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W 電波塔越え 地図009.アセボ峠付近地図 (国土地理院Web地図に加筆) 「大納言」という名の不思議な山がある。「大納言山」ではない。”山”がついても結構珍しいのに”山なし”では、昔の官職名のような。そしてこの山、位置的に飯道山のつけたしのようにも見える。それが証拠に山のガイドブックを見ても飯道山は必ず載っているのに大納言はまず素通り。 地図010.大納言電波塔付近地図 (国土地理院Web地図に加筆) これはどう見ても電波塔の場所が大納言である。たとえば、昭文社のライトマップルを見ると、この位置を大納言としている。ただし標高は583.3m。そしてこの値(583.3m)が、2000年前後の50,000分の1や、25,000分の1地形図の右下に見える三角点の標高なのだからややこしい。グーグルマップ/マピオン地図/ヤフー地図では右下の三角点(583.1m)を「大納言」としている。地図のアラさがしをしているようだが、ことほど左様に大納言はややこしい。 3.電波塔遠望 写真012.稜線に立つ 大納言は地図によって場所が異なるのだからこれを同定することはあきらめて、とにかく電波塔の実態を探す。ところがそれが茫々と続く稜線の中にあるのだから簡単ではない。この電波塔がいつ建ったのかは分からないが、少なくとも今のいままでその姿を意識して見たことはなかった。今回、以下のレポートのために実際に取付林道を歩いてい見て、やっとおよそのその場所を理解することができた。そして見つけたのがこの場所である。 写真013.にごり池から 上で少し述べた湖南市大池町のにごり池である。思川探索のところで述べたが、ここが野洲川分水嶺の一つ”にごり池越え”である。そのとき電波塔には全く気がついていない。大納言という山が存在することは知っていたが、それが真正面の山だとは考えてもいない。ましてそこに立つ電波塔おやというところ。 3.電波塔林道 写真014.電波塔道入口 県道53号、アセボ峠を信楽側へ少し下ったところの電波塔道入り口へ。右側のガードレールの切れたところ。 写真015.歩き始め 舗装道路の一車線。電波塔の管理道路だからなるほど舗装道路か。歩きだしから勾配が結構きつい。これは手ごわいぞ。後で分かったことだが、この林道は、勾配のきついところだけが舗装されていた。 写真016.左側の流れ 最初道路の右側に水の音が聞こえていたが、気がつけば左側へ移っていた。さっきまで荒川東流を意識していたので、こんな奥までさかのぼるのかと感心する。しかしよく考えればアセボ峠を越えての話。荒川の水源がこちら側にあるはずはない。それがアンテナまで行って引き返して来るまで気がつかなかったのだからおめでたい話。これは南郷洗堰の下流で瀬田川へ合流する大戸川の源流。水系が全く違う。 写真017.舗装が切れる 軽トラが回せるぐらいの広場があって舗装が終わりになる。急に天気が回復してコントラストが強く難儀する。 写真018.暗渠の出口暗渠の出口が2本、にょきっと顔を出している。右側のは道の反対側(右側)から道をくぐってやって来たもの。左はそのまま少し上流の源流林からやって来たもの。 4.源流林 写真019.源流林 これを源流林というのかどうか知らないか、この林を見てふとこの言葉がわいてきた。実際にはもっと原始的な巨木が生えているところを言うのだろうが。このときにはこの杉林がその言葉にふさわしく感じた。もう1枚。自称源流林の道を行く。 写真020.太陽に向く道が太陽光線と同じ方向になると強いが降り注ぐ。逆に横を向くと夕闇が迫るごとく。 写真021.右へ分かれる 山の林相から考えてもともと無理な話ではあるが、一面ススキの尾根道の向こうにアンテナがすっくと立つ姿を想像していた。もちろんそれが無理なことは百も承知だが、少なくともある距離隔てたところから、そう高くない位置に見上げる姿を想像していた。その姿を認めた時点でそこで引き返すことすら考えていた。それがどうしたことかその姿すら現さない。もう1枚。アンテナの姿より、展望そのものが利かないのである。 5.声聞くときぞ 写真022.シカがいた 何の思いもなくカーブを曲がった。30mほど先にシカのシルエットが…。レンズを変える余裕はないし、近づけば逃げるだろうし。アップをもう1枚。顔を上げてこちらを向いている。・・・・次の瞬間には、お尻をこちらに向けてひょこひょこと去っていった。 写真023.声聞くときぞ 曲がり角にススキの穂が光る。動物の鳴き声が聞こえる。ピ―ーピーーーと甲高い長い声。ピッコロとフルートをミックスしたような。シカの鳴き声は知らないが、先ほど逃げていったヤツの声だと決め込んだ。 写真024.舗装道路 道が舗装されている。これは電波塔のエリアに入ったということだろう。もうすぐだ。人間なんでも都合のいいほうに考える。たかだか50mほどが舗装され、また砂利道に戻る。何やこれは。意味は帰りにわかった。その部分だけ勾配がきついのである。最初の舗装のところでも勾配がきついなと思ったが、それが舗装につながるとは考えられなかった。ところが帰り、実際の下りを歩いて、なるほど、だからここだけ舗装されていたのか。勾配のきつさは下りの方が感じやすいのである。 写真025.見えた ススキの草原の向こうとはイメージが違うが、とにかく見えた。それも上半分だけが。意外に近い。ここまで近づくまで見えなかった、といったほうが実感に近い。 写真026.また、ひとしきりそしてまた、ひとしきり歩く。もう1枚。 写真027.おッそこだ 急に現れる。見上げるばかり。 写真028.また見えなくなるそして、また隠れてしまう。 6.見上げる 写真029.真下から 真上に見える。 写真030.最後のカーブ最後のカーブ。突き当りの向こうに高圧線鉄塔が見える。曲がったら湖南市の平野が見えると思いきや・・・。 写真031.きっちりガード 門扉できっちりガード。門扉には「宮町無線中継所」とある。ここが湖南市ではなく、甲賀市信楽町宮町であることを知る。”古代ササユリ観賞会”の文字が見えるが、これは何かの団体が張り残したものだろう。 写真032.ネット越し ここへ来れば、何とか下界が見えるだろう。それが目的だった。ところがこのようなさま。門扉のあいだから撮ってきた。向こうのネットにぴしゃりと来ている。失敗。それがどのあたりかを読み取ろうとするのだが、範囲が狭く、その上にピントが来ていないのだからどだい無理な話。 写真033.帰り道 往路には気づかなかったカーブミラーに電波塔がはみ出さんばかりに写っていた。 |
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