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S05.杣川流域

S0503A. 杣街道・(矢川橋〜野田橋)

取材:2017.11
初稿UP:2018.01.10


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地図007.杣街道地図・3  (国土地理院Web地図に加筆)
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 矢川橋・天保メモリアルパークから野田橋まで。甲南町深川の中心部を行く。サンブライト出版『近江の街道』によれば、深川(ふかわ)は舟運によって発展したところだという。この地方の良材を運搬するのに杣川が用いられ、木材運搬の集荷場として矢川神社前の岸に「矢川津」の名があったという。当然、街道も川筋に近く、歩いてみると川で栄えた街道筋との印象が強い。






27.矢川神社前
写真130.矢川神社前
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 矢川神社前である。西側(川の流れでは左岸)から矢川橋を渡ってきて、天保義民メモリアルパークを右に、矢川神社を前に見、右折して杣街道へ入る。









写真131.緩いカーブ
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 緩いカーブ。旧街道の共通の特徴である。少し進んで振り返ると切妻造り民家の白壁がまぶしい。上の写真130にも、同じ造りの家屋(右手前の角)が見える。









写真132.高い屋根
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 正面右にひときわ高い屋根が見える。3階なら低すぎる。やはり2階だろう。見事な屋根である。右に家並が抜けて広場が見える。








写真133.広場を抜ける
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 広場は突き当りの川まで抜けている。川の状況が知りたくて覗いてみる。歩いて来た街道を右折したところ。車が走っているのが杣川の岸である。

  写真134.杉谷川合流
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 偶然の一致だけど、真正面から杉谷川が合流してくるところ。杉谷川、岩尾山の麓から流れ出てくる川である。(後日レポートする)







写真135.高い屋根近づく
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 街道へ戻る。豪快な2階建ての屋根が近づく。教会か何かかと思ったが、そうでもないらしい。個人の住宅か。
 通り過ぎて振り返ったところ。屋根の流れがまた豪快。






28.天満宮
写真136.天満宮
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 小さなお宮さんがある。鳥居には「天満宮」とある。通り抜けて振り返ってみたところ。鳥居の向こうの民家。例の高い2階と雰囲気がよく似ているので間違いかけたが、それは右端に見えている。

  写真137.社殿
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 こじんまりとした社殿。

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  写真138.大杉

       境内から街道を見たところ。順光になるので撮りやすい。道端に大きな杉。→




写真139.南無妙法蓮華経
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 道端の南無妙法蓮華経碑。いくつかの花で飾られ。旧街道なればこそ。











地図007A.杣街道地図・3A  (Google Mapに加筆)
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 甲南町の中心部である。いまも「深川(ふかわ)」という地名が残っている。鉄道の駅もいまは「甲南」になっているが、以前は「深川」だったとか。この草津線が開通した時は深川〜柘植間には駅がなく、三重県近くの人たちは、鉄道に乗るにはいまの杣街道を自転車で行き来したのだという。






写真140.分岐?
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 ゆるーく左へカーブ。道が2つに分かれる、といえるかどうか。右は裏道だろうが。分かれの角になにか石標が見える。









29.伊賀街道分かれ
写真141.伊賀街道石標
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 近づくと「伊賀街道」とある。予備知識があったから、ああこれだなと納得できたが、全く初めてなら、”あれ杣街道ではなかったのか”と驚くこと必定。そしてまた、杣街道も伊賀へ向かうのだからこれでいいのかと逆に納得することも考えられる。何とも思わせぶりな石標である。
 実はこれ、『近江の街道』(サンブライト出版/近江文化叢書13)・図説『近江の街道』(郷土出版社)などによると、水口からこの南の甲南町竜法師辺りを経て三重県内保に至る街道があって、それが伊賀街道と呼ばれていたという。石標の建立は明治22年1月というから、いま歩いている杣街道と時を同じうして整備されたのであろう。その伊賀街道がこの場所の手前数10mのところへ合流し、ここで右へ分かれていたのだという。ということは右へ分かれていく細い道が「伊賀街道」ということになるのだが。昔といまとでは状況が変わっていたのだろう。伊賀街道については、杣川支流を考えるとき、もう一度しっかり見極めなければならない機会があるはず。(伊賀街道、後日レポートする)




写真142.杣街道を進む
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 そのまま杣街道を進む。前を行く軽自動車に日が当たっているところ。右への道がT字路になっている。


  写真143.橋が見える
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 T字路で右を見るとすぐそこに橋が見える。ここが伊賀街道の始点。








