top

S03.独立小河川流域

S0303A. 大沙川をさかのぼる・A

取材:2017.02
初稿UP:2017.09.01


前 項 へ 次 項 へ 中トビラへ


地図002A.大沙川流域地図  (国土地理院Web地図に加筆)
写真拡大

 流域が分水嶺に達しない小河川、3本のうちの最後の川である。この3本とは、左の地図のブルーで囲まれた家棟川・由良谷川・大沙川の3本である。ただし由良谷川は途中で家棟川の合流するよう改修されており、現在、直接野洲川へ注いでいるのは家棟川とこの大沙川の2本である。
 いま述べたようにこれら3本の河川は独立した流域を形成しており、それが野洲川流域の分水嶺には達しない。したがって、それが確認された時点で、このレポートの対象外になるのであるが、それぞれが土木遺産として歴史的にも価値があり、平地化工事によって姿を変化させている最中でもあるので、現時点でのレポートもまた意味があろうと考え、それぞれの項を設けた次第である。
 なお大沙川は「沙」の字を使うのが正式名称のようであるが、JR草津線トンネルのように「砂」の字を使っているところもある。






地図002.大沙川下流部地図  (GoogleMapに加筆)
写真拡大

 





















1.大砂川トンネル

 2006年10月に出版した『近江富士まんだら』に、Yさんが撮影した「ローカル線」と題した写真が掲載されている。この写真集は”さんさん会”と名付けた写真集団との合作でYさんはそのメンバーのひとりだった。その写真は草津線をまたぐ大沙川トンネルの上からの写真だった。それまで旧東海道や草津線を天井川がまたいでいることは知っていたが、その上からの視界があるとは考えてもいなかった。上れないだろうと勝手に決め込んでいたのである。そのときは上り口は聞いたような気がするが、きっちり理解しないまま時が過ぎた。
 2010年初冬、旧東海道を走っていて”三雲城址”なる幟が立っているのに気がついた。その案内によると城址は旧東海道山側の山中にあるという。ひょっとしたらそこから三上山が見えるかもしれない。その三雲城址からの帰りに撮った写真が次の大砂川トンネルである。



写真001.大砂川トンネル
写真拡大

 なぜかわからないが三雲城址からの帰り道、大砂川の右岸(野洲川でいえば上流側・三上山の反対側)へ出た。JR線でいえば三雲側である。拡大すると「大砂川」の文字が見える。








写真002.大沙川堤防
写真拡大

 そのときに撮った大沙川堤防である。左に堤防に向かって小道が見える。上の写真はこの小道からのものである。ここまで行ってこれなら上れるなと思った。現在(2017年)より7歳若い。あのとき聞き逃したYさんのポイントに立てると思った。考えてみれば間抜けた話である。三上山を撮るのに、反対側からの斜面を上ろうというのだから。





写真003.三上山
写真拡大

 これがそのときの写真である。反対側の岸だったが、遠くにある三上山にとっては大きな問題はなかった、ちょっとレンズを長くすれば対岸の竹などが格好の前景になってくれた。しかしこのときトンネルの上までは行っていない。理屈の上では行けるはずだが、何らかの障害があっていけなかったのだろう。トンネルの上はともかく、こと三上山に関してはまあまあの写真が撮れた。満足して車に帰って驚いた。くっつき虫がズボン全面を覆っていた。家へ帰りついて1本1本引き抜こうとしていたら、それを見たシャチョウが「ホンマにそれとるつもり?、かして、かして」とのたもうて、・・・「今度のゴミのときに捨てるわ」。遠い昔の話である。

 高い税金を払ったけれど、大沙川の向こう側には広大な農地が広がっていることが分かってきた。それを捨てておく手はない。そのあと、大沙川を背にして三上山を楽しんだことは言うまでもない。しかし、その話は今回のテーマではない。




写真004.三上山側
写真拡大

 その後、三上山側が撮影ポイントの一つになった。特に冬場、比良山が白くなるときは楽しみだった。そしてついでに電車。しかし、つぎからつぎへと来るわけだはない。つい滞在時間が長くなる。と、いろんなものが見えてくる。左のトンネルを抜けてくるところを撮っていたとき、おばあちゃんと幼稚園児ぐらいの男の子が踏切を左手の方へ渡っていくのを見た。そしてどれくらいたっただろうか。次の電車を待っていたとき、ふと見ると2人の影が。何とトンネルの上を歩いてきたではないか、それも手前の岸を。そうか、登り口は左手(大沙川でいえばトンネルより下流)だったのだ。




写真005.トンネルの上から
写真拡大

 そうして見つけたトンネルの上からの視角。比良に雪が来るとき、楽しみの一つになった。










2.河口から
写真006.県道4号
写真拡大

 前座が長くなった。河口から上流へ向かう。県道4号(旧国道1号)夏見東と吉永の間。BMパチンコ・スロットの建物が見える。それの西側(建物に向かって左側)へ流れ出る。かりに県道を車で走っていたら、川があることさえ気づかない。そんな川である。道路そのものにも橋を渡るというイメージはない。





