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S01.宮川流域

S0101C. 宮川をさかのぼる・C

取材:2016.11
初稿UP:2017.01.22


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地図010.宮川源流地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 雨山運動公園から流れ出てくる川の名は、結局わからなかった。名前を明示してある橋がないのである。無名の川はないわけで、しかるべきところへ行けばわかるのだろうが、前述したようにそれは本意ではない。で、ここでは「宮川支流」としておく。
 このあと、ひょんなことから「立石川」の正体が分かってくる。真ん中の四角の枠内である。本稿では一応立石川源流から石部中学校あたりまでを通称「立石川」とし、合流点からさらに上流は「宮川」とした。












11.県道113号を行く
写真060.県道113号を行く
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 雨山運動公園への探索は何の戦果もなかった。しかしそれは仕方がない。分からないものはわからない。再び石部中学前のポケットパークへもどって県道113号(石部草津線)を進む。太陽が右上にあって道路がまぶしい。







写真061.逆光・見にくい標識
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 雨山文化運動公園・石部宿歴史民俗博物館へのガイドが立つ。逆光で標識が暗い。

  写真062.アーチ
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 運動公園へのアーチ。まだまだ明るい時間帯なのに、山裾はもう夕暮れ。







写真063.山蔭の川
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 「山蔭を行く宮川」と書きたいところだが、「立石川」があったところで、どう書けばいいのか。苦しいところ。いつまでもごまかすわけにも行けないし。








写真064.落差工
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 ちょっとした落差工があって、その向こうは暗渠に。なぜここだけ暗渠になっているのか、上を歩いても意味不明。昔、木の切りだしでもやっていたのだろうか。アップをもう1枚

  写真065.新しい橋
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 そこに架かる新しい橋。それに続く擁護壁、その部分だけが新しい。








12.臥龍の森・立石川
写真066.臥龍の森入り口
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 上で見た新しい橋を渡ったところである。「臥龍の森入り口」とある。懐かしかった。280.5mの三角点があって、そこから勾配を下った広場に「竜王の碑」として雨乞いの場所がある。まだフィルム時代で、マミヤRB67とでかい三脚を担いで上がった。写真集『近江富士遊々』には1999年1月31日撮影として収録している。そのときは詳しいことが分からず、石部中学の裏から山道へ入ったが、こんなところから新しい道ができたらしい。まだ時間はある。ふと、登ってみようかと思った。




写真067.臥龍の森へ
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 山道というよりは遊歩道に近い。気楽に歩ける。










写真068.臥龍の森へ
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 穏やかな道が続く。途中に案内表示もある。右の立札は東海道の地名にちなんだものらしい。しかし細かい地名を書かれても”地名そのもの”が基本的に分かっていないのだから意味をなさない。今になってよく見れば、「立石の森」という地名がある。おやっと思う。しかしこのときは全体の中の一つとして気にも留めていなかった。細かいことだけれども、あれは「臥龍の峰」ではなかったか。でも森も峰もよく似たもんだろうし…。




写真069.砂防堰堤
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 突然、ツルが羽を広げたような砂防堰堤が現れた。なるほどこの工事のための道だったのか。やっと道の意味が分かりだした。で、臥龍の峰へはどう行けばいいのか。見ればダムの左斜面を登っていく道がある。あれだろうなとは思うが、柵でシャットアウトされているし・・・。よくみれば少し下流側に川を徒渉する道があったが、これはやめたほうがええな。引き返すことにした。その時最後に撮った写真が残っていた。




写真070.立石川
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 これがその写真である。「立石川」と特筆大書されている。こんなところで立石川の名を見ていたのである。そういわれればこの種の掲示はときどき見る。大概がローカルな川の名が載っている。ちらっとその名前だけを見てすぐに忘れてしまう。ましてやこのきは、こんなものはどうでもエエから臥龍の森へのガイドをしっかりしないと、歩く人が困るぞとの思いが強かった。呼び込んでおいて後は勝手にせいではアカンぞ、と、この写真を撮ったことすら忘れていた。
 しかし今となってはこの名前が貴重なデータとなる。幸いしっかりした地図もついている。しかしこの地図を見て、意味が分かる人はおそらくいないだろう。で、国土地理院のWeb地図と比較してみた
 要するに堰堤は県道113号、臥龍の森入口(写真066)から山中へ入って、ほとんど真西へ500mほどの位置にあることが分かる。




