで広がっている。ココをどうつなげばいいのか。
最初の袋のねずみ状態は、私の地図の読み間違いで解決するが、詳細は本文で。
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