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地図710.平子峠付近地図(国土地理院Web地図に加筆) 前項の「頓宮越え」及び「笹尾峠」を大日川流域とすると、県境の御在所山までで野洲川流域から他の河川流域への峠道は、残すところ土山町大河原から日野町平子へ抜ける平子峠のみということになる。本稿では少し長くなるが、国道1号「土山支所前」交差点から県道9号沿いに青土ダム経由で土山町鮎河へ入り、そこから大河原へ、さらには国道477号沿いに平子峠を越え日野町蔵王の蔵王ダムまでをレポートする。 1. 国道1号から青瀬橋まで 写真701.平成万人灯 国道1号「土山支所前」交差点にある平成万人灯である。交差点名、以前は「土山町役場前」だったけれども、例の合併で訳の分からない名前になった。 写真702.三上山? 写真だけ見ると三上山だと思われるかもしれない。実はこの山、土山町平子にある山で名称はわからないが標高390m。その昔、『四季近江富士』を出版した後、一時期「野洲川渓谷」を集中的に撮っていたことがある。全山紅葉するこの山を見て(もうちょっと左から見ると全山紅葉するように見える)すごいなと見とれた記憶がある。御代参街道からもよく見えた。御代参街道の意味を知ってもらうために案内板を挙げたが、もうちょっと山を左へ置いておけばよかったと後悔している。で、案内板のない裸の姿をどうぞ。同じく御代参街道から。 写真703.妙楽寺 青瀬橋のすぐ近くに建つ妙楽寺である。30数年前、背後の山に木が少なく岩が露出していた。写真で見る中国の黄山を思わせた。当時の写真をどうぞ。もう1枚。 写真704.青瀬橋 青瀬橋である。国道1号土山支所交差点からやって来た県道9号が野洲川を越えて山にぶつかるところである。親柱には菅笠をかぶって太鼓をたたいている(のだと思うが)人物をイメージした像が取り付けられている。何がこのイメージにつながるのかよくは分からない。 写真705.旧青瀬橋親柱 この赤い橋も、私が野洲川源流へ通ていたころより後になって架け替えられた。「あおせはし」と刻まれた旧青瀬橋の親柱が、橋のたもとに保存されている。 写真706.巨岩立つ 橋の上から下流を見ると、突き当りに巨岩が立ちはだかっている。秋の夕日を受ける風景は秀逸だった。冬の風景をもう1枚。左の現在の風景には岩の右上に短いトンネルが見える。古い写真を撮っていたころは岩をくり抜いただけのトンネルで、ほとんど目立たなかった。昔の2枚の写真は岩だけをモチーフにしているが、仮にトンネルが画面に入ってきてもほとんど気にならないぐらいだった。 写真707.青瀬橋から上流を 青瀬橋から上流を見たところ。遠くは青土集落。よく見ると鮎釣りをする人物が見える。昔の写真をどうぞ。 写真708.現在のトンネルへ青瀬橋を渡ったところを左折して現在のトンネルへ向かう軽トラ。この道はこのままずーっと野洲川右岸を走り、国道1号白川橋畔へ出る。 写真709.音羽野城跡 橋の手前右側に石碑が立っていて、「音羽野城址」とある。先ほど御代参街道にあった道しるべに”青土、平子、音羽”とあった。前の2つは分かったが、「音羽」が分からない。ひょっとしてこの「音羽野」と「音羽」が何か関係がありはしないかと国土地理院web地図を探す。と、北から流れてきて野洲川青瀬橋の下流へ流れ込む川があって、その上流に「音羽谷川」とある。音羽野があったり、音羽谷があったり、思わせぶりだが、きっちり「音羽」という地名は見つからない。 2. 青土ダム 写真710.青土集落 県道9号をさらに進む。途中から青土ダムへ向かって上り勾配にかかる。 写真711.青土ダム 青土ダム、ロックフィル式ダムである。青土ダムの石標が、ダムのものにしては可愛らしいなと思っていたら、右岸駐車場横の公園にもう一つでかいやつがあった。ダムの竣工が1987年、私が野洲川渓谷へ通っていたころはまだ工事中だった。 写真712.堰堤から下流を見る放流口は堰堤の左岸の方にある。その上から下流側を見たところ。右手に見える道が県道9号。 写真713.洪水吐 水平方向にアサガオをタテに半分に切ったような半円形の受け口が出ていて、それに水が流れ込んでいる。そういえば、昔、男性用の小便器をアサガオと呼んだ時代があった。なるほどそういえば似ている。これなどはさしずめ神さん用の・・・。 写真714.上流側 ダムサイトから上流を見たところ。 写真715.青土ダムエコーバレイ「関西最大級ダム湖畔のキャンプ場」とHPにあり。 写真716.県道9号 ダムの左岸を走る県道9号。ダムが画面左外。バイクは下流へ向かって走っている。 写真717.さらに上流を さらに上流を見たところ。静かにに落ち着いたたたずまいである。 3. 鮎河 地図711.鮎河付近地図(国土地理院web地図) ダムの竣工が1987年、私が野洲川渓谷へ通っていたころはまだ工事中だった。青土から鮎河に至る県道も不完全なものだった。1回撮影して、次にもう一度行ったときには状況が変わってしまっているということがよくあった。だから残っているフィルムの撮影位置も、およそあのあたり程度の明確さでしかない。 写真718.鮎河橋 谷筋が狭まり、両側から山が迫ってきたところに鮎河集落がある。蛇行する野洲川をまたいで県道9号が渡るところである。 写真719.下流側 鮎河橋から下流側を見たところである。それに対してこんな昔の1枚がある。下流側から上ってきて、鮎河の集落に入る手前の橋の上から下流側を見て撮った記憶がある。