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S05.杣川流域

S0501B. 杣街道・(湖南・甲賀市境〜宇川橋)

取材:2017.10・11
初稿UP:2018.01.10


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地図005.杣街道地図・1  (国土地理院Web地図に加筆)
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 JR草津線・三雲駅前を出発点として、草津線沿いの道を歩いてきた。横田常夜灯が立っているところで小川沿いに野洲川畔へ出て対岸のTOTOの丘を見たのを最後として、川の流れは園養寺の前で竹薮越しに流れを見ただけで、それ以外は何も見えず。そしていま市町境を越えたところである。山峡を出て視界が広がった。そして見た川の流れは杣川に変わっていた。手品を見る思いである。あとは里の風景を楽しみながら歩くことができる。
  市境から川の左岸沿いを歩き、新宇川橋左岸で右折、草津線を渡って左折、水口町岩坂の集落を抜けて宇川橋までを歩く。


6.杣川と出会う
写真036.杣川
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 園養寺の少し上流が分岐点(川の流れでいえば合流点・園養寺山中からほんのわずか眺めることができた)、川は杣川に変わっている。その流れが風景として見えるのが楽しい。








写真037.鵜が数羽
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 鵜が数羽、川の浅瀬で遊んでいた。注意していたはずだが、カメラを向けた途端に逃げ出した。向こうへ逃げるのが常識のはずだが、何を勘違いしたのかこちらの方へ飛び出した。あっという間に目の前を通りこして下流の方へ

  写真038.下流へ
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 もうちょっといたと思うけれど最後までカメラに入ったのはこの4羽だけだった。やっぱりこういう遊びができると楽しくなる。







写真039.忍者電車
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  警報機が鳴りだした。市境を越えて初めて山手の県道4号へ向かう踏切だ。やってきたのが忍者電車。このデザインはうるさい。気持ちはわかるがとにかくうるさい。でも仕方がない。
 バックに見えている山は烏ヶ嶽の前山らしい。三雲からずーと裾をまいてきて、甲西あたりから見る涅槃像をちょうど裏から見ていることになる。踏切の背後が方向としてはその頂上になるはずだが、見えているのはその手前のピークらしい。




7.新宇川橋
写真040.新宇川橋
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 上流側に新宇川橋が見えてくる。











写真041.橋が直角に
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 実はいま川に沿って、いわば堤防上の道を歩いているわけだが、その堤防に橋がかかっている。その橋が新宇川橋(クルマが走っている橋)と直角に交わっている。横から川が流れこんできていることになる。その川の名が荒川というからややこしい(荒川は湖南市・旧甲西町にもあった)。






写真042.下流を見る
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 新宇川橋から下流(先ほど鵜が飛んでいったほう)を見たところ。左上から下ってきた山裾がすこんと切り込んでいる。そこを川も道も鉄道も肩を並べて通ってきたわけ。
 蛇足だけど、左上からの線の続きのように、一段と色の薄い山が続いて見える。これが十二坊である。





写真043.上流を見る
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 同じく新宇川橋から上流を見たところ。











写真044.踏切を渡って
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 新宇川橋を後ろにして川から離れる。すぐに草津線の踏切。御代参街道のときにも感じたのだが、クルマでこのあたりを走っていても電車に出くわすことはめったにない。ところがこうして写真を撮りながら歩いているとアレッまた来たと思うぐらいに電車に出会う。このときも時間調整したわけではない。さあ行こうかと思った時にやってきた。同じ来るならもう少し気の利いたやつが来てほしいのだが。
 このまま踏切を渡って直進すると山の中腹を走る県道4号に出会う。




写真045.「淺間神社」碑
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 これからたどろうとする道は、県道まで行かずにすぐ左折するのだが、その反対、すなわち荒川(といっても幅2mほどの流れだが)の向こう岸に不思議なものが見える。









写真046.「淺間神社」碑
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 行ってみると”淺間神社”と刻んだ碑である。”浅”という字が旧漢字なのと石の模様とが重なって”凌”の字に見えたりする。それはいいのだが、その後ろに見える仏像(だと思うのだが)、これが場所といい大きさといい何とも不似合いな。「文句言うなら来るな!、この罰あたりめが」、といわれそうだが。ここになぜ「淺間神社」碑なのか不明。





8.岩坂十三仏
写真047.里道へ
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 さて、予定通り里道へ入る。”左最勝寺道”の碑が立っている。

  写真048.岩坂十三仏
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 上の写真で左に見える2軒目の小屋あたり、右手を見ると”岩坂十三仏”との案内が見える。岩坂とはこの先もう少し行ったところの字名。”水口町岩坂”とある。首を伸ばして森の中を見ると何かが見える。





