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S05.杣川流域

S0503C. 杣街道・(新杣川橋〜寺井)

取材:2017.11
初稿UP:2018.01.10


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地図007.杣街道地図・3  (国土地理院Web地図に加筆)
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 左の地図で、杣街道が新名神と交差するあたりから、画面の南東端、天満宮と福生寺が並ぶあたりまでである。六角堂を過ぎたあたりから杣川は大きく蛇行するようになる。その右岸(杣川は南東から北西へ流れる)をJR草津線・県道4号が並走する。杣街道は寺庄の集落を過ぎてからは草津線と杣川の間を通るが甲賀町高野のあたりで草津線を踏切でまたぎ県道へ合流する。





43.新名神高架橋
写真211.新名神高架橋
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 「忍者が飛び出る」。横切る高架橋は新名神。こうして見ると特に情報はないように見えるが、カメラを右へ振ると、すぐそこに見える竹ヤブが杣川である。高架橋の手前で姿を消すのは、川自体が右へ曲がるためである。そのあと新名神の下をくぐって300mほど直進し、左へ折れて戻ってくる。高架橋の奥に見える竹藪がそれである。





写真212.高架橋下
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 高架橋下の側道。それを進むと200mたらずで下を流れる杣川が見える。ほぼ完全に竹藪に覆われている中で、流れそのものが見える貴重な場所である。

  写真213.街道に戻る
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 街道に戻って小さな集落を抜ける。









写真214.蛇行する
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 右上で、竹藪が段になって見える。杣川が蛇行する様子を見たところ。右画面外から現れて岬を作るように右へ折れる。200〜300m進んだ後、左折して次の岬として戻ってくる。そういう岬が2つ見える。そののち草津線の線路を越えて画面左へ消える。ただしその時、川は大原川になっている。杣川は草津線をくぐる前に右へ分岐し、まだしばらくの間、草津線と並行して上流へと向かう。



写真215.草津線
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 草津線と並行する。









写真216.踏切に着く
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 右からやってくる農道にぶつかり、左折すれば踏切。それを越えるとまたT字路。相手は草津線と並走する県道4号である。

  写真217.振り返る
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 T字路から来し方を振り返る。黒い森のように見えるのが杣川の堤防。その向こうに新名神の高架橋。その奥に横たわる山。左が飯道山。中央やや右が烏ヶ嶽。




44.県境の山々
写真218.県境の山々 カシミール3Dで表示
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 草津線から離れて、田んぼの中から県境の山々を見る。左端、前山の裾が下ってくる。その奥すぐのピークが高畑山(773m)。そのあとちょっとの間やや水平。斜めに滑り降りて徐々に上がりだす。次のピークが那須ヶ原山(800m)。吊り橋状のたるみの右が油日岳(693m)。





写真219.三つ頭
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 油日岳の右、だらだら下りの後、ぐっと持ち上がって山頂が3つの割れている山が目立つ。「三つ頭」とは私が勝手につけた名前。地理院地図には山名は記載されていない。カシミール3Dを使って望遠レンズで作図してみると、どうやら前後に並ぶ山がこのように見えるらしい。念のためカメラの高さを660mまで上げてみると、このように見える。向こうの伊勢湾が見えるぐらいの高度だが、油日岳の南方にある717m峰らしい。




写真220.霊山
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  そして”三つ頭”の右に見える高原状の山。カシミールでは霊山と出る。なんとここから霊山が見えるのか。この山は県境の山ではない。れっきとした三重県内の山。名阪国道のさらに南にある山で、標高766m。山頂から三上山が見えるというので登ったことがる。1999年8月、60歳代半ば。いまから考えれば若かった。三雲の烏ヶ嶽の上からのぞいていた(写真集『近江富士遊々』所載 )。
 あらためて、県境の山から霊山まで全体を通してみておこう。



写真221.蛇行する川
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 ついでに蛇行する川をアンコール。1回蛇行するたびに標高を下げていることが分かる。本当はもっと上空から撮りたいところだが。








写真222.県道側から
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 踏切を渡った県道側から。ボツにしようと思っていた写真だけど、上の写真をベースにして改めて見直してみると、竹藪が大きく暗くこちらへ張り出している部分が断続的に見える。蛇行していることが見える。左端に見える遠い山が霊山である。







写真223.愛宕山
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 草津線を渡ったところ(県道側)の右側に碑と灯籠が建っている。碑は黒くて読みにくかったがどうやら”愛宕山”とあるらしい。








45.天満宮
写真224.天満宮
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 踏切から県道4号を300mも進むと、左側に天満宮と福生寺が並んでいる。県道4号は直線的な現代的な道路であるが、神社、寺院がこうして並び建つということは、ここがかつての旧街道のルートであったろうと考えられそうである。まずは天満宮から。
 説明板によると、明治の神社合祀政策で旧大原村の各字の神社が合祀される中で、唯一高野に残された由緒ある天満宮・・・云々と。




写真225.臥牛の像
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 天神さんといえば牛、祭神の使者とされる臥牛の像。










写真226.多賀大社
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 牛は何とか分かるとしても、これが分からない。なんでここで多賀大社なのか。上の説明板では、境内の小宮には、当時高野村内にあった小さな祠を合祀して勅令に応えた、と分かるようなわからんような解説はあるが。

  写真227.山神二体
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 さあだんだん難しくなってきた。しかし、この山神碑はほかにもよく見る。しかしなぜ二体も。







写真228.天壌無窮碑
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 この”天壌無窮”どこかでも見たが、はてどこだったか。記憶量が怪しくなっている上に対象範囲が大きくなっていく。

  写真229.切株
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 枯死した大木の切株。どこだったかなー、いくつか見た記憶がある。どこだったかなー。以下同文。

  写真230.小さな森
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 隣の寺院との間の小さな森。一応のけじめだけはというところか。




46.福生寺
写真231.福生寺
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 福生寺、正面からのいやな光だったが、深く彫られていたので何とか形がついた。下の写真では、現福生寺と但し書きがついて、”後生寺”との表示がある。すぐには意味が分からず、別の寺の話かと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

写真232.後生寺?
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 詳しい説明板があって、明治9年に、後生寺と西福寺が合併して福生寺になったのだという。100年以上前の話がまだ生きているわけだ。






  写真233.福生寺本堂
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 棟の中心にあるのは避雷針だろう。撮るときは気がつかなかった。気がついていてもどうなるものでもなかったが。

  写真234.新寺井橋へ
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 新寺井橋へ向かって坂を下る。






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