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S03.独立小河川流域

S0301B. 家棟川をさかのぼる・B

取材:2017.02
初稿UP:2017.09.01


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8.飯道神社
写真036.飯道神社
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 すぐに飯道神社の境内へ出る。ずーと涅槃像の顔の部分が見えていたので、まだ阿星山の意識を引きずっていたが、いつの間にか飯道山のエリアに入っていたことになる。








写真037.飯道神社
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 飯道山の飯道神社と縁があるのかと思ったが、そうではないらしい。飯道山の神社にはイザナミの命ほかが祀られている。それに対してこちの神社にはスサノオの命・菅原道真らという。どうも縁がないらしい。全くの門外漢だから何とも言えないが。もう1枚







写真038.宝篋印塔
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 宝篋印塔があって解説がある。この塔の解説かと思ったら、ほとんどが宝篋印塔そのものの解説だった。この神社は、元甲西町役場の近くにあったが、明治6年、家棟川の改修によりこの地に遷座されたとも。







写真039.上流側
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 神社前から上流側を見たところ。山際を行く普通の川である。


  写真040.橋を渡る
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 赤い可愛らしい橋がかかっている。もうちょっと風情があってもよさそうなものだが、赤色がせめてもの慰めか。









写真041.道路が見える
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 橋を渡って道路側へ出る。大きな木の下にぽっかりと孔が開いて下の道路が見える。しかし、それがどこなのか。とにかく道路へ下りてみる。









写真042.道路側から
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 道を渡って振り返ったところ。飯道神社への参道が堤防を登っていくところである。こうして見ると立派な天井川だ。上から見ると単純に山際を行くと見えたが、ここから見る右岸は立派な堤防だ。(画面右が下流)。少し坂を下って、堤防を振り返ってみたところ。手前の民家と比べて、まさに天井川。





写真043.家棟川工事現場
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 道へ出たときにはどこへ出たのかわからないかった。少し道路を歩く。・・?何となく見たことがある雰囲気である。上流へ向かって歩くと「家棟川工事現場」の標識が立っている。何だ、ここだったのか。落合川源流の美松台へ行くのによく通った道だ。そのときにもこの標識は立っていた。ウイークデーだと交通整理員も立っている。なのにそんな工事をやっている雰囲気がどこにも感じられない。左折するというのだから、この先タキイ研究農場の中へ入って行く支流のどこかとも考えられるが、今のところその現場は不明。




写真044.タキイ研究農場
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 道路が左へ分かれる。タキイ研究農場の入り口である。ちょうどこの右あたりで、川は左右に分かれる。








9.分岐点
写真045.分岐点
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 何度も書くが、これは川を遡る立場からの分岐であって、実際は左右から流れ下る2本の川の合流である。右側がこれから遡ろうとする流れ、左はタキイ研究農場構内から流れ出て来る流れである。






写真046.上流を見る
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 上の写真で上流がほしかったので、5月のはじめ改めて撮影したもの。もう1枚。細い流れである。


  写真047.左側の流れ
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 研究農場構内からの流れ。ガードレールが美松台への道路。








写真048.道路へ戻る
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 道路へ戻る。研究農場構内から流れに架かる橋。ガードレールに小さいプレートが見える。「樋之上橋」とある。川の名称はなし。
 橋を越えてすぐ左へ折れる道がある。一般道なのか、構内への道なのか何とも判断に苦しむ道である。橋の下の流れをトレースするにはこの道を行くしか手はないのだが。これは後刻レポートすることとして、今回はとりあえず軽トラが行く道(右へ直進していく道)を進む。




写真049.上流へ
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 左は研究農場。右は山。涅槃像の顔の部分が正面に見える。道がカーブするにつれて涅槃像が左へ動いていく。


  写真050.川幅が激減
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 右の山が開ける。川幅が激減する。










写真051.連絡通路?
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 右側に開けた土地も研究農場らしい。連絡通路が見える。もう1枚。家棟川、といえるかどうかわからない細い溝だけれども、それが連絡道路をくぐるところ。









写真052.遠くにもう1本
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 遠くにもう1本、連絡通路が見える。近づいたところ


  写真053.川か溝か
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 川というべきか溝というべきか。不思議にこのあたりの川は上流へ来ると茶色がにじみ出る。








写真054.道が分かれる
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 細い道が分かれていく。源流へつながるのかと地図を調べてみたがどうもそうではないらしい。航空写真で見ると平らな地面に照明灯やバックネットの影が見える。どうやらグランドにつながっているらしい。

  写真055.分かれ道
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 分かれ道。川に沿う。










10.川が消える
写真056.森へ入る
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 森へ入る。上の写真の右側に見える小さな森だけど、その中へ消えて見極めもつかなくなる。もう1枚。奥のほうで少し明るいところで出るようだけど、トレースする道もない。
 落合川もそうだったけれど、このあたりの川はどうもこういう傾向がある。あたりを見回してもまだ水源に近いという雰囲気ではない。にもかかわらず流れはここで消えてしまうのである。手も足も出ない。
 いずれにしても野洲川流域の分水嶺に直接かかわってくるわけではない。ここで終わりにしようといったん打ち切って帰ったのだが、地図を見るとまだ続きがある。