写真007.野洲川へ向かって
写真拡大

 県道から野洲川へ向かって。右側がパチンコ屋である。ほとんど水面は見えない。川というよりは溝である。


  写真008.野洲川
写真拡大

 パチンコ屋の駐車場から野洲川を見たところ。岸は粘土質。例のゾウの足跡化石が出たのが、少し下流。河岸のイメージはよく似ている。河口そのものは見えない。






写真009.上流側
写真拡大

 県道4号(旧国道1号)から上流側を見る。竹藪に囲まれ、川としてのイメージはほとんどない。視界を少し右にずらすと農地が見える。その奥の山なみ、右端が阿星山、その左にホトケさんの顔。視角がかなりずれているから、家棟川流域、JR甲西駅付近から見るのに比べると、かなりイメージは崩れているが。


  写真010.里道へ
写真拡大

 少し左へずれて、T字路で細い里道へ入る。









3.横断里道
写真011.横断里道へ
写真拡大

 変形T字路の向こう、電柱から上りになる。「横断里道」、私か勝手につけた名前である。
 道が微細な砂で固まっている感じ。その昔、昭和40年代の初めだったか。夏の能登半島。真昼間、どうせ海へ入るのだからと合宿から海岸まで裸足で歩いた。道は砂時計の砂のように細かい。当たり前の話だけどむちゃくちゃ熱かった。後日、京都へ帰ってから、もう一生ものだとあきらめていた頑固な水虫が治っているのに気がついた。あの熱かった能登半島の細かい砂の道を歩いたせいだと思っている。以上余談。




写真012.無名橋
写真拡大

 上り切ったところ。石とコンクリートのちゃんぽん橋。真正面が阿星山(山頂が針で突いたように凹んでいる)その左がホトケさんの顔だが、ここまで変形するともう分からない。左上の高い山、無名の低山だけど近くにあるため高く見る。







写真013.河床
写真拡大

 無名橋から天井川の河床を見る。草が生えて流れは見えない。右の岸(流れでいえば左岸)はトンネルの上までよく往復したところだが、この状態では二の足を踏む。歩いたのはほとんど冬だったから可能だったのかもしれないが。以前はおばあちゃんと幼稚園児ぐらいの男の子の2人が歩ける道だった。今は無理。
 真ん中少し左の高い山。飯道山かと思ったがアセボ峠付近の518m峰。飯道山はその左、平らな手前の山と重なっているらしい。




写真014.上流を見る
写真拡大

 大沙川上流を正面に見る。こうして見ると平野の中の川のように見る。奥の山、左のドンとでかいのが三雲の烏が岳(485m)。もう1枚、もうちょっと左を見たところ。烏が岳が正面に見える。








写真015.下流を見る
写真拡大

 さあこれはどこを見たところか。上3枚は奥に山が見える。ところはこちらはそれが見えない。自分で撮っておきながらこういうのは困る。川を正面から見ているから、上りが下りか、それも判断できない。最悪の写真。
 とはいえ上流はすでに確定しているのだから、残るのは下流しかない。自分自身でこれが下りには見えないのだけれど。

 ということで、予定ではここから堤防上をを歩くつもりだったが、現実問題としてこれは無理。で、無名橋を越えて左岸側へ下りることにする。




写真016.無名橋から左岸側
写真拡大

 無名橋から左岸側、下り道を見たところ。軽トラが止まって作業をしている。その向こうは一見池に見えるが、これは水田。その向こうに白い家が見える。その手前が草津線のトンネル。細かく見ると軽トラの手前に池がある。







写真017.下り道を振り返る
写真拡大

 下へくだって振り返る。手前の舗装道路に細かい砂が流れ出ている。普通の常識では粒が細かいほど遠くへ流れ着くはずだが、ここでは逆。これがまた不思議。


  写真018.下流方向
写真拡大

 下流方向へ向い農道を見たところである。堤防は徐々に低くなっていく。電柱の向こう竹薮のあたりで右へ折れる。







写真019.上流側
写真拡大

 反対に上流側を見たところ。ずっと堤防が続く。堤防の高さが下がっていくように見えるが、これは遠近感によるもの。実際は徐々に高くなっていく。白い家の手前が草津線のトンネル。







4.堤防上を行く

 これから写真030までは2015年2月の撮影。

写真020.堤防上を上流へ
写真拡大

 無名橋あたりから上流を見たところ。落差工が上流へ向かうことを示している。当時すでに水は流れていなかったし、流れた形跡もなかった。堤防上は左側(川の流れからすると右岸)の方が歩きやすそうだが、私の場合、三上山を撮るのが眼目だから無理をしてでも右側を行かねばならなかった。