写真144.大杉
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 橋にさしかかる手前、左側に巨大なスギが立っている。前出『図説 近江の街道』によると、----- 道はすぐに杣川を渡るが、その岸辺に大きな杉の木がある。これは江戸時代の中ごろからこのあたりにもたらされたと考えられる、富士浅間信仰の行場の一つである。杣川流域には、浅間信仰の本地とされる大日如来の石像が各所に点在し、夏には浅間講、浅間籠りなどと呼ばれる行事が今日に伝えられている。----とある。
  杉の木が行場というのはもう一つよくわからないが、要するにこの杉が目印になるような場所に行場があったのだろう。そういえば新宇川橋のそばに「浅間神社」碑があった。関連があるのだろうか。それにしても町中では考えられない巨大なスギだ。




30.杣川橋
写真145.杣川橋
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 そして肝心の橋、杣川橋とある。『近江の街道』(サンブライト出版/近江文化叢書13)によると、この橋には「助け橋」との別名があるという。それによると---- かつてこの橋は板を渡しただけの簡単な橋で、女、子供は通行するのに難儀した。橋のたもとに住む老人が、いつも手を引いて渡してやっていた。その老人を「たすけさん」と呼び、それが橋の名にもなったとか。----




写真146.上流側
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 上流側を見る。すぐ近くに甲南大橋が見える。右側の大きな建物は甲賀市役所甲南庁舎。カメラを右へ回す。油日岳、那須ヶ原山など、県境の山々が見える。









写真147.下流側
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 杣川橋から下流を見たところ。地図で見ると下流側、川筋線上に飯道山がある。カシミールで作画して見ると間違いない。写真で見ると左の方にポコンとわかりやすいドームが見える。それを基準にして見ると分かりやすい。そのドームを0番目として、右へ3つ目の一番高いピークが飯道山だ(画面中心より少し右山裾に高い鉄塔が立っている。その上のピーク)。だとする烏が岳はというと、もうちょっと右を見る。真ん中の広いのがビール腹らしい。




写真148.大杉
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 橋の上から改めて大杉を見たところ。ご覧のように3階建てのマンションに立ちふさがる。いろいろ問題もあろうが、これは絶対に杉が先にあったのだから、文句の言いようもないだろう。それよりも大きな杉の木に守られてあり難いと感じるか。これは考え方。高さは5階、いや6階以上か。もう1枚





写真149.街道に戻る
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 橋から街道に戻る。右へ行けば甲南駅(JR草津線)。

  写真150.進む
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 白壁が美しい。









31.鋭角三叉路
写真151.鋭角三叉路
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 鋭角の三叉路へ出る。上の写真で横断歩道が見えていたところである。左へ行けばJR甲南駅。杣街道はこのまま直進するのだが、すぐまた一旦停止の交差点がある。これが甲南大橋からやってくる広い道。この写真がその広い道まで出て左を見たところ。突き当りがいま見ている三叉路を左へ進んだところ。そこに見えているチョコレート色の壁がこの写真にも見える。どうでもいいことだけど、結局、この鋭角の住宅は島区画になっているわけ。そんなことで、楽しくなって道の様子ばかり見てそのまま通り過ぎてしてしまった。そこに埋まっていた県道標識を見つけたのは帰りだった。




写真152.県道終点標
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 上の写真の右端の壁の陰に隠れていた県道の指標である。「県道小佐治甲南線」までは読める。その下に”始点”か”終点”かが埋まっているのだが、順番から行って終点であろう。さてその県道小佐治甲南線とは。道路地図で調べてみると甲賀市小佐治とつながっている。今の終点は?、どうやら例の甲南大橋から来る広い道、何の気もなく撮ったこの写真の撮影場所までらしい。まあどうでもいい話だけど。
 そしてその側面、「甲賀郡甲南町大字深川」までは何とか読めるけれど、それに続いて左下に何か数字らしきものが見えるが、これはどうにも解読不能。




32.甲南大橋
写真153.甲南大橋
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 先ほどの広い道(県道4号野田交差点からやってきた甲南停車場線・県道124号)へ出て、右方、甲南大橋を見たところ。橋のたもとに「秋の風」と題した女性像が立っている。こういうアホなことをやっていてもクルマはこない。時間帯にもよるのだろうが。






写真154.上流を見る
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 先ほど川筋から離れて右の方に見えていた那須ヶ原山・高畑山が正面に回ってきている。

  写真155.下流を見る
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 杣川橋と右岸の大杉が見える。









写真156.街道に戻る
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 先ほどの広い道交差点に戻る。横断歩道を歩きながら見るともなしに表示されていた文字を読むと「滋賀県信用組合…」、?。ということはさっき見た橋のたもとの大きな標識。無意識に、何でこんな所に「阪神が・・・・」と思っていたが、「けんしん」だったらしい。そういわれたら「は」でないことは確かだが、しかしこれこれほんまに「け」け?。
 渡ったところ左側に八幡宮の鳥居が見える。