地図011.立石川源流地図  (国土地理院Web地図に加筆)
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 国土地理院Web地図は、ズームボタン(+)のクリックを続けると最後にこの地図が出てくる。これが何を意味するのか私にはわからないが、川の流れなどはわかりやすい。上の2枚の地図では源流部の流れはほとんど分からない。
 そんなことでこの部分を改めて表示してみた。表示している範囲は上の2枚と同じである。川に関しては砂防堰堤の上流部に破線を追加した。等高線から、多分こうであろうと推定できる線である。川に関しては流れの向きを矢印を追加しただけであとは加筆はしていない。
 砂防堰堤から下流では、稲妻型に屈折した後、一直線に「丸山四」という住宅地まで流れ下る。そのあと住宅地内の動きは不明であるが、表記される範囲では東側の山裾へ現れ、県道113号沿いで、私が宮川だと思い込んでいた川に合流する。問題はその川がさらに下流の石部中学前で「立石川」と表記されていたということである。



地図009X.改めて模式図
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 ここで改めて模式図を見てみる。1,2,3はアウトである。考えられるのは4、石部中学付近において慣例的に「立石川」の名が使われたと考えたのだが、その源流が見つかった。普通こういう形をとる場合、常識的には平地へ流れ出るときに名が変わるものだが、ここでは平地へ出てからも慣例的にその名が使われたということではないか。
 たとえば、野洲川源流の鮎河で松尾川橋という橋がある。これは野洲川源流が以前「松尾川」と呼ばれていたことにちなむという。それともう一つ、野洲の田中山。以前山火事になったことがある。そのときのラジオのニュースで「三上山の近くで、地元では通称”田中山」と呼ばれている山”が・・・」と放送されていた。この山は双耳峰で、ハタフリ山、カブト山だとは知っていたが、その時「田中山」という名前を初めて知った。
 あとはこの合流点(立石川が平地へ出るところ)から先の本流(図の赤色で示したAの部分)の名であるが、これは「宮川」に戻ると考えるのが一番妥当だと考える。

 

13.県道113号再び
写真071.県道113号へ戻る
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 県道113号へ戻る。川側に歩道が完備しているから楽である。川の反射が蛇行していく。










写真072.合流点
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 川が妙に蛇行している。上の写真で見た蛇行とは明らかに様子が違う。無理に蛇行させた様子がありありと。ははーんここやな。実はここ、上で述べた「立石川」が平地へ出てくるところである。しかしそれは撮影してきたデータを整理していて分かったことであって、この時点では何もわからない。分かっているのは、ここでこの川が道路の向こうから側から県道をくぐってここへ出てくるということだけだった。
 そんな事情で水路は蛇行している。しかし歩道のフェンスまでこんな癖を持たす必要はなかろうに。バス停か何かで、人がたまるのなら別だけど。




写真073.立石川合流
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 山間の砂防ダムから流れ下って、丸山四の住宅地を抜けて平地へ出てきた。現時点ではコンビニが建っていて、その敷地と山との間を抜けてきた。その川が画面右の奥から来る流れである。川と呼ぶか、溝と呼ぶか。人の好みというところ。







写真074.道路の向こうへ
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 さてここからはもう一度「宮川」という名称を使う。宮川は、ここで道路を暗渠で斜めに横切って向こう側へでる。川だと「対岸」という言葉が使えるが、道路にはこれに対する言葉がない。不便だ。知らないのは私だけかもしれないが。ガードレールがその部分だけ様子が変わっていて、なんとなく分かるから面白い。





写真075.反対側へ
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 反対側。これも難しい言葉だ。何に対する反対か。主体をはっきりさせておかないととんでもないことになる。もちろん今の場合は合流点があったほうが主体。その反対側、すなわち草津へ向かって左側。
 さてこちら側には歩道がない。長寿寺(東寺)、常楽寺(西寺)の案内板も肩身が狭い。運転手にじろっとにらまれる。できるだけ目を合わさないようにして。遊びも楽ではない。




写真076.木の枝がかぶさる
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 木の枝が川にかぶさっている。クルマから見ていたら、あいつ何しとるねんとなるのは必定。クルマが走っているのならまだまし。交差点だから止まることもある。真横でけったいなやつがわけのわからないほうへカメラを向けとりゃ誰でも気になる。立場が変わればワシでもそう思う。どうせにらまれるのだからもう1枚





写真077.暗渠へ
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 水面に木の葉がぎっしりとに浮いている。それを見て肝心なことを見逃されると思うので・・・、右上の暗渠だけは見てほしい。交差点で左折して、石部高校の方へ向かう道路の下をくぐる。