写真049.十三仏
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 上ってみると石仏がいくつか並んでいる。

  写真050.十三仏
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 真ん中の円の中に小さな仏さんが13体彫り込まれている。十三仏なのだろう。こういうものを見る力がないのが情けない。もう1枚







写真051.一字一石経
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 上の写真049で、左端のでかい石灯籠の右に見える碑である。”一字一石経王塔”とある。?、これさっき見たぞ。園養寺釣鐘堂のそばに立っていた。これは何を意味するのかと思って見たので記憶がある。
 経典を小石に1字 ずつ書写したものを地中に埋め、その上に年月日、目的などを 記した石塔の類を建てたものだとか。ということはこの塔の下に一字一石の小石が詰まっているということか。周囲の字が読めないからどうしようもないが。そういえば園養寺のそれは、塔に”日露役戦病死者紀念”とあった。なるほどそういう意味だったのか。




写真052.岩坂へ
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 十三仏から下るとすぐ岩坂集落が見えてくる。もう1枚









9.岩坂集落
写真053.左右に分かれる
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 左右に分かれている。集落の中を行く道と外側を巻く道と。多分外側はあとでつけたバイパスだろう。ということで中の道を行く。

  写真054.文化の日
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 と、ありました。いまは少ない国旗が揚がっている家が。そういえばきょうは文化の日だ。でも国旗を見たのはこの家一軒だけだったけど。もう1枚







写真055.懇親会?
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 自治会館らしき建物の前で懇親会?が開かれていた。一生懸命何かをやっている人と、暇そうにそれを遠巻きに眺めている人と。いずこも同じ風景。








写真056.右最勝寺道
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 自治会館前に立っていた”右最勝寺道”。中道をとったのが正解だった。外道(集落の外側を通る道、げどうではない)をとっていればこの道標には出会わなかった。もとの道は中道だったのだろう。ちなみに最勝寺とは、現場から県道4号を越えて600mほど山を登ったところ。こうして石標があるのだから、昔は名のある寺だったのだろう。




10.里道を行
写真057.外道へ
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 道標のところを左折すると元の外道に戻る。県道4号は大がかりなバイパスだが、外道は集落だけのちょっとしたバイパスだったのだろう。

  写真058.登りに
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 集落のはずれから、ちょっとした登りになる。

  写真059.電車が
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 草津線の電車がやってくる。








写真060.振り返る
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 電車をやり過ごしたあたりから、烏ヶ嶽を振り返る。草津線の甲西駅あたりから見る涅槃像(左の小さいのが頭・右のでかいのがビール腹)をちょうど反対側から見ていることになる。いちばん右が頭で2つ小さなコブがあって3っつ目(赤白の鉄塔の左)がビール腹ということになりそうだが、甲西駅からと違ってこちら側はまだ山に近い(白線が甲西駅近くまでの距離・赤線が現在位置水口町岩坂までの距離)。カシミールで作図してみると、一応本体が見えているように出てくるが、実際に見えているのはどうやらまだ前山らしい。すぐ奥に本物ビール腹があるようだ。
 左に見えるのが先ほどの岩坂の集落。青い屋根が自治会館らしい。手前に伸びてくる道が上ってきた坂道。右側ずーっと奥にその気になれば新宇川橋も見える。さらにその向こうに十二坊も。




写真061.峠を越える
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 峠を越える。写真で見るとどんな峠かと思うが、ちょっとした山裾の張り出しを越えるだけだけ。

  写真062.踏切を越えて
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 ちょっと下って踏切を越える。











写真063.烏ヶ岳
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 草津線が左側へ逃げる。まっすぐ登ってくる勾配が印象的。蒸気機関車のころは煙で烏ヶ嶽がかすんだだろう。山の見え方は先ほどと大差なし。








11.宇川橋
写真064.宇川橋
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 堤防へ出て右折。すぐに宇川橋へ出る。学校帰りの中学生が、「コンニチワ」と声をかけて通り過ぎていった。きょうは文化の日、学校は休みのはずだけど、部活帰りかな。









写真065.白い親柱
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 左右で親柱の色が違う。右だけ新しく取り換えたのかと思ったが、そうでもないらしい。刻まれている字が今の字ではない。まず旧仮名遣い。その上に”うかははし”の最初の”う”の字。こんな字はどない頑張っても今のワープロでは打てない。一生のうちに一度でいいからこんな字を書いてみたい。





写真066.下流を見る
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 両岸が竹薮、こうして川の流れの向きにしか水面は見えない。その見えにくい水を真上から見るととてつもなく澄明

  写真067.上流を見る
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 ずーっと続く竹藪の向こうに県境の山々がライトブルーに続く。あの麓から流れ来て、なおこの透明さを維持している日本の水。






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