33.八幡神社
写真157.八幡神社
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 八幡神社の鳥居。参道にはいるガラス張りの本殿。最近この手の神社が増えた。いろいろな事情からこういうことになるのだろうが。何ともねー。









写真158.神社前水路
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 参道を横切って境内の前面をまくように流れる小川。いや、小川じゃない水路かな。このときは川のことは何も考えずにシャッターを切った。意識したのは突き当りの道路。これが今入ってきた鳥居の前の道路、すなわち杣街道なのである。鳥居へ戻るよりどうせそちらへ行くのだからと、この道を歩きますよという意味で撮った写真である。何でこんな面倒くさいことを書くのかといえば、実はこのあとすぐ、この水路の上流を見ることになる。言ってみればこれはその予告編。いまこの写真を編集する段になって、地図を見て初めて気がついたという次第。




写真159.小学校前
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 このときは上の写真の水路のことなど、何も考えていない。甲南第一小学校前。工事中だった。そして、ショッピングセンター・ジョイ。店の背後から電車の音が聞こえてくる。









写真160.鉄道と並行
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 しばらくの間草津線と並行する。走っているクルマの後ろ、右の家の切れたところで、右へ出る広場があって、そこから杣川が一望できる。









写真161.下流を見る
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 ゆるーく左へカーブしながら流れ下る。右のほうの橋が甲南大橋。その向こうに例の大杉が見える。すぐ目の前の流れ、水のきれいさ抜群。上流側。 T字型の水平な橋が見える。これが野田橋。その上を左上がりの斜めの橋が見える。これが県道4号竜法師につながる新しい橋である。





34.野田橋
写真162.野田橋
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 先ほどの野田橋東詰の交差点である。名前はない。その向こうに新しい高架橋(国土地理院のWeb地図には結幸高架橋とある)が見える。いま歩いている道も、この高架橋もすべて県道127号・小佐治甲南線だからややこしい。右へ折れると野田橋。流れを撮ろうとしていたら、草津線の電車がやってきた。






写真163.下流を見る
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 野田橋を渡り切ったところ(川の流れでいうと左岸)から下流を見たところ。突き当りに見える小さな山。高くはないがが目立つ山である。甲南駅背後の山地らしい。

  写真164.祠
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 上流側、堤防の外側に祠が見える。地蔵さんらしい。案内板には「夜張り地蔵」とある。









写真165.上流側から
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 野田橋を上流側から見たところ。対岸、信号のそばに川が合流しているのが見える。もう少し近づいて合流点を見る。川も道も複雑なところである。
 ここで合流してくる川は佐治川といって、甲賀町小佐治あたりから流れ出てくる川で、高架橋がつながる県道小佐治甲南線(県道127号)とほぼ同じルートをたどる。野洲川と峰を分けるわけで、いわば身内同士。今回のテーマとは直接関係を持たない。




35.細い水路
写真166.細い水路
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 さて、佐治川の合流点を眺めていて、もう1本の細い川が気になりだした。佐治川と同じ杣川の右岸を流れているので、今回のテーマとは直接関係はない。しかし気になりだしたらやめられない。左の写真で手前左から右へ流れるのが佐治川である。そしてその向こう、奥から手前に向かって河川敷を細い川が流れて来る。この写真では両川の高さは分からない。しかし、上で見た橋の上からの写真を見ると明らかに細い川のほうが高い。にもかかわらずこの細い川の水がそれより水面が低い佐治川に流れ込む形跡はない。この川の水はどこへ行ったのか。佐治側の下をくぐって下流側へ出たとしか考えられないのだが、上から見ただけでは木が茂っていて見えない。




写真167.細い水路その後
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 この細い水路は要するに杣川には落としたくないのである。落としてもいいものならとっくに合流させている。とすれば交差点を越えて下流側へつながっているはず。それが左の写真である。杣川より一段高いところを流れている。そして、こともあろうにまた上から流れてきて杣川に合流する流れとぶつかっている。そしてそれを越えた先では、こともあろうに、水位がまた高くなっているように見える。水が逆流してきたかのような様相である。




写真168.水の交差点
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 その交差点である。手前の方から流れ出て杣川に落ちる水。その下を左から右へくぐる細い水路。上をまたぐ水路のその先は当然杣川なのだが、その落ちた先に右側から元気よく流れ出る水。そしてそのもとはと見れば、細い川としか考えられないのである。こんなところで落とすなら、もっと早く落とせばいいではないか。こうなれば推理も支離滅裂。
 そして、この流れはどこへ行くのか。地図でそれをたどっていてふと気がついたのである。この下流の八幡神社の前を流れている水路がこの下流い当たるらしい。一銭のトクにもならない流れの推理だけど、面白かったし結構楽しかった。




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