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S05.杣川流域

S0504A. 杣街道・(寺井橋〜大原市場)

取材:2017.11/12
初稿UP:2018.01.10


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地図008.杣街道地図・4  (国土地理院Web地図に加筆)
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  大原市場、現在のJR甲賀駅を中心とした市街地である。北東からやってきた県道4号が大原川を渡る。甲賀町域で比較的北に位置する大原ダムから流れ下る川である。県道はそのまま草津線の北側を走るが、杣街道は南側を経由する。それが北側へ戻るタイミングだが、地図では現在の大原市場交差点へ戻るコースと、もう少し先でアンダークロスるコースとが考えられる。一番自然なのが、櫟野川を越えたあたりで滑らかに戻るコースであるが、現在はその道は存在しない。結局は前二者のうちのどちらかということになる。



47.新寺井橋
写真234.新寺井橋へ
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 天満宮・福生寺をあとに県道4号を進む。新寺井橋を前に坂を下る。滋賀県の平地で川をまたぐ場合、大概は堤防にとりつくために勾配を登るのが普通である。ところがここは逆、左右の石垣からみても、高台の土地を切り下げて道路を通したと考えられる。ちょっと印象的なところである。





写真235.新寺井橋
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 坂を下り切ったところが新寺井橋。クルマの陰になって見えないが、橋の左手前畔に、愛宕山常夜灯が立つ。








写真236.寺井橋
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 ”新”があるということは、ただの寺井橋があるということで、それがすぐ右に。杣街道はこちらの道である。川は大原川。寺井橋から大原川下流を見たところ。奥に見えるのが草津線の鉄橋。そこから150mほど下流で杣川に合流する。







写真237.寺井橋スタート
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 寺井橋をスタートする。改めて地図を確かめると、このあたりは大きく「甲賀町大原市場」とあり、西側に「旧市場」、東側に「新市場」とある。現在「大原市場」という交差点はここからは少し離れたJR「甲賀駅」の東側ということになるが。

  写真238.踏切が見える
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 踏切が見えてくる。踏切を渡る









48.金刀比羅神
写真239.石碑群
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 上の踏切を渡る写真で、クルマが走っているあたり。サクラの木が見えているところに広場があって石碑が並んでいる。いってみれば石碑の団地というところか。

  写真240.金刀比羅神
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 往年の柳家金語楼を思わす丸顔の金刀比羅神。そしてここにも愛宕神。そして西宮神社遙拝所。こうなると分からない。






写真241.御婆ちゃん二人
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 撮影を終えて街道へ戻ったら、老人会の帰りか御婆ちゃんが二人、大きな声でひそひそ話。









49.補陀楽寺碑
写真242.補陀楽寺碑
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 上の御婆ちゃんの写真で左側に石碑が見える。下の大きな字の「補陀楽寺」は読める。上半分は2行になっていて、右は「甲賀西国XX番札所」、左は「甲賀X西国第四番札所」あたりまで何とか読めるのだが、何で番号が2つもあったりするのか、基本的な知識がないからどないしようもない。
 細い路地を挟んでもう1つ、小さい碑がある。下の2列の、甲賀ナントカナントカ九番あたりは読めるが。




写真243.補陀楽寺
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 さてその補陀楽寺、どこにあるのかと腰を伸ばしてみると、路地の奥はいいのだけれど、その前を線路が横切っている。こういうことになるのだなー。草津線全通はそんな新しい話ではない(1890(明治23)年)。たしか何年か前に開通120年とかをやっていた。開通と同時にこちら側からの参道はちょん切られてしまったわけだ。どないなっているのかと見に行った。死んでもエエから渡らしてくれと相談できるのかと思ったが、いやいやそれもならぬぞよという構造だった。




写真244.街道を進む
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 腰を伸ばして街道を進む。わずかに右へカーブする。

  写真245.左カーブ
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 そして左へ切り替えし。

写真246.川が見える
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 左の写真のカーブミラーのあたりから、右側に杣川が見える。意外と低いところを流れている。




写真247.十字路
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 十字路に出会う。









50.多喜橋
写真248.多喜橋
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 右へ曲がってすぐ橋が見える。親柱に多喜橋とある

  写真249.下流を見る
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 下流を見る。右に影と重なって合流する川が写真246で見た場所である。
  川底に、粘土層の地層が見える。東方出版『近江の川』(近江地方史研究会編)によると、
  ----これは古琵琶湖層中に生成された「ヌリ」と呼ばれる粘土層の地層で、杣川はまさにこのヌリの上を流れているといえる。甲南町深川市場あたりでは、青灰色に光る川床を間近に見ることができる。----
  とある。このように橋の上から見下ろすとき、方々でこの地層を見ることができる。上流を見る




