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野洲川物語

地図遊び・川をまたがない一本の線
野洲川流域を囲む分水界を巡る

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S01.宮川流域

S0103B. 東坂越えB・旧道

取材:2017.01
初稿UP:2017.02.03




4. 東坂のこと

 この項で取り上げている「東坂越え」という名称について、どうしたものかとだいぶ考えた。県道113号沿いの峠付近には、なるほど工業団地はある。しかしそこが峠になっている以外には何もないのである。そしてその峠から東坂の集落までは500m以上の距離がある。だから集落から石部に出ようとすれば坂を登って峠を越えなければならない位置関係にある。「東坂越え」という言葉が成り立つのかどうか。

 何かネタはないかと『近江輿地志略』を読んでみた。
「金勝荘」   観音寺村・井上村・荒張村・上山依村・東坂村・中村、六箇村を金勝荘といふ。往古は金勝寺の領地なるべし。として、その中で、東坂村 金勝山の東坂本なり、因て此名なり。・・・とある。
そしてまた「金勝寺(こんしやうじ)」・・・・金勝山頂にあり。山を登ること五十町、金勝中村より登る・・・山の西を西坂といふ、山麓は荒張村・井上村なり。・・・山の東より上る路を東坂といふ、今の東坂村はその山麓の名也・・・とも。

 要するに「東坂村」は金勝山への東登山口だったわけだ。そういわれてみるとなんとなくわかる。いまは県道113号で難なく石部へ抜けてしまう。しかしそのそばにある東坂は、金勝から石部へ抜ける峠の集落だったのではない。金勝山への登山口の一つだったのだ。今は西坂沿いに県道12号が通り金勝越えの主要道路になっている。しかしその「西坂」という言葉は聞かれない。逆に金勝越えとしては忘れられた東坂が、麓の集落にその名を残している。
 私がはじめてこの峠を越えたのは、三上山を撮りだして間なしのことだった。峠の工業団地があったかなかったか、そこまで記憶はないが、少なくとも今の113号峠越えはなかった。旧のバイパスが東坂の集落のそばを抜け、細い道が石部への峠を越えていた。免許取りたての若葉マークには、走りにくい道だった。この項は、そういう意味で30数年前の郷愁である。



地図019.金勝山地関係地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 県道113号・石部高校前交差点から宮川水源の市境を越え、さらに坂を登って峠(本稿での「東坂越え」)を越える。少し下ると1本の川が左から寄って来て並行するようになる。今回この項をまとめる段になって、初めてこの川を意識した。
 地図で見るとこの川が「金勝川」となっている。金勝山地から流れ出て平地へ出たところで草津川に合流する。つい最近、2013年秋にも、合流点の少し上流の地点、東海道沿いの栗東市目川で堤防が決壊して(2014年1月撮影)、暴れ川としての悪名はとみに高い。と、ここまでは世間の常識として知っていたのだが、とんでもない思い違いをしていた。
 というのは、私はいつも金勝山へ向かうとき、国道1号高野から県道12号沿いに走って、いわゆる金勝の坂を登る。『近江輿地志略』にいう「西坂」である。栗東トレセンの入り口を通り過ぎ山入交差点を越えると、右側に川が並行していくる。この川が金勝川だと早合点をしていたのである。  




5. 旧道をたどる


地図020.旧道歩きルート図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 県道113号「新辻越橋」交差点の近く「旧道別れ」で分岐、金勝川の橋を渡ってすぐに左折。蔵町の古い集落を抜けて、新辻越橋の手前で東坂の里道へ入る。阿弥陀寺の前を経て東坂公民館へ。その建物の右の細い道が観音寺への道。かつての東坂に当たるのだろう。その後金勝川を渡り、坂を登って県道113号「東坂越え」へ。左の地図でみどり色で示したルートを歩く。  