写真021.外側の道路
写真拡大

 外側の道路と合わせて見たところ。撮影後2年ほどたつ。当時の記憶が怪しいが、堤防上面は落差工に合わせてこのように起伏があったのだろう。


  写真022.左右異なる高さ
写真拡大

 左右の堤防の高さが異なる。あふれるなら向こう側へあふれてもらおうという論理だろうか。

写真拡大





写真023.落差工

 こうして落差工を過ぎるたびに堤防の高さが増していく。左に草津線の架線柱が見える。→




写真024.下流を向いて
写真拡大

 どのあたりか分かりにくいが、多分、草津線トンネル上にたどりついて、下流側を見たところだろう。落差工で堤防の高さが下がってくのがよくわかる。


  写真025.下流側遠景
写真拡大

 下流側をワイドで見たところ。中央の高い山が十二坊。その右下、緑がかった建物がBM湖南店。あの建物の左がこの由良谷川の河口。

写真拡大




写真026.三上山遠景

 菩提寺山(左)と三上山、このあたりのランドマーク。吉永踏切を越えて西に向かう(テールランプが点いている)草津線電車。中の2両にカボチャを挟んだ混合編成。



写真027.八丈岩
写真拡大

 前衛の山。頂上直下に光る岩が八丈岩。あの岩から三上山が見えないかと探しさがし登ってみたが、残念ながらアウトだった。旧甲西町側は眼下に広がるのに。この岩の奥が三雲城跡。

写真拡大

写真028.さらに上流側

 トンネルの上からさらに上流側。左側の岸(川の流れでは右岸)に続く桜並木。




写真029.桜並木
写真拡大

 桜並木をアップ。屋根が見える。まさに天井川。もう1枚。下が見えないが常識的に見ておそらく2階建てだろう。 2階から見てさらにその上に堤防が見える。考えられないことである。

  写真030.再び平地から
写真拡大

 再び平地へ降りて大砂川隧道。もう1枚。バックして堤防の向こうの山を見る。三雲の烏ヶ嶽。これも涅槃像である。









5.大沙川隧道・弘法杉
写真031.大沙川隧道
写真拡大

 草津線のトンネルから堤防沿いに上流側へ100mほどで旧東海道へ出る。すぐ目の前に大沙川隧道が見える。画面左下が草津線の方からやって来た里道。今しもトンネルから出てきた白いクルマとサイクリングの赤シャツとがすれ違う。






写真032.大沙川隧道
写真拡大

 隧道を正面から見る。滋賀県のHP・「管内の土木遺産」に次のようにある。
 ・・・・大沙川(大砂川)隧道は、明治17年(1884)に県下最初の道路トンネルとして築造されました。別名「吉永のマンポ」と呼ばれています。西側に隣接する由良谷川隧道〔明治19年(1886)築造〕とともに、切石造のきれいなアーチ断面を持ったトンネルで、国指定重要文化財に相当する最も重要な土木遺産と評価(土木学会)されています。・・・・
 隣接する由良谷川隧道とともに、切石造のきれいなアーチ断面・・・云々。まさにその通りだと思うが、天井の高さといい、堤防断面の石組といいこちらの方がはるかに見栄えがする。堤防そのものの高さが高かったのだろう。天井川として考えるとき、より保守に困難な高い堤防が、それをくぐるトンネルに華やかなデザインをもたらした。皮肉なものである。トンネルの中から見た東海道石部側

 


写真033.大沙川扁額
写真拡大

 「大沙川」扁額。撮影時期が悪かった。右から「大」と左の「川」は読めるが真ん中が読めない。冬場に撮り直しである。









写真034.弘法杉
写真拡大

 石部側から見てトンネルの右上に杉の巨木がそびえる。樹高28m、周囲6m、高さが26mだとか。「弘法杉」である。説明板をどうぞ。もともと2本あって並立していたというが、いまも2本あるように見える。しかしこれは1本が枝別れしたものだろう。それにしてもこんな堤防の上で、地下茎はどうなっているのだろう。1本立っていることすら不思議な場所なのだから。
 もう1枚。案内板の隣にあった「弘法大師錫杖跡」碑。小さな字で”御手植えの杉”との添え書きがある。弘法杉にまつわる伝説の碑かと思うが、”錫杖跡”が分からない。錫杖を突き立てた跡などというならわかるが。




写真035.弘法杉登り口
写真拡大

 弘法杉への登り口である。堤防への登り口がこんなところにあたのか。右へ行くと三雲城址だという。









写真036.弘法杉
写真拡大

 これはすごい。それ以外に言葉はない。堤防を完全に塞いでいる。先ほど上りだしたとき、ここを登って堤防を下流側へ進めば草津線のトンネルの上へ出られると思ったがこれは無理だ。弘法さんもひどいことをする。凡夫には気がつかない何かを教えているのだろう。もう1枚







写真037.上流側へ
写真拡大

 先ほどの階段とは別に、上流側へ向かうスロープがある。通行止めの柵があるがとにかく上ってみた。


  写真038.上流側
写真拡大

 歩けそうな道だけど、目の前で通行止め。少し先で何か工事をやっている。







写真039.下の道
写真拡大

 GoogleMapによると堤防上を細い道がついている。うまくいけばそれ(目の前の堤防上の道)を歩こうと考えていたが、これでは無理だ。下の公園の向こう側の道(石碑が建っているところ)を行くことにする。






このページトップへ 中トビラへ