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S02.落合川流域

S0205. 分水嶺・阿星越え

取材:2017.02
初稿UP:2017.04.05


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写真001.石部中郡橋から上流を望む
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 石部の中心部と菩提寺をつなぐ中郡橋から野洲川上流を見たところである。いま何故ここでパノラマなのかと疑問に思われるはず。実はいまこの画面に見えている地域はすべて野洲川流域ということである。左側の山が十二坊連山、稜線の向こうは竜王町、日野川流域。逆に、右端の高い山が阿星山。山の向こうは栗東市金勝川流域ということである。
 写真で見ると十二坊の方が大きな山に見えるが、これは山に近いから。実際の標高は十二坊の405mに対して阿星山は693m。ちょっとした田んぼを挟んで目の前に立つのと、石部の市街地を中にしてい見るのとの違いである。その右側の連山、一番手前に阿星山、その左、私が仏さんの顔と呼んでいる山々。その左に飯道山(664m)が位置するのだが、なだらかな斜面にかくれてここからでは見えない。そして、最後にちょっと高くなるのが三雲の烏が岳である。
 したがって、ここで見えているのは、私が三雲朝国狭隘部と呼んでいる、野洲川横田橋から下流の山間平野ということになる。実際の野洲川流域はそれを越えてさらに三重県境にいたる広大な地域ということになるのだが。




地図001.落合川関係地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 左の地図は阿星山北西面を水源とし野洲川に流入する河川の略図である。その中で中腹を水源とする家棟川・由良谷川・大砂川の3川を除くと、なんとなく川と川との間に1本の割合で分水嶺を越える道があることが見えてくる。その中で「五軒茶屋越え」と「東坂越え」とについては、宮川流域の項ですでにレポートした。そして今回、阿星山山頂のすぐ近く、標高530mあたりの地点を越える「阿星越え」(私がこのレポートに当たって勝手につけた名前、正式名称は不詳)である。
 落合川という川は不思議な川で、「S0201. 落合川をさかのぼる」の項でレポートしたように、下流側でこそ住宅地近くを流れ人目に触れるが、一旦そこを離れてしまうと忽然と姿を消す。特にイノシシ除けのネットに絡むところでは完全に施錠され、近寄ることさえできなくなる。今回のレポートで、この目で見た最後の姿が、河口から2.3Kmの地点。そして次にその流れが見えるのが阿星山中、河口から約5.1Kmの地点である。だからこの川の中流域付近で生活する人たちは、自分が落合川流域で生活しているという意識は持っていないのではないか。たとえば今回のレポートの出発点に当たる美松台住宅地。三上山の撮影で、以前に何度も訪れていたが、そこが落合川の近くだという感覚は全く持てなかった。その裏の谷を落合川が流れているのにである。




地図002.阿星越え関係地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 さて、その「阿星越え」は、湖南市平松、美松台住宅地裏手を始点とする「林道阿星支線」でつながっている。「うつくし松自生地の近く・・・・」といっても、すぐに分かってもらえる人はわずかであろう。下流域こそ旧石部町と甲西町との境ということになるが、ここまで来ると意識としてはJR甲西駅(画面右上)がポイントとなる。しかし、かりに甲西駅までは行き着けたとして、そこからは、ナビなしで現場までたどり着けたら拍手御喝采というところである。ご覧のように甲西駅は次にレポートする家棟川の流域である、そこから入った住宅地が落合川のそばであるということが、どうしても理解できないのである。










写真002.阿星越え
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 写真は石部中郡橋の少し上流の地点、野洲川畔から見た「阿星越え」で、写真001のパノラマ写真のいちばん右端の部分に当たる。一番高い山が阿星山693m。その左の鞍部が「阿星越え」である。阿星山とその左の標高602mのピークを含む稜線が何となく涅槃図に見える。その涅槃図の喉首に当たるところ。そこを越えると信楽へ出る。





地図003.落合川谷筋立体地図  (カシミール3Dによる作図)
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 上の写真002の撮影位置の地上1000m付近から見た落合川谷筋をカシミール3Dで作図した。地図002を見ても分かる通り、谷筋が美松台住宅地の裏手から山頂直下までまっすぐ南向いてほぼ一直線に駆け上がるのが分かる。












地図004.落合川上流部地図  (GoogleMapに加筆)
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 ちょっと邪道だけど、地図002を南北逆にひっくり返して上下を3分の2ぐらいに圧縮、水平方向に手前を拡大して奥を圧縮、遠近感をつけた。おおよその谷筋はこの2枚を比較することで、読み取ることができる。ところが、惜しいことに立体地図では肝心の「阿星越え」が左側のピークの陰になって見えない勘定になる。
 立体地図・平面遠近地図対比





