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地図012.名神野洲川橋付近地図 (マピオン地図に加筆) 野洲川沿いで栗東市と湖南市との市境は、農業用水の分岐点から500mほど下流の名神高速道路あたりである。その上に非常に複雑な絡み方をしており、国土地理院のWeb地図で見てもよくわからない。いろいろ地図を見比べてみて、一番わかりやすかったのがマピオン地図だった。その地図を拝借して加筆したのが上の地図である。もっとも”分かりやすい”ということと、”正確である”ということとは同じではないが、仮に正確であったとしても、分かりにくければ地図としての価値は半減する。 1.五軒茶屋のこと 地図006.五軒茶屋橋 (国土地理院Web地図に加筆) 前項「宮川をさかのぼる」で触れたように石部宿からほんの少し草津寄り、現在の1号バイパスの少し上流、旧東海道沿いに、「五軒茶屋橋」という橋がある。歩いていて、この橋の名を見つけたときは嬉しかった。旧東海道沿いにお休みどころが5軒並んでいたのだろう。古き良き時代の地名である。 地図013.五軒茶屋ランプ (マピオン地図に加筆) どこを探しても見つからない「五軒茶屋」という地名が、あっと驚くところで見つかったのである。新しく開通した1号バイパスに「五軒茶屋ランプ」なる表記がある。左の地図でバイパスと名神が接近するあたり。何でこんな山の中に出入口がと思うようなところである。しかも上り下りどちらに行ってもすぐに石部ランプがあり、小野ランプがあるところにである。 地図014.五軒茶屋 (国土地理院25000分の1地形図) どこを探しても見つからないなどと大口をたたいたが、エエ加減なことを言うものではない。その気になって探せばあれこれと出てきた。「五軒茶屋」という地名そのものが。それも平成11(1999)年4月発行の2万5000分の1地形図というのだから、そんなに古いものではない。石部宿から旧東海道を草津に向かうとき、1号バイパスの手前で五軒茶屋橋を渡り、600mほど山の中へ入ったところである。まさに上で述べた「山の中」ランプの近く。「五軒茶屋ランプ」とはいみじくも名付けたりというところ。しかしこの地名は平成17年では消えている。両者比較。ちなみに5万分の1では、平成9(1997)年発行では記載され、同20(2008)年では消えている。いずれにしてもこの名前が消えたのはそんなに古い話ではない。(地図と年号の比較は、私の手元にあるものを調べてのことである。さらに細かく調べれば、何年に消えたと特定できるかもしれないが。) 地図015.五軒茶屋 (『今昔東海道独案内』掲載・国土地理院25000分の1地形図) 左の地図は、次に述べる『今昔東海道独案内』に掲載されている地図の当該部分である。このあたりでは名神高速道路の開通が1963(38年)年、本の発行が1974(昭和49)年であるから、1970年前後の地図ではないかと考えられる。言うまでもなく「五軒茶屋」の地名はある。この地図を見てもらったのは、地名もさることながら、「ロ」の字型の中の地形である。この地図では言うまでもなく自然に近い。その後40数年、上の2枚と比べると、その変化の大きさに驚く。 さて、『今昔東海道独案内』である。今井金吾著/1974(昭和49)年・日本交通公社出版事業局発行。「今昔」とあるように古くは1600年代からの参考文献を駆使して街道の今昔をまとめている。「独案内」というタイトルに牽かれて買った本だが、出版当時の「今」はすでに昔、いまを生きる我々にとってはこの本自体がすでに街道案内の古典というべき本である。 実はこの文章、東海道の石部宿から草津宿へ向かうとき、いまの状況でいうと1号バイパスの少し手前、五軒茶屋橋からから名神を越えるあたりまでの間、草津線沿いの道であるが、この間だけはおよそ旧街道としての風情はない。そのエリアが採石場に当たるということや、鉄道沿いということが影響したのかと思っていたが、どうもそういうことではないらしい。これは旧街道の”脇道”だったのだという。 五軒茶屋道と古道 そうして、だんだん様子が分かってきた。こういう取材は1回では終わらない。必ず撮り忘れもあるし、知らなかったことが分かってきて、その写真をもう1枚ということもある。その2回目の取材のとき、あったのである。五軒茶屋橋のたもとに。左の写真、「五軒茶屋道と古道」の標示が。 地図016.甲賀坂 (国土地理院Web地図に加筆) 上の話で野洲川が氾濫を起こした「出岩地先」というのが分かりにくいが、おそらく左の地図で「狭隘部」としてある部分、JR草津線や国道1号などが、ぐっと野洲川へ張り出して川幅が狭くなったところだろうと推定できる。 2.五軒茶屋道 写真101.宮川沿いを行く 石部宿から草津に向かって旧東海道を行く。左が宮川、右はちょっとした空地を挟んで草津線・国道1号、その向こうが野洲川である。道を行く白い軽自動車の左に五軒茶屋橋。光線の加減で陰になり分かりにくいが、左へ向かって上り勾配になっているのが見える。遠くに見える高架橋が1号バイパス。 写真102.五軒茶屋橋 旧東海道を横切って草津線との間の空き地から五軒茶屋橋を見たところ。『今昔東海道独案内』で、”小さな川を渡ってすぐ、左に入る小道が昔の東海道”とあるところである。対岸の建物と見比べて橋自体が上り勾配であることがよく分かる。もう1枚。クルマが走っているのが旧東海道。五軒茶屋橋とそれに続く上り勾配。橋の左手前の細いポールに重なって見える金色のボードが、上述の「五軒茶屋道と古道」の案内板。表面がピカピカ光って読みにくいこともさることながら、立ち止まって読むことすらはばかられるその場所。もうちょっと考えられなかったか。 写真103.五軒茶屋への道 橋を渡って五軒茶屋へ向かう。右が(株)ゴーシューの社屋。『今昔東海道独案内』で、”この本街道に入るとしばらくは農家が点在し、やがては山間の道となる”というところである。もちろん民家は見当たらない。 写真104.上り勾配 道はずーっと上り勾配。もちろん写真では表現できない。ゴーシューのフェンスが少しずつせり上がっていく。もう1枚。 写真105.右へ曲がるゴーシューの敷地を過ぎ右へカーブ。ところどころに民家が見える。地図に「五軒茶屋」の文字が見えるあたりかと考えられる。 写真106.曲がり切る 右へ曲がり切ったところ。畑の向こうに1号バイパスが見え、その向こうに白い煙突を持つ建物が現れる。あとで栗東市環境センターの建物とわかるが、これ位置確認のポイントになる。 写真107.静かなたたずまい 何となく旧街道を思わすたたずまい。不満があるといえば、旧街道特有の、あのえもいわれぬカーブが見えないこと。長年積み上げて来た旧街道と、災害対策工事で一気に造り挙げたルートとの違いなのだろうか。もう1枚。 |
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