状況としてはこの鮎河橋と同じということになるのだが、2枚は似ているといえば似ているし、違うといえば違う。左へカーブしているところは同じだが、カーブまでの距離が違うし、橋の高さそのものが違う。今画面の真ん中辺に何枚か板を打ち込んだような跡が見える。そこらが橋だった気がするが。 写真720.上流側 と思って上流側を見ると、すぐ真下に橋脚のあとのようなものが見える。ここにも橋があったのだろうか。全く記憶とつながらない。 写真721.横尾橋 野洲川の流れでいえば鮎川橋の上流の橋である。県道9号と直角に交わる道路に架かる橋で、いまのルートとは直接関係はない。画面に見える流れは下流(鮎川橋方)を見たところ。もう1枚上流側を見たところ。 写真722.県道507号 国道1号猪鼻交差点からやって来た県道507号にぶつかる。507号はここまで、県道9号が左へ曲がる。 写真723.松尾川橋 橋の名前は松尾川橋。たとえばA川に架かる橋として「A川橋」という名がつくのはよくある。もしそうだとしたら、川の名称は「野洲川」だから「野洲川橋」ということになる。ところがこの橋は「松尾川橋」だという。 写真724.松尾川橋下流 松尾川橋の下流、100mほどで壁にぶつかり、ぐっと右に曲がっていく。 写真725.松尾川橋上流松尾川橋から上流を見たところ。遠く屋根がきらりと光る建物が鮎河小学校。ついでに上流左側、鮎川の集落を見たところ。 『・・・・・「松尾川」、源3つ。1つは思川の下流、詳に岩根思川の条下に記す。一は伊勢国菰野山に出で、西に流れ北に転じ、また西に折れ、大河原の坤を◇りて流れ曲折して前の村の東を過ぎ、田村川と合っし水口驛及び宇田村の南を経て横田川となる。一は、伊勢國於岐須山間より出て西に流れ鮎川村を経て一流となるなり。・・・・・』。さきほども”音羽野城跡”のところで引用した『近江輿地志略』の文章である。ビックリしたなー、素人がこのまま読めば、松尾川が伊勢国菰野山から流れ出て…ということになるが。どうにも読めない字が1つあり◇をもって代えた。あしからず。 写真726.鮎河集落への道 一見すると県道9号を田んぼ側から見たところと読まれるかもしれないが、これは県道から見た鮎河集落への道。奥に見えるのが鮎河集落。その手前に橋が見える。野洲川に架かる橋で坊前橋。上で述べた松尾川橋の1つ上流の橋である。青土から工事中のダムの横を経て、集落の中を通って、この道へ出てくるのが当時のルートだった。先ほど見て来た鮎川橋や松尾川橋はまだなかった。坊前橋自体ももっとちゃちな橋だった気がする。 写真727.坊前橋 現在の坊前橋である。しっかりした橋になっている。橋を通して鮎河集落を見たところ。一車線とは言わないが、これで対向車が来ればやはり緊張する。何でこんなことをくどくどと述べているのかというと、実はこの写真である。紅葉したケヤキ(だと思うが)の木が秋の夕日を受けている。この1本の木が、集落の背後の山裾に立つっていた。この近辺から撮っているはずなのだが確たる場所が分からない。この木も見つからない。 写真728.坊前橋下流 坊前橋から下流を見たところ。すぐ前の橋は水道橋である。その向こう、左からうぐい川が合流してくるのが見える。 写真729.坊前橋上流坊前橋から上流を見たところ。真ん中少し右に山峡が見える。この川はその間を流れ出てきたのである。県道9号は中央に見えている建物あたりから山峡へ入る。 4. うぐい川 地図711A.うぐい川流域図(国土地理院web地図) 松尾川橋と一つ上流の坊前橋との間に合流してくる川である。「うぐい川」、漢字で書くとウオヘんに「成」という字。教えてもらって書けといわれればかけるが、読むことはできない。川岸に立つ標識にもカナがふってある。 写真730.うぐい川橋 うぐい川橋を渡る県道9号。車線だけでぎりぎりいっぱい。右側(うぐい川上流側)に歩道橋が見える。歩道橋から見たうぐい川橋。ここ(歩道橋)から見る桜は圧巻。 写真731.サクラゾーン 歩道橋から上流側のサクラゾーンを見たところ。人出の春と違って無人の川原。シラサギが一羽、行ったり来たり。案内板があっていまから60余年前に三上六所神社の改築を記念して植樹されたのが初まりだとし、昭和55年からは小学校の卒業記念として植えられ現在に至っていると。 写真732.三上六所神社 うぐい川右岸、県道9号沿いにある神社。ミカミロクショ神社と読むそうな。でも、こんなところになぜ「三上・・」なのか。おそらく縁もゆかりもない三上なのだろうが…。何か情報があるかもしれないと中へ入ってみた。本殿の写真をどうぞ。そばに由緒書きあって、へー、全く縁がいなわけではないぞ。 5. 山峡へ 写真733.山峡へ向かう 鮎河小学校の横を通り、山間集落をぬけて上りに向かう。道路の左に見える白壁に窓がいくつか並んだ建物と、その手前の二重屋根の建物が、上の写真(坊前橋から上流)に写っている。 写真734.山峡へ入る山峡へ入る。左右の山が迫って、一見谷底を走っているように見えるが、川はもっと下を流れている。 写真735.わずかに見える渓谷 30数年前、よくここへ入っていたころは、まだまだ上から見て流れが見えた。鮎河からつぎの集落大河原まで山峡を走る距離は2Km足らず。その間上から見て流れが見えるのは今は2か所ほど、それもごくわずかな部分に過ぎない。 |
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