地図009.家棟川源流付近地図  (GoogleMapに加筆)
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 源流付近のGoogleMapである。いったん流れが消えた森の上流1Km余りのところに、「美松苑」という特別養護老人ホームがある。その駐車場付近から再び流れが記載されている。そして航空写真に切り替えると砂防ダムも3つほど見える。














地図010.家棟川橋付近地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 念のために同じ区域のWeb地図を確かめてみた。当然のことではあるが川は切れていない。周囲から見えない川は表記しないというGoogleMapの人間臭さ。いったん消えたこの川が美松苑の近くで再び姿を現すことは間違いはない。  










写真057.美松苑
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 道路際から見た美松苑とその駐車場。森に消えたときは幅50cmほどの溝だった。それが立派な川に変身している。下流へ向かったのならともかく、上流へ向かったにもかかわらずである。その流れが駐車場をまくようにして本館との間につながっていく。







写真058.振り返る
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 本館の前から振り返ってみたところ。右が上の写真の撮影位置。駐車場との間にグランドが見える。もう1枚。本館から一段下がった駐車場への入り口の橋。









11.保黒川標識
写真059.砂防指定地表示
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 対岸に砂防指定地表示がある。新しい形式の分かりやすい標識である。川の名前は「保黒川」とある。さあ。これだ。川の名前は難しい。下流は間違いなく「家棟川」の表示があった。タキイ研究農場正門前の分岐で、当然まっすぐ流れ下る方が主流だと考えて、家棟川だと思い込んでいたのだが、それが「保黒川」だという。「支流」だとかなんだとかのつけたしはないのだから、堂々たる一人前の川の名前なのだろう。とすればいま述べた研究農場前の分岐からこちらが「保黒川」なのか。




写真060.上流へ
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 駐車場入り口の下をくぐって上流へ。河床には小さいブロックが並べられている。曲がり切って老人ホームの裏手を直線で抜ける

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  写真061.美松苑の奥

 美松苑の敷地を離れる。ここで川としてのイメージは消える。草を刈ればまた姿を現すのだろうが。




12.源流原
写真062.砂防ダム
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 小さな砂防ダム。川は草に埋まっているが、フェンスはしっかりしている。もう1枚


  写真063.もう1つ砂防ダム
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 すぐ上流にもう1つ中ぐらいの砂防ダムがある。もう1枚アップ








写真064.源流原
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 「源流原」という言葉があるのかないのか知らないが、現場に立って見るとき自然に出てきた言葉である。GoogleMapの航空写真ではもう1基右奥に一番大きなのがある。道もあるような無いような。無理に行くこともなかろうと引き返すことにする。この稜線までの高さ実際には50mそこそこだろうか。地図によるとこの上に美松台の住宅地が馬蹄形に広がっている。住宅地の下に広がる源流原、何とも不思議なイメージだった。




13.樋之上橋へ戻る
地図011.タキイ研究農場付近地図  (GoogleMapに加筆)
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 研究農場の西端を行く赤色の矢印が、上の写真064までのトレースルート、それに対して樋之上橋で分岐して、中央部を行く川の西側を稲妻型にいく赤い矢印が、次の写真048A以降の部分である。一般道なのか、研究農場構内なのかはっきりしない道路であるうえに、この川は地図の上でも突然消える。事実現場で現実の状態を見ると確かに消える。今回もそこまで行っては見たが、消えたものが次にどこへ現れるのか。美松苑の近くではそれがはっきりと表れたが、今回のコースについては全く不明。結局そこで引き上げるしか手はなかった。  





写真048A.樋之上橋へ戻る
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 タキイ研究農場の前に戻る。橋の名は樋之上橋である。すぐ下流で分岐した川がくぐる。この橋、橋の名前はわかるのだが、川の名前はない。この分岐、下流から上流を見た向きに見て、小文字の「y」の字のイメージで、その第1画に当る川である。右への分岐を、いま見てきたように「保黒川」だとすると、この左への分岐こそが「家棟川」ということになるが、それを確かめるすべがない。




写真065.上流へ
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 上流へ向かう。橋を離れてすぐ、川岸に何本かの桜が植わっている。川幅はこのような上流の川としては結構広い。


  写真066.構内?
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 別にゲートがあるわけではない。しかし、なんとなく構内のようなそうでないような、不思議な雰囲気が漂う。

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写真067.墓地

 上の写真で、左の建物を越すと左に墓地が広がる。墓地があるということは、先ほどの道は一般道だろう。



写真068.構内
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 対岸を見たところ。こちらはどうも構内のようだ。


  写真069.地蔵さん
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 墓地の敷地に地蔵さんが並んでいる。


  写真070.上り坂
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 なんとなく上り坂になって、堤防に近づく雰囲気である。




写真071.砂防指定地表示
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 そうして川の上に出る。橋というよりも下は暗渠の面影。川も両岸もしっかり手入れされて、明らかに構内である。落差工のアップをもう1枚。









写真072.落差工
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 上の写真の落差工に近寄ってみたところ。このあと流れが消えるところまでは行ってみたが、研究所の構内で、川を探すとはいえキョロキョロほっつき回るわけにもいかず、ここで打ち切りとする。
 Web地図を見ると、前半の保黒川の源流が美松台の下の源流原で途切れてしまうのに対し、こちらの川は、美松台を越えて、602M峰あたりまで毛細血管のように源流が伸びている。そういうことを考えると、こちらの流れが家棟川なのかもしれない。





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