写真003.南桜から見た阿星山
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 そんなとき、ふと南桜から阿星山を見た。いわゆる涅槃図の頭部と胸部の間、ノド首のところにもう1つポコンとした山が見えたのである。我々は山の稜線は1枚の板に書いた線だと考える。しかし実際には山は立体的に並んでいる。左右の位置関係とともに前後の関係もある。野洲川沿いの場所から阿星山を見るとその左手前にいくつかの山が見えるそれがホトケさんの顔に見えるのだが、それらの山は阿星山よりかなり手前にある。それを右(野洲川の下流)の方から見るとたとえば602峰などに隠れていた山が見えだすのである。地図003。立体地図で、「阿星越え」が見えなかったのはその理由による。




写真004.甲西駅付近から見た阿星山
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 甲西駅付近から見たところ。中郡橋付近(写真002)や、南桜(写真003)に比べると首の部分が滑らかである。










地図005.南桜から見た立体地図  (カシミール3Dによる作図)
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 南桜1000m上空から見た立体地図である。甲西駅付近から見るのと違って、602峰の奥にはっきりとノド首の山(M峰)が見える。その向こうが「阿星越え」である。

 立体地図・平面遠近地図対比





1.スタート・美松台住宅地裏
写真005.スタート地点
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 前置きが長くなった。さてスタート。美松台住宅地を抜けて林道へ出たところである。正面に木と重なって涅槃図の頭部が見える。JR草津線甲西駅付近から見た同じ部分。

  写真006.山へ
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 直線の林道が森に入って行く。何となく単線の鉄道線路を思わす。もう1枚








写真007.三上山
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 山裾の林を抜けて、山本体に入ろうとするところで右後ろに三上山が見える。実は1990年代の末ごろ、この林道へ何度か入っていた。住宅地の裏に花の遅い山桜が咲いていた。林道の奥まで入ったことはなかったが、入口のところで松の木の間から見る三上山は結構趣があった。いまは山が荒れてかくの如し。





写真008.石垣
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 山へ入ってしまうと見通しがきかなくなる。そんなところで石垣が残っている。誰がどんな目的で作ったのか。20年前せっせと通っていたころ、ここまで来たような来なかったような。石垣をもう1枚







写真009.短冊
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 木の枝に短冊がぶら下がっている。まさか七夕でもあるまいし。近寄ってみると”イノシシの個体数調整により「捕獲用の檻」を設置しています。・・・”とある。「調性により」というのがお役所用語やね。われわれ庶民では「調性のため」だろう。しかし、用語はともかくここも御多聞にもれずというところ。しかしこんな真冬の真昼間に出てくることはないだろう





写真010.交換所
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 道は単線だけど、ところどころにこのような行違い所がある。しかし、クルマが走った様子はない。

  写真011.杉林
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 (峠に向いて)右側の山の斜面。杉林である。道近くはクマザサ。道からすぐに山の斜面につながっている。







写真012.山が離れる
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 山が離れていったように感じる。上の写真では、杉林は道から直接つながっていたが、いまのこの斜面は谷を挟んでというイメージである。この間を落合川源流が流れているのかと思うが、まだ水音も聞こえてこない。






地図006.関係地図  (国土地理院Webに加筆)
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2.支線分岐裏
写真013.支線分岐
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 路面に水がにじみ出す。左へ道が分かれていく。分岐点を逆から振り返って見たところ。左の道が上ってきた道。右が分岐していく道。すぐに右へ曲がって見えなくなる。砂利道にも、本線にも車が通った気配はない。







写真014.細い直遠路
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 上の写真で支線分岐の後ちょっと左へ振る。そのあとの直遠路。軽トラ1台の道である。

  写真015.川が近づく
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 右側で水の音が聞こえだし、杉の木のあいだから流れが見えるようになる。




写真016.光る道
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 道の両側を水が流れている。道を覆う落ち葉が光る。  

  写真017.流れが見える
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 と、右側の木が切れて、流れがはっきり見えるところへ出る。左側から流れてきた水が、ぐっと曲がって手前のほうへ。カメラをちょっと右へ振る。急に流木が増える。






写真018.砂防堰堤
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 さらに右へ振る。流木がおびただしい。よく見ると奥に砂防堰堤がある。来る途中下からは見えなかったが、これで止められているらしい。そのまま上を見たところをもう1枚









写真019.流れ落ちる
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 竹のあいあだから流れ落ちる水が見える。また砂防堰堤があるらしい。写真の順番の間違いで先ほどのを見ているのかと思ったが、そうではないらしい。堰堤の上部の様子が違う。









写真020.竹の葉っぱが
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 竹が道路に倒れかかり、路面に葉っぱが層をなして積もっている。

  写真021.山崩れ?
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 川の水があふれたとは思えない。ガードレールが土に埋まっている。山崩れだろう。でも最低限の道の体はなしている。






