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S05.杣川流域

S0504B. 杣街道・(大原市場〜上野)

取材:2017.11/12
初稿UP:2018.01.10


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地図008.杣街道地図・4  (国土地理院Web地図に加筆)
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 この項の区間はひと口にいえば、JR草津線の甲賀〜油日間である。その間、鉄道はほぼ直線。道路もそれと並行する県道4号が考えられるだけである。三雲から歩いてきたルートはほとんどが県道とは別にルートを経由するいわゆる新海道であった。しかしここへきて、この区間だけは県道を経由する以外手はない。新海道のルートがはっきりしないのである。途中、「右いせ、左いちいの」碑に引かれて、田堵野の集落を経由するルートを採ってみたが、それも初めからそこにあったとは考えにくい場所に立つ。ちょっと扱いにくい区間である。



55.大原市場交差点
写真271.大原市場交差点
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 大原市場交差点。県道4号、油日方へ向かって手前右側から撮ったもの。右向こうの建物は一度見れば忘れられないユニークなものである。このときも、これは見覚えがあるぞと気楽に撮った。1枚だけ、それがいけなかった。不注意の天罰は必ず来る。信号が点っていない。







写真272.県道を行く
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 油日へ向かって出発。

  写真273.市神神社
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 すぐ集落から離れる。市神神社の森。










写真274.櫟野川を渡る
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 櫟野川を渡る。那須ヶ原山山中の櫟野ダムか流れてくる川である。前項、大原川も同じく那須ヶ原山山中から流れ下り山麓の大原ダムを経由して流れて来たもの。那須ヶ原山へ登ったときにはこの大原ダムから登ったのを思いだす。ちなみに那須ヶ原山山頂からの1枚をどうぞ。1999年4月。前出の霊山もそうだったけど、このころは『近江富士遊々』に向けて、遠くの山からの撮影に力がかかっていた。同書のコメントに”・・・何年か後には、この丘陵を第2名神が走る。”と書いた。いうまでもない今の新名神のことである。今ここから見たら白蛇のように見えるだろう。




写真275.櫟野川
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 上で記したように櫟野ダムから流れ出てここへ至る。画面奥が上流。このすぐ下流で杣川に合流する。杣川対岸から見た櫟野川合流点。画面の奥に見える白と緑の2階建てのビルが写真274に見ている。







56.田堵野集落入口
写真276.小さな交差点
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 すぐに信号もない小さな交差点が見えてくる。前項の地図009のC点、緑のコースをたどれば、この踏切に出てくることになる。田堵野集落の入り口である。前方、道の正面にいわゆる「三つ頭」が近づいて見える。







写真277.田堵野集落入口
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 上の写真276の交差点を左折。田堵野集落の入口が見えてくる。道が2つに分かれる前項の地図009のD点、左の道をたどれば油日神社、山を越えれば櫟野神社に達する。右が里道。集落内を経て再び県道4号へ戻る。

  写真278.里道入り口
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 右へ。里道の入り口に地蔵堂があり、その前に”奉納経四国八十八ヶ所”の石標が立っている。前述した「右いせ、左いちいの」碑である。






57.右いせ碑
写真279.右いせ
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 集落の入り口に地蔵さんがあり、その前に碑が建っている。中央に”奉納経四国八十八ヶ所”とあり、両側に”右いせ”、”左いちいの”とある。地図をとって調べると、たしかに左へとれば櫟野へ通ずるし、いまの集落内の里道を当時の杣街道と考えれば確かに伊勢へも通じている。建立が天保14年3月というから、いわゆる「新海道」には少し古い。細々とした道が伊勢につながっていたのだろう。中央の八十八か所云々は四国巡礼を終えた人のお礼参りの意味だろう。それよりも下部に何やら横書きで平かなのような、象形文字のような分かりにくい彫り込みがある。右端に「施主」と読めるが。何かの但し書きなのか。




写真280.里道
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 里道を行く。左に油日岳、右に「三ツ頭」。

  写真281.森に近づく
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 上の写真で見えていた森に近づく。











写真282.重厚な農家
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 煙抜きの屋根が重厚感を示す。

  写真283.霊山

 森に近づきバックの山が霊山に変わる。→







写真284.城塞のような
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 道は右へ折れるのだが、ついつい真正面の城塞のような屋根に魅かれて。

  写真285.田んぼの中へ
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 田んぼの中へ出る。ここまで来ればどの道をとっても同じところへ出るのだが。とりあえず民家の多いほうへとる。田んぼの中では何の変化もないだろうし。

  写真286.カラー舗装の・・
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 カラー舗装の里道を過ぎて・・・







58.大峰山碑
写真287.公園?
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 公園かな。大きな木の下に祠が見える。

  写真288.大峰山
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 大峰山・秋葉山と大書した碑。峰という字が妙な字になっているが。こんな書体があったのだろうか。もう1つ。これもまた妙な形の灯籠。屋根の部分が壊れたのでとりのぞいたのかな。不思議な世界に引き込まれる公園だった。





写真289.地蔵さん
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 道端に地蔵さんがあったりして、・・・・

  写真290.県道へ
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 知らぬ間に県道へ出る。油日の集落をまくバイパス(県道4号)である。
 ということで、無事県道へ戻ったのだが、「右いせ道」碑に惑わされて、撮影後そのまま里道を歩いてしまった。最初の計画では碑の櫟野川寄りの道を歩くはずだった。地図のルートと実際に歩いたルートではずれがある。悪しからず。



59.街道へ戻る
写真291.街道へ戻る
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 かつての県道4号。直線の道である。以前はこのまま県道4号であったが、バイパスができてそちらが4号になった。現在は、51号と135号になっているがよくわからない。前を横切る高架橋は広域農道である。それをくぐって次の信号が「油日農協前」。

  写真292.油日農協前交差点
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 油日農協前交差点。左奥がJAの駐車場。この日は日曜日で空車。右へ曲がるとすぐ草津線の踏切である。








  杣街道(ここでいう「新海道」)を、草津線・三雲駅前から油日駅(甲賀市上野)まで、ずっと杣川沿い歩いてきた。新海道はこのあと杣川から分かれ、青野川沿いを進み県境を越え、いわゆる倉歴越(くらふごえ)として上柘植村道路元標に至る。
そんな事情で、杣川沿いの道としては、いったんここで終了とし、このあとは「杣川源流」として稿を改める。





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