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S04.荒川流域

S0401. 荒川をさかのぼる・荒川西流A

取材:2017.09
初稿UP:2017.10.30


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地図003.荒川下流流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 荒川は飯道山北西斜面の水を集めて野洲川横田橋左岸約500m下流の地点へ流れ出る。河口から約1Km上流の地点で左右に分岐する(実際の流れは合流)。分岐点はさかのぼる立場から見るとY字をなしており、東から流れ下る流れは県道53号沿いアセボ峠付近を源流とし、西からの流れは北西側、阿星山との境あたりを源流としている。本稿ではまず後者を対象とし、前半では中流に当たる妙感禅寺あたり、左の地図では河口から「分岐C」あたりまでを探索する。






1.河口付近
写真001.三上山
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 野洲川、横田橋の下流500mほどのところ。荒川の河口である。下流に三上山がきっちり見える。以前何かのときに一、二度来た記憶はある。こんなにしっかり見えなかったような気がする。何か事情が変わったのかもしれない。さてこれは副産物。きょうの目的は荒川である。







写真002.対岸
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 対岸、森の上にTOTOのマークが見える。なるほど、ここは横田橋の下流。広く見れば「三雲・朝国狭隘部」の一部でもある。対岸はTOTOの丘だ。ここからは見えないが横田橋はこの上流(右方)である。後で分かるがこのTOTOの看板がランドマークになる。

  写真003.落差工
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 河口そのもの、まさに合流点に落差工がある。河床には何か人工的な施しがある。








写真004.新田川橋
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 70mほどさかのぼったところに幅がクルマ1台ほどの橋がある。ネームプレートに”新田川橋”とある。ネームプレートがついているのはあり難いが、今回のような場合はこれがまた悩みの種。橋の名前は大概が地名か川の名がつく。この「田川」が地名なのか川の名なのか。川は荒川のはず。さらにうがった読み方をすれば”にったがわはし”と読めないこともない。
 橋の上から下流を見たところ。きれいな河口部。突き当りが野洲川。




写真005.上流を見る
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 新田川橋の上から上流を見る。目の前の橋が県道4号・・・と書こうと思ってぼーっと地図を眺めていたら、?、で県道4号は少し石部寄りのところで三雲トンネルの方へ迂回していた。そんなことで写っている橋は元の国道1号の橋だが、いまは県道13号の橋。






2.県道13号
写真006.県道13号
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 県道13号(旧国道1号)。クルマの後方が荒川の橋。名前は不明。
 と、橋だけを見てネームプレートがないのを確認した。ところが1っか月ほどして三雲通いをしていたころ、橋のたもとで信号待ちをしてふと見ると、その信号の名称が「田川橋」となっている。参った。「写真004.新田川橋」の意味は明らかになった。そこで書いた”にったがわばし”と読めないこともないという心配はなくなった。”田川”が川の名か地名かという問題は残るが。




写真007.通行止め
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 「荒川橋までは通行できます。通り抜けはできません」との表示。荒川橋がどの橋で、通り抜けできませんという対象が人間か、クルマかは分からない。人間は何とかなるだろうと直進することにする。だめなら戻ってくればよい。







写真008.上流を見る
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 県道(旧国道1号)の田川橋の上から上流を見たところ。右にぽこっと丸いピーク、左にちょっと裾の広いしっかりしたピークが見える。

  写真009.川沿いを行く
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 すぐに道は川沿いに出る。砂州が広がる。水は透明。行く手に橋が見えてなんだか工事中の様子。あれが「荒川橋」らしい。







写真010.常夜灯
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 でかい常夜灯が建っている。建っている場所は三雲公民館の敷地らしい。場所も芸がないし、灯籠そのものもあまり魅力的ではない。無視しようかと思ったが、後で考えるとすぐ上流、いま工事しているところが旧東海道。ひょっとすると・・・。







写真011.工事現場
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 すぐに工事現場につく。たしかに車は通り抜け不可能。歩いてなら橋も渡れる。というよりももともと歩行者専用の橋。そもそもこの橋は旧東海道のものだったらしい。それを拡張するというのだろう。






写真012.石標
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 工事で囲まれた枠内に石標が建っている。奥のいちばんデカイやつには「立志神社」とある。地図でこの名前は見た記憶があるが、ルートから少し離れていた。これはいい。その手前、いちばん小さいのには「妙感寺云々」とある。旧東海道の旅人への案内だろう。実は今回の歩きは一応、目的地を妙感寺と予定していた。この石標を見て何となくうれしくなる。
 問題は一番手前の黒いやつ。字が読みにくいが、すくなくとも「田川」の2字が見える。河口のところで”新田川橋”というのがあった。川の名か地名かと悩んだ。私の能力では下の2文字が読めないことが悔しいが、これはどうやら地名らしい。はて、田川とは。『近江輿地志略』を探したが手掛かりなし。ふと思いついて今井金吾著『今昔東海道独案内』を探す。その中で次のような記事が見つかった。現在の草津線三雲駅あたりがかつて田川村と呼ばれていたとかで、「上りの立場」だという。石部のところでも難儀したが、この「立場」、「立てば」と読んで” 江戸時代、街道筋で人足が駕籠や馬を止めて休息した所”だという。横田の渡しを前にして、ひと息つぐところ。田川村はそういう場所だったらしい。要するに東海道の立場・田川村への案内そのものだったのだろう。
 追記:私の能力では上のようなことしか書けなかったが、近江文化叢書13・『近江の街道』(小林博・木村至宏編) 東海道の部で、妙感寺については正面には”万里小路藤房卿古跡”、側面には”霊照山妙感寺、従是十四丁”と、また田川云々については”田川ふどう”とあるのだという。さて田川不動とは?。