写真250.アンダーパス
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 振り返ると橋につながる道路は草津線をくぐっていく。青大将がぬーっと顔を出す。

  写真251.街道へ戻る
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 街道へ戻る。










写真252.大原市場
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 分かりにくいが、下の方の標識に大原市場とある。地図ではもっと北の方、この集落の入り口に表示してある。ちょっと現実との間に差がある。どういうことだろう。








51.甲賀駅
写真253.甲賀駅
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 JR甲賀駅。県道から見て、そちら側が表だと思っていたが、こちらの集落側が表らしい。

  写真254.さらに進む
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 いつごろの建築か分からないが、2階の高さも十分にとった豪快な2階建て








写真255.橋?
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 十字路へ出る。右を見ると橋らしいが、バカに欄干が高い。あんな橋があるかなー。行ってみなければ分からない。近づいてみると対岸の屋根と重なっていたらしい。橋であることは間違いない。名は薬師橋とある。







写真256.上流側
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 上流側を見る。右へ曲がっていくところ。白い倉庫のような建物があって、その上が那須ヶ原山。右へ吊り橋状の尾根が続いて油日岳。下流側をどうぞ。ここでも粘土層が見えるような、見えないような。はっきりしない。







地図009.甲賀駅付近地図・1  (国土地理院Web地図に加筆)
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 JR草津線甲賀駅付近の地図である。寺井橋で大原市場集落へ入り、いまA点の分かれ道へ来たところである。分岐点には「けんしん」の建物がある。「赤」のルート(A→B→C→D)をとるか、それとも「緑」をとるか。線の流れとしてはA→F→Gと進んで県道へ入るのが妥当なところである。たとえば前出の「図説・近江の街道」などもそのルートをとっている。ところがG点では県道へつながっていない。昔はそこに踏切があったのだろう。しかし、その少し手前に鉄道をくぐる F→f のルートができた、と考えるのが妥当であろう。誰も好き好んで遠回りをする人はいない。しかし、明治の初め、直線ばかりが求められたとも考えられない。A→G→H→I→C→Dというルートもあったのではないか。そんな気がしてくるのである。
 さて現実はどうか、「けんしん」の前でクルマの流れを見ていた。どちらから来たクルマも、赤い線のA→Bの方へ曲がっていくのである。現在の流れとしてはそれが決定的なようである。と、とりあえず赤のルートをたどることとした。




52.けんしん前
写真257.けんしん前
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 けんしん前である。「けんしん」もなじみになってきた。もう「はんしん」とは間違わない。左への道をとる。細い道である。

  写真258.カーブ
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 不思議なことに町中に妙なカーブである。旧街道もカーブが売り物だが、このようなカーブはない。すぐに草津線の踏切が見えてくる。







写真259.踏切
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 踏切を通して県道4号「大原市場」交差点を見る。踏切内から甲賀駅構内を見る。

  写真260.大原市場交差点
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 単なる記録として撮った写真である。例によって信号(LEDライト)が怖いなと3枚撮っておいた。何とまあマンが悪い、3枚ともぼけたような明るさに写る。






53.けんしん前再び
写真261.けんしん前
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 もう一度けんしん前、緑のコース(けんしんに対して右のコース)を歩く。

  写真262.緑のコース
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 特に変わったこともない。普通の道である。

  写真263.さらに進む
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 何の変哲もない直線道路。







写真264.草津線をくぐる
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 上の写真の毎日新聞の前あたりを左折すると前方にアンダーパスが見えてくる。

  写真265.櫟野川へ
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 上の場所を曲がらずに直進すると、すぐ櫟野川の堤防へ出る。








写真266.櫟野川鉄橋
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 地図009のG点。踏切はない。道路は橋を渡ったところで左岸を下流方へ折れる。

  写真267.櫟野川下流方
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 地図009のG点から下流方を見る。橋の奥で杣川へ注ぐ。







54.補遺・補陀楽寺
写真268.補陀楽寺
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 県道沿いに「補陀楽寺」の案内を見る。街道からの入り口が遮断された寺である。

  写真269.補陀楽寺本堂
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 補陀楽寺本堂本堂。もう1枚案内板









写真270.旧街道側正面
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 先ほどは線路の向こうからこの正面を見ていたわけだ。線路との間の細い道路から。もう1枚。線路越しに、突き当りが旧街道。







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