写真189.辻越旧道分岐
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 新辻越橋のすぐ近く。県道113号と旧道が分岐する。手前の白線が県道(左、峠を越えて石部へ)。このカッコの中の文章がこの道路の性格を示している。この県道(新道)は”峠を越えて石部へ抜ける道”である。私が写真を始めた1970年代後半のころは、新道はなかったが、旧道はやはり石部へ抜ける道だった。しかし、江戸時代には峠を越える人もいただろうけれど、それよりもこの旧道は金勝へとりつく道だった。私はこれから旧道を歩く。




写真190.辻越橋
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 辻越橋(金勝川・左が下流)を渡って、振り返ったところ。山の左下、トラックが止まっているところが新辻越橋交差点。









写真191.金勝川
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 金勝川(画面奥が上流)を左に見て進む。











写真192.上りにかかる
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 道は上りにかかる。金勝山から流れ下ってくる尾根筋の末端を尾根に沿って登っていく勘定である。
 新しい道ができると人間どうしてもそちらを通ることになる。113号を走りながら、以前は曲がりくねった細い道だったけれど、あれはどの道だったのだろう。よく思ったことだった。それがこの道だった。




写真193.カーブ
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 途中の急カーブ。とくにクルマになれないころ、石部から草津に向かう向きに走る場合、住宅沿いのカーブがうっかりするとそのまま田んぼに突っ込んでしまうイメージで緊張した所である。ここだここだ、30数年の年月が吹っ飛んだ







写真194.蔵町バス停
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 蔵町バス停である。ここにバス停があった記憶はない。ましてやその名前など憶えているはずはない。しかし、『近江輿地志略』には「中村」として”・・・上山依村の北にある村なり。山入・蔵町の小名あり。・・・”とある。そしてさらに”「金勝寺(こんしやうじ)」・・・・金勝山頂にあり。山を登ること五十町、金勝中村より登る。”とある。ここが金勝山への登山道だったわけだ。  




写真195.蔵通り?
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 バス停のすぐ横にあった蔵通り?。私が勝手につけた名前だけど、ちょっとした観光通りの感あり。たまたま近所同時にリニューアルしたのだとは思うけれど。










写真196.八王子神社
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 バス停から県道113号方向を見たところ。左向きのトラックが県道。その奥に八王子神社の鳥居が見える。









写真197.池
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 左側に小さな池がある。ハンドルがついた棒の意味が分からない。











写真198.竹薮
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 池と道との間の竹藪を過ぎる。











6. 東坂集落里道


写真199.東坂集落別れ
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 東坂集落への分かれである。このまっすぐな道がその昔の集落内生活道路のバイパスであり、それらにもう1本新しい113号バイパスがかかっていることになる。今の新道がなかった当時、これはどちららを通っていたのか。後で考えて、集落内の道に大きな阿弥陀寺などがあったはずなのに、は何の記憶もない。これは直線道を走っていたのだろう。




写真200.徳本上人名号碑
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 分かれのそばに碑が建っていた。人間の経験というもんは不思議なモノで、分かってしまうと「オッ徳本さんじゃないの?、お元気でしたか」と声をかけたくなる。これはゲテモノやなと、切って捨てた最初のころとは大違い。







写真201.徳本上人名号碑
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 日野町で全部で四基だったか最初の二基は田んぼの中と交差点だったか、後の二基は山の中、今度の場所もよく似たイメージの場所である。名前のところをもう1枚








写真202.県道113号遠望
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 集落別れから県道113号を見る。トラックが上っていくところ。その上が栗東東部工業団地。









写真203.新東坂橋
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 県道113号からわかれて、田んぼを横切ってきた金勝川。跨いでいるのが「新東坂橋」









写真204.金勝川沿いに
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 金勝川沿いに里道を歩く。田畑にはまだかなり雪が残っている。  










写真205.集落の手前
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 集落の手前で田んぼの中へ分かれていく。もう1枚











写真206.阿弥陀寺望遠
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 丘の上に建つ阿弥陀寺が見えてくる。もう1枚










写真207.阿弥陀寺
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 当寺は応永20年(1413)頃、栗太郡川辺出身の浄厳房隆堯法印がここ東坂に草庵を結び、後に巌誉宗真が佐々木高頼の外護を得て文明17年(1485)堂舎を築き阿弥陀寺としたことに始まる。その後第8代応誉明感が織田信長の命により安土浄厳院へ移住するまでの約1世紀の間、近江浄土宗の本寺であった。もう1枚