3.草津線
写真013.草津線
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 さて、橋のすぐ上流をJR草津線が通る。何となくのどかな雰囲気。電車が来るのを待つ。









写真014.烏が岳
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 踏切まで上がると、目の前に烏ガ岳が見える。阿星山の涅槃像よりはスケールが小さいが、これも涅槃像。左が頭で右のビール腹がでかい。由良谷川あたりからも上流側に見えたが、ここへきてうんと近づいた。振り返ると鉄橋の向こうに三上山が見える。高いビルは三雲西交差点付近の「まるなかビル」。





写真015.北街道橋
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 草津線の上流50m足らずのところ。これはクルマ通行可。荒川橋工事中の案内の横にネームプレートがあって、「北街道橋」という。意味不明。東海道を基準にしてもこちらは南だし。









写真016.上流を見る
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 北街道橋から上流を見る。奥の山、左に平峰(裾の広いしっかりしたピーク)、右にコブ(ラクダのコブのような)。どちらも私が勝手につけた名前。下の県道からもこれが見えていた。川の向きはほとんど変わっていないことを示している。







写真017.屋根光る
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 お寺の屋根が光る。後ろから見ていることになるが、地図によると「浄参寺」とある。

  写真018.歩行者橋
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 橋はたくさんある。今度は歩行者橋。










写真019.クルマ橋
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 そしてクルマ橋。ネームプレートがあって「どうのうえはし」とある。多分、堂之上橋だろう。上流を見る。コブが見える。
 下流側を見る。天壇の塔とTOTOのマークとが並んで見える。このときはちょっと面白いなぐらいで撮ったのだが、あとになってこの組み合わせが、結構上流まで見えることを知る。






写真020.県道4号
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 対岸に県道4号が並ぶ。石部からずーと旧国道1号をトレースし、三雲西交差点で山手へ折れてきた道。このすぐ上流で左折して柘植へ向かう。








4.勅使野橋
写真021.勅使野橋
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 クルマが走っている橋が県道4号、勅使野橋である。「ちょくしの」と読むのかと思ったら、「ちょうしの橋」だという。漢字では標題のように「勅使野橋」だけれども、このプレートがあってよかった。「ちょうしのばし」だけでは「調子伸ばし」ぐらいにしか読めないものな。

 写真022.勅使野橋上流
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 勅使野橋から上流を見る。車の通行量は多いが、歩道橋がついており気楽に撮影ができる。右の方に平峰が見える。






写真023.分かれの一本杉
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 道が左右に分かれる。その又に杉の木が立っている。一本杉としたが、ホンマに1本かどうか、確かめてきたわけではない。妙感寺の案内が見える。足元に石柱。往路、うっかり見逃し、これは帰りに撮ったもの。光線状態が違う。
 妙感寺へは右へとるのが正式ルート。しかし今回の目的は荒川のトレースだから当然直進。春日八郎の歌は2人が別れたから”別れの一本杉”。こちらは道が分かれるから”分かれの一本杉”。




写真024.川も分かれる
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 道も分かれているが、よく見ると川も分かれている(実際は合流)。これは道沿いに下ってきた川。道は突き当りを左へ曲がるが、川はそのあたりで右へ、住宅地の中へ入って行く。









写真025.分岐A
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 100mほど行くと左へ分かれていく川がある。地図003.荒川下流流域地図で分岐Aとしたところである。これがアセボ峠の方から流れてくる川である。

  写真026.住宅地の下
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 住宅地の下を行く。上の写真で城塞のように見えた石垣の下である。もう1枚、角度を変えて。







5.石引橋
写真027.石引橋
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 橋が見えてくる。住宅地の裏口のような感じ。石引橋とのプレートが見える。もう1枚同じようなプレートが。光が逆で何とも読みにくい。普通に撮ったのでは真っ黒にしか見えない。すかすようにして見ると荒川西流と読める。特に3文字目。「西」と読めたときにはうれしかった。先ほどの分岐A点で東と西に分かれる。アセボ峠付近から来るのが東流でこちらが西流。なるほど納得。




写真028.石引橋上流
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 石引橋から上流を見たところ。奥の山は阿星山である。なぜ三雲の荒川流域から阿星山が見えるのか。前項の独立小河川(家棟川・由良谷川・大沙川)はそれぞれの流域が野洲川分水嶺に達しない。これら3つの源流域の外側を落合川と荒川の両渓谷が三角形の2辺をなして阿星山直下に向かっているからである。






地図004.荒川渓谷立体図  (横田橋上空から見た荒川渓谷・カシミール3Dで作図)
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 阿星山山頂から左へ伸びる尾根が野洲川流域分水嶺。右が独立小河川(家棟川・由良谷川・大沙川)の源流域。その間を荒川渓流が阿星山山頂直下へと上り詰める。












写真029.落差工
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 上の写真028で、住宅の向こうの坂道を人が2,3人上っていく。そのあたりで見た落差工。

  写真030.落差工つづく
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 勾配のきつい川である。つぎからつぎへと落差工が続く。水の立場からすれば、階段を飛び降りる思いだろう。途中車が通っている橋が、地図003.荒川下流流域地図で分岐Bのところの住宅地に入る橋。





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