3.倒木
写真022.道を塞ぐ木  
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 倒木が道を塞いでいる。折れた木が上から落ちてきたのだろう。通り過ぎて反対側から見たところ。根っこはついていない。腐っているわけでもない。何らかの外的事情で折れたものだろう。
 さてこうなると難しいのが引き返すタイミングである。どう考えてもこの道をたどって峠を越すことは無理である。どこで引き返すか。

 余談であるが、いまから30数年前、茨城県の板敷山に登った。ほとんどの方は板敷山?と首を傾げられるはず。登山の対象の山ではない。山伏・弁円が親鸞殺害を計って待ち伏せをしていたが果たせず、後に弁円は親鸞に帰依して、この峠の南東に大覚寺を建立したという伝説の峠である。筑波山地北部に位置して標高112mという。
 古い話でどこで泊まったのかも忘れてしまったが、「板敷山?、すぐそこだよ」という番頭さんの言葉、それならと1人で出かけた。歩きだしてすぐ林道に出た。工事中の道路らしくて、白い道が延々と続いていた。「すぐそこ」が15分、30分になり、1時間になった。15分を過ぎたころからおかしいなと思いだした。親鸞の旧跡がこんな新しい林道沿いにあることはないだろう。”おかしいな”が、”おかしい”と確信に変わっても、ひょっとしてこの先に・・・と考えると引き返せないのである。どれぐらい歩いて引き返したか、いまとなっては記憶もないが、長い林道を引き返し、出発点に戻ったとき「板敷山すぐそこ」の案内。50mも行かない先に記念碑が建っていた。なんや、こんなとこだったのか。引き返す難しさに出会うと必ず思いだす話である。




写真023.落ち葉の道
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 落ち葉が道を覆っている。

  写真024.流れに沿う
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 道が流れに沿うようになる。もう1枚

写真025.流れを見下ろす
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 道の間際に杉の木。その下を渓流が行く






写真026.落石?
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 どれぐらいの石がぶつかったのだろう。それにしてもその真下の杉の木が知らぬ顔も不思議。  

  写真027.護岸壁
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 何年前の仕事だろう。道をこの大きなカーブから守ろうとした時代があった。いまは全く手入れなし。

写真028.荒れ放題
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 道も川も荒れ放題。おそらくこの右の何本の杉の木も近い将来倒れる運命にある。



写真029.倒木
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 その運命を予見するように、倒木が川をまたぐ。増水した時には流れるのだろうが、この長さでは。どこかで折れるのだろうか。もう1枚








4.歩き終わり
写真030.落石
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 道を塞ぐ大小の落石。その向こうにさらに大きな障害物。もうこれ以上は無理だ。せめて道が川を渡るところまでと考えていたが、これ以上は無理だ。もう1枚



  写真031.大きな岩が
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 大きな岩が道を塞いでいる。これ以上進むこと能わず。







写真032.道を塞ぐ  
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 遠くから見たとき、大きな岩がゴロンと横たわっているように見たが、石ではなかったらしい。しかし道が陥没してそれに木が倒れ込んでいる。ここまででもことがなかったからよかったものの、もし何かがあれば、マスコミから”不良老人が・・・・”と袋叩きになる。ましてこれ以上は。







地図007.関係地図  (国土地理院Webに加筆)
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 さて、これで「歩き」は終了した。まだ出発点まで戻る仕事があるが、それは別の問題。それよりも1つだけ気がかりなことがある。それをこの目で見ることができなかったのが心残りである。
 実は左の地図で「川をまたぐ」と記入した点が3か所ある。最初の2つは流れに対して道が右へ行ったり左へ行ったり。これは山では当たり前のことで、珍しい話ではない。当然ここには橋がかかっているのだろう。問題は最後の「川をまたぐX」である。





地図008.関係地図  (国土地理院Webに加筆)
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 いままで歩いてきた道は「阿星越え」まであと一息というところで、北西側からやってきた道(石部の長寿寺の前から上ってきた林道)に合する。地図によると長寿寺から来たその林道の下を川がくぐるようになっている。と書けば話は簡単なようだが、ここのところをどう読み取ればいいのか。先述のように、道が川の左右を行き来するのとは意味が違う。どう考えてもトンネル、少なくとも暗渠でくぐっているようにに表現されている。
 阿星山山頂の方からV字型に流れ下った2つ源流が、小さな尾根(長寿寺から来た林道が通っている)にぶつかる。そこにちょっとした池ができ、オーバーフローする形でこの尾根を越えなければならないはず(尾根道には橋が必要)である。ところが実際には池はなく、暗渠で抜けるように表現されている。こんな源流で、わざわざ暗渠を掘る意味があるのだろうか。そこのところが実際はどうなっているのか、それを見たかった。




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