写真208.東坂公民館
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 道が少し広くなって、右側に昭和初期の映画館のような建物が見える。近寄ってみると東坂公民館とある。その前がバス停、何となく集落の中心的な場所のようだ。







写真209.金勝川を渡る
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 少しで金勝川を渡る。コンクリートの恒久的な橋に、白いパイプがつぎ足してある。なるほどこのままではちょっと低い。しかしほかの場所で、田んぼ道などではこれより低い欄干がいくらでもあった。町中ではちょっと低いかな。
 右手上流側を見たところ。下流側、親柱もついているのだが、どう見ても橋の名前は見えない。判読以前の問題、字そのものが見えないのだから。




写真210.橋を渡って
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 橋を渡って、上流側から振り返ったところ。見事な桜の古木、春には立派な花をつけるのだろう。突き当りの左側が東坂公民館。見えないけれど。









写真211.さらに進む。
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 狭い里道をさらに進む。











写真212.旧バイパスに戻る
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 バイパスが2本あるからややこしい。現在の県道113号が新バイパス。徳本碑のところで分かれた道が旧バイパス。その道に戻ったわけ。









7. 峠へ


写真213.上り坂
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 上の写真で青いクルマが止まっているあたり。上り坂にかかる。











写真214.ゆるく左へ
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 上の写真で突き当りに小さく雪が見えるところ。ゆるーく左へ曲がって・・・・。  











写真215.集落の手前
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 坂の上、道の向こうに横一線の白い線が見えてくる。何かなーと思っているところへ、トラックの荷台だけが通り過ぎて驚く。そうか、もうそこが県道なんだ。ということはここがその昔の峠道なんだ。はっきりした記憶はないが、何となく暗くて走りにくい道だった。





写真216.東坂バス停
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 上の写真で、道の右側の枯草が飛びれているところ。写真には撮れなかったが、そこから宅急便のトラックが飛び出してきた。近づいてみるとゲートがあって、「東坂」というバス停の標識が立っている。おい、ちょっと待てよ。さっきのバス停も「東坂」だった。同じ名前のバス停が別々の場所にある。そんな馬鹿なことがあるのかと、さっきの公民館の前のは”くりちゃんバス”だった。ここのは帝産バス。話は分かったけど、これが別に問題にもならないということは、みんな無関心ということだ。
 それにしてもゲートつきのバス停はないだろう。さっきの宅急便はどこから出てきたのだろう。中を覗いてみたが何もない。ただの道が山の中へ続いているだけだった。不思議に思って帰ってからGoogleMapで調べてみた。たしかに山の中に「生物科学センター」という立派な建物が山の中に建っていた。




写真217.最高点?
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 バス停の話で脱線したが、このゲートの前付近がどうやら最高点らしいのである。赤いクルマがその点を通過している。県道から曲がってきたトラックはその向こうに沈み込んでいる。もっとも肉眼で見てそう感じるだけであって、そこが絶対的な最高点とは言えないが。





写真218.県道を見る
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 ゲートの前から県道を見たところ。現場の肉眼では県道に向かってわずかな下り坂に感じるのだが。









写真219.県道側から
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 県道側からゲートの方を振り返ってみたところ。ゲートの前が一番高く、その向こうが沈み込んでいくように見える。しかしこればかりは肉眼で見てそう見えるだけであって絶対的なことは言えないからこの遊びは難しい。しかしこのゲートの前からの線は、県道を越えて栗東倉庫の正門辺りへ出るはずだから、必ずしも間違っているとはいえねいよな気もするが。いずれにしてもこれが以前の峠道だったことは間違いなさそう。


