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S05.杣川流域

S0500. 杣川流域概観

取材:******
初稿UP:2018.01.10


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1.杣川・杣街道

 さてここで話が急転する。早い話が本項のタイトルから「野洲川」の文字が消える。この”野洲川物語・野洲川流域を囲む分水界峠道探訪”の旅は、国道8号野洲川大橋右岸畔を出発点とし北周りで野洲川流域と隣の家棟川・日野川流域との分水嶺をトレースしながら、三重県境の武平峠にたどり着き、もう一度国道8号野洲川大橋へ戻り、今度は左岸畔から南周りで栗東市との境を分水嶺としながら阿星山を過ぎたところまでをたどってきた。
 その間、流れ下る諸河川の流れ込み先は終始一貫野洲川だった。野洲川流域内の流れが野洲川に流れ込む。当たり前の話である。ところがその話がここへきて一転する。流れ込み先が杣川に変わる。もちろんその杣川は野洲川へ流れ込むのではあるが、とりあえずの流入先が「杣川」に変わるのである。



地図001.野洲川流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 野洲川流域の大半は、甲賀市域の信楽町を除く4町(水口町・土山町・甲南町・甲賀町)で占められる。杣川はそのうちの南半分、甲南町・甲賀町域の水を集め、野洲川の横田橋上流2Kmの地点で野洲川に合流している。滋賀県内を走る国道1号が野洲川沿いを走るのに対し、JR草津線が杣川沿いを走っているといえる。そしてもう1本づつ。野洲川沿いには旧東海道(途中からは支流の田村川沿いになるが)、杣川沿いには杣街道が通っている。
 杣街道、現在の湖南市三雲からJR草津線沿いに三重県柘植に至るルート、県道4号にあたる。1994年郷土出版社発行の『図説・近江の街道』には、概略次のようにある。
 ----この道の歴史は古く、大津宮時代には東海道がこのルート上に設定され「倉歴(くらふ)道」と呼ばれ、現在の柘植から加太を経て関へと抜けたいたといわれている。壬申の乱後、宮が再び大和へ移されてからはすたれたが、のちに都が京都に移されると、再びこの道が東海道として利用され、鈴鹿峠(* 阿須波道・あすはみち)が開かれるまで続いたとされている。(注・阿須波道碑:滋賀県甲賀市土山町市場、国道1号大日川沿いに建つ)
 このように歴史的には古いものを持ちながら、近世以降は生活道路としての色彩が強く、組織的に整備されたものにはならなかったが、明治20年から近代化政策の重要施策として道路の整備・拡張が進められ、県道草津柘植線の一部として復活した。道の起点となる旧横田橋の南端に建つ「新海道」の石碑(現在は三雲の天保義民碑のそばへ移されている。写真は現在の姿)はその記念碑である。----
 本稿では、このあと杣街道をたどりながら杣川のルートを確認するが、その前に阿星山から飯道山に至る分水嶺を再確認しておこう。




2.湖南市・信楽の尾根をたどる
地図002.湖南市・甲賀市信楽境付近地図1  (国土地理院Web地図に加筆)
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 野洲川頭首工左岸付近から立ち上がって阿星山付近までは分水嶺は湖南市と栗東市の境をたどってきた。阿星山の少し南で対象は甲賀市信楽地区に変わる。その付近の湖南市側が落合川源流である。美松台住宅地裏から「阿星越え」へと遡ったが、荒れた道に進路を塞がれ道半ばで退散を余儀なくされた。そのあと野洲川の流れに沿えば家棟川(由良谷川)、大沙川などの独立小河川が流入するが野洲川流域の分水嶺には達しない。そういった事情で「阿星越え」のすぐ東側は荒川西流の源流域になる。



地図003.湖南市・甲賀市信楽境付近地図2  (国土地理院Web地図に加筆)
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 そのあと分水嶺(湖南・甲賀市境)は大納言電波塔に至る。大納言の位置についてはここでは述べない。そのあと稜線はやや複雑な形をたどり、548M峰で湖南市側へ寄るが、すぐに元に戻ってアセボ峠に至る。その付近が荒川東流源流である。いわゆる独立小河川(家棟川・由良谷川・大沙川)が野洲川流域分水嶺に達しなかった分、荒川流域が占める分水嶺は長い。アセボ峠を越えた後さらに市境の尾根は南東へ伸び飯道山に近づいていく。
 さて、この ”近づいていく” といういいまわし。何となく歯切れが悪い。普通なら ”飯道山に至る” というところである。



地図004.湖南市・甲賀市境付近地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 さて、アセボ峠を通過した市境は、甲賀カントリーCの裏山613M峰からさらに南東へ進み、飯道山の北270mまで近づく。問題はそのあとである。そのまま飯道山に向かうかと思いきや、急に北東へ向きを変える。行く先は?。すぐ目の前にある625m峰、それはよい。しかしそれからが問題である。ぐんぐん標高を下げ399m峰に至る。標高を下げたのがいけないというわけではない。問題はその手前で渓流をまたぐ。
 本稿、地図1,2,3で述べてきた稜線は湖南市と栗東市ないしは甲賀市との市境であると同時に野洲川流域と他の流域との分水嶺でもあった。しかし、ここでその線は川をまたいだ。市境が川をまたぐことは取り立てて珍しいことではない。しかし、分水嶺としてはあってはならないことである。いま訪ねている野洲川分水嶺とは、とりもなおさず野洲川流域を取り巻く 「 川をまたがない1本の線 」である。ということは、阿星山付近からトレースしてきた稜線の、市境がすなわち分水嶺であるという条件がどこかで崩れていたということである。
 その地点を詮索する前に、いまトレースしてきた市境(もはや分水嶺ではない)の行き先をもう少し読んでみよう。市境はその先、さらに標高を下げて平地に出る。出た先は野洲川と思いきや、いままで一度もその名が出てこなかった ”杣川”。その杣川が今まさに野洲川に合流しようとする直前の地点である。思いもかけない事態、どこかでアクシデントが起こっていた。分水嶺だとばかり思い込んでいたその線(市境)はどこかで分水嶺ではなくなっていた。そして野洲川だとばかり思い込んでいた大地の川は、「杣川(そまがわ)」に変わっていたのである。
 分水嶺の件はいったんさておいて、杣川をたどることにする。




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