  写真078.暗渠を出る
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 道をくぐって反対側へ出る。様子は変わらない。歩道がないことも同じ。しかしよく見るとカーブの先には何かがある。






14.宮川源流
写真079.石部高校前交差点
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 分かりにくい写真を撮ってしまった。いままでカメラの向きは進行方向(宮川の下流から上流向き)を原則として来た。しかし、ここではその禁を破った。完全な逆光で原則を守るのは無理だった。
 この写真は、栗東との市境方から下ってきた県道113号。したがって左右が今までの逆になり、右へ曲がると石部高校のほうへ。右側のクルマは市境へ向かって長い坂を上り始めるところ。宮川は右側の山沿いを流れ下り、交差点を渡り少し下ったところで左側へ渡っている。そこが立石川との合流点。もう1枚。標識に当たる光がまぶしい。



写真080.駐車場
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 元へ戻って下流から上流向き。川は左へ曲がる。宮川と県道の間が駐車場になっている。どこかの会社の社員用らしい。宮川はその外側(道路から見て反対側)を巻いていく。








写真081.駐車場から県道を見る
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 駐車場から県道を見る。左側(栗東市側)に向かって高くなっていくのが見える。道路側から見た駐車場。宮川は丘の下、駐車場との間を流れているが、溝ぐらいにしか見えない。








写真082.県道にぶつかる宮川
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 駐車場に沿ってほぼ半周した宮川が県道(赤いクルマが走っている)にぶつかる。その手前右側が単なる畑のようにも見えるし、個人の庭のようにも見える。そのまま直進するのもはばかられるので引き返す。迂回して県道へ出て先ほどの畑?(ガードレールの左側)を見たところ。






写真083.勾配を上る
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 川が勾配を上るわけではない。宮川はいま走っている軽自動車の下を左から右へ。

  写真084.小さな水門
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 宮川の水門である。上の写真の軽の右、電柱の根元に見える(影で見にくいが)。アップを1枚









写真085.市境
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 水門を撮り、後ろを振り返りきれいな紅葉やなと見とれていて、「?」。市境の標識だ。もちろん栗東市。ということは、この宮川が市境なのか。何度も通っていて、当然もっと上の方の峠が市境だと思っていたが。何とまあ、ウラをかかれた。きつい隠しタマやった、これは。






写真086.こちら側にも
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 ということは、当然こちら側にもあるはず。と、見まわしたら、な、何と目の前に。何ぼなんでも近すぎて写真には撮れない。仕方ないからちょっと栗東側へ寄って撮ったのがこの写真。写っているのは坂の下の石部側。その部分だけを引き伸ばしてみて驚いた。何とまあ、きっちり立ててあることよ。足元の歩道面が、これなんというのかな、網目板というのか。まさにこの下は宮川の暗渠ですよという話。




写真087.市境沿いに
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 水門を撮ってそのまま素通りするつもりでいたが、市境とわかればちょっとは愛想もしないと。宮川、といっても溝のような小川だけど、それをトレースすることに。個人の庭のようなそうでないような。まあエエか。







写真087A.草の中に消える
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 もうちょっとあるのかと思ったが、道路から50mほどで草の中へ消えていた。これ以上詰めても仕方ないだろう。左ののり面は山科精機の敷地。







 地形を考えるとさして不思議でない場所ではある。しかし、県道113号を考えるとき、この宮川が市境であることがやっぱり腑に落ちない。
 あれこれ思案しながら『近江輿地誌略』をひっくり返していたら、石部村の項に「立石川」とあるのに気がついた。どうもこの川はとんでもないところからひょいと出てくる傾向がある。それによると・・・
 [立石川]  水源は金勝東坂村の山間より流れ出、川下石部板橋川へ流れ野洲川へ入る。金勝東坂村より此川に傍うて石部に出る甚近けれども山間迷ひやすし。立石川と号する事は、川の半に大石二つ並び立つ故に此名あり。・・・
 金勝東坂村を水源とする川が石部村の項に入っている。江戸時代からややこしいところだったらしい。
 金勝といわれるとびっくりするが、東坂村というのは、このあと県道113号が栗東市へぬける峠のことである。その山間が水源といわれると一応の理屈は合う。「立石川」が単なる俗名だという説はひっこめなければならないのかもしれない。

 峠の探訪はこのあと「S0103. 東坂越え」に譲る。





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