 これでいわゆる金勝側から石部へ抜ける峠道は歩き終わったことになるが、納得できないことがもう一つ残っている。『近江輿地志略』でいう、東坂村 金勝山の東坂本なり、因て此名なり。が解決していないのである。東坂は石部へ抜けるのは二の次、金勝山の東坂本なり、すなわち金勝山への登山口なのである。歩き出してからずーっと、その登山口を気にしてきた。にもかかわらずそれが見当たらなかったのである。
 そんな馬鹿な話はない。どこかで見落としたのだ。ある向きに歩いて見当たらないものが、逆向きに歩けばすぐに見つかったということも何度か経験している。帰りは往路以上に注意をした。でも見つからずに、集落入口の徳本さんのところまで戻ってしまった。何度か書いたが、私はこの種の取材には地図を持たないことにしている。その代り家を出る前に一通りの予習はする。なのだが、今回は当り前のルートだし、県道113号開通以前に何度もっ通った道だということもあって、突っ込んだところまで予習はしなかった。要するに不注意である。
 そこに案内板が立っていた。こうなればそれが頼りだ。これになかったら出直すしかない。地域の人たちの手作りのものだったが、それに載っていた。何のことはない。東坂公民館の右横の道だった。やっぱりというか、案の定というか、今回歩いた中でいちばん気になる道だった。しかし、何の案内もない。道路標識はおろか、手製の矢印すらなかった。
 こいつは参ったな。また戻らなければならない。最初薄日が差していた空模様がいつの間にか曇り空になっている。クルマは113号との分かれ道に置いてきた。よしいったんクルマをとりに行って、それからだ。公民館の前にちょっとした空き地があった。めったに車も通らない道だし、10分か15分なら何とかなるだろう。
 でクルマで引き返して、公民館の前まで行くと、めったに人も通らないような道なのに、その時に限って、何か印刷物を持った自治会の役員風の男性が、じろーっとこちらを見る。その視線を跳ね返してそこへ車を置く勇気はない。集落の出口まで車を置きに行って…。歩いて現場へ戻るとき、また先ほどの男性とすれ違う。じろー・・・・。人が全くいない道だから2人がすれ違えばお互い相手を見るしか仕方がないわけだが。参ったなこれには。




8. 観音寺道


写真220.公民館前
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 公民館前である。右隣の道が最初から気にはなっていた。しかしこの張り紙すごいな。まさかそんなことはないと思うが、この中の1枚が観音寺への道しるべだといわれるとどうしようもないのだが。







写真221.奥のお寺が
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 最初見たときから、この風景が気にはなっていた。しかしこれが観音寺への道だとは思わなかった。左角に自然石にほり込んだ道しるべが見える。これはいまの今まで見えなかった。こういう曲がり角にはよく石が置いてある。てっきりそれだと・・・。





写真222.道しるべ
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 ほんまに観音寺道かと確かめようと近寄っては見たけれど、これは読めません。先ほどの橋の名前といい、この道しるべといい。参ったなー。でもこうなったらどうしようもないのだろうな。
 あとになって、京都新聞社刊・『近江の道標』(文・木村至宏/写真・寿福滋)に、この石標が取り上げられていることに気がついた。後ろの家屋のタイル仕様の腰板。電柱、路地の奥の石が木に塀囲いの民家。間違いはない。それによると、”右 大どりい/くわん 左 西寺/いしべ ”だという。




写真223.お寺近づく
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 奥に見えていたお寺が近づいてくる。











写真224.宗安時
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 上の写真で突き当りに小さく雪が見えるところ。ゆるーく左へ曲がって・・・・。  











写真225.春日神社近づく
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 町はずれへ出て、春日神社が近づく。











写真226.春日神社
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 山際の小さい神社。春日神社。












写真227.林道へ
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 春日神社の前を通って道は林道へ消える。









 こうして歩いてみると東坂集落にも、観音寺道にも何の記憶もない。30数年前とはいえ、1回でも通っていたら、記憶の断片でも残っていそうなものである。その観音寺へも何度か足を運んだし、そこからの写真も写真集に収録している。しかしこの東坂への記憶はない。12号沿いいわゆる「西坂」を登って、県民の森のところから逆に観音寺へ下がっていたのだろう。  






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