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地図601.合流点から頓宮まで(ヤフー地図より) 布引山地・淡海学園近くの池から流れ出てくる市場川(仮称・私がつけた名前)が一直線に流れ下ってくる。国道1号市場交差点(正式名称)を越えて、川が消えるところが野洲川右岸、旧東海道沿いの場所である。そこから上流側へ300m足らずの場所が大日川合流点である。一直線に定規で引いたような市場川と違って、こちらの大日川は自然なカーブを描きながら、旧東海道、国道1号をくぐって上流へ、稲川との立体交差を経たあと東進して県道41号に達する。 1. 合流点から国道1号まで 写真601.東海道松並木 市場川(仮称)の突き当りが旧東海道である。上流側を見ると松の木が両側に植わっている。国道1号に”旧東海道松並木”のガイドがある。気になっていたが、直接目で見たのはこのときが初めてだった。松並木というからずらっと何100mも続いているのかと思っていたが、やや拍子はずれ。それでもカラー舗装が施され、いい雰囲気であることには違いはない。もう1枚。 写真602.東海道松並木 200mも進むと大日川橋が見えてくる。欄干は白いガードレールに褐色のペンキで化粧してある。旧東海道の手前、白のままではなーというところらしいが、こう剥げてしまってはなーというところ。 写真603.東海道反野畷碑 橋の手前にちょっとした広場があって”東海道反野畷碑”が立っている。解説をつけてくれるのはあり難いが、大抵はその解説板が風景をつぶしてしまう。これなどは最たる例。その解説文をどうぞ。 写真604.橋の上から 橋(大日川橋)の上から野洲川を見たところ。流れは対岸寄りをたどっており、合流点そのものは見えない。写真ではわかりにくいが、右岸に細い道がついている。 写真605.下ってみたが 下ってみたが、特に収穫になるようなものはなし。それよりも、振り返って橋を見上げて驚いた。へー、あんな高いところを通っているのか。クルマが通らないかと待っていたが一向に来ない。 写真606.堀割碑 橋に戻って、さーてどちら側を歩こうか。どーも右(上流側から見れば左岸)のほうが歩きやすそうだ。と、橋を渡ると、何?。”大日川堀割”なる碑が立っている。ということは、先ほどの説明板はこれの解説ではないのか。それならすんなり理解できる。しかし、それならば、”反野畷”は何なのか。”反野”という地名があったような気がして探してみたが、”前野”や”大野”はあったが、”反野”は見つからなかった。 写真607.国道1号近く 大日川橋から200mちょっと、国道1号に近い。両岸茶畑である。対岸の森が気になる。神社かと思うがよくはわからない。橋を渡る。 写真608.阿須波道 立派な木があって地蔵さんが祀られている。その横に”阿須波道”なる碑。最近建てられたもののようである。さて、阿須波道とは。しらべて見ると鈴鹿峠の古い名称だそうだ。そうか、知らなかったな。世の中知らないことばかり。ましてやいまの場合、橋を渡らなければ知らないままだった。 写真609.伽藍廃寺跡 ”花の木七堂 伽藍廃寺跡”の碑がある。これはこの森に建っていたということだろう。事情は分からないが、何か由緒のありそうな場所である。地蔵さんにしゃれたおそろいの前掛けが似合う。あとは墓地になっているようだったけれど。 2. 国道1号から頓宮まで 地図602.国道1号から頓宮新池まで(国土地理院Web地図より) 写真610.国道1号 大日川に架かる国道1号の橋。何という橋か、ネームプレートを探したけど何もなし。中央線が黄色で、片側1車線。これでホンマに国道1号かと思うけれども、これが現実。下流側から上流側を見ている。稲川立体交差の白いパイプが見える。 写真611.稲川交差 稲川との立体交差である。流れてくる溝の大半は大日川へ落ち、一部がパイプを通って下流へ流れる構造(奥が上流)だけれど、現状はパイプ(左側)には一滴も水は流れていないようである。田植のころには作動するのだろう。(稲川の項で詳述)。 写真612.右カーブゆるーく半円を描くように右カーブしていく。農地はやはり茶畑。 写真613.段差 これはどういう意味なのだろう。段差があって、川幅が広がる。段差は水の流れそのものの速さをコントロールするために必要なのだと何かで読んだことがあるが、川幅をこのように不連続に広げるのはどういう意味だろう。徐々に広げたほうが仕事がしやすいと思うのだが。こういう場所がよく目につく。もう1枚。 写真614.昔の橋 昔の橋。リヤカーの時代の遺構かな。大きな石を置いて通行禁止。それはそうだ、でかい農機具が通って崩れでもしたら。隣にまともな橋がありました。いいねえ、新しいのができても古いのを残しておく精神が。それとも撤去するのが面倒くさかったか。私なんかはいつもその口だからよくわかる。 写真615.群れスズメ 河床のヨシからスズメが飛び立つ。わっと飛び立ったそのうちの一部。チビでもこれだけ群れると羽音が響く。 写真616.この橋は? 吾輩は橋(猫にあらず)である。名前はまだない。県道41号が大日川をまたぐ橋である。ネームプレートがついていない。ときどきネームプレートを外して持って行く犯罪があると聞くが、ついていた形跡がないから、犯罪の類ではなさそう。「H23.6調査済」という大層なラベルが貼ってある。 写真617.旧道から 県道を越えてそのまま旧道の方へ出る。古い橋が見える。橋の向こうの柵のさらに向こうが新道。一つ奥にしっかりとした橋が見える。これが1号バイパスの今郷ランプの方からやってくる広域農道につながっている。 写真618.2号大橋 「2号大橋」。立派な名前である。2号というのだから1号がどこかにあるのだろうが、それはわからない。昭文社の古い道路地図によると、以前は日野の方から来た41号が、ここでこの橋を渡って、いったん集落の中を経由して国道の方へ出ていたらしい。反対側から集落の中へ入っていくところを見たところ。 写真619.頓宮大橋 上流側にもう1本しっかりした橋がある。1号大橋かと思ったが、「頓宮大橋」だという。これも集落につながるらしい。 写真620.頓宮大橋から上流を 頓宮大橋からほんの少しの間、橋が何本もかかり、懐かしい郷愁を誘う風景が続く。 3. 頓宮から頓宮新池まで 写真621.野上野分岐 しばらくいくと青土ダム・鈴鹿スカイライン方面への道を分ける。そこまで行くのは話が遠い。ここでは最初の峠を下った土山町野上野の名をとって、この交差点を”野上野分岐”とした。私が勝手につけた名称である。しかし、ここを通るドライバーは分岐という意識があるかどうか。10中8,9野上野へのコースをとる。 写真622.野上野分岐・2 また何やら書いてあるぞ。「この先・・・ナニヤラ」、めんどくさいとこやのーと思っているうちに通り過ぎてしまった。もう引き返せない・・・・。というのが何日か前の話。夕暮れ近く小雨が降っていた。写真を撮る気はない。下見のつもりだった。あっという間に杉林に入ってしまった。完全な1車線で、どうにもならない。前から来ないという保証はない。わー、どないしよう、えらいとこへ入ってしもた。 写真623.日野へ ということで、きょうは天気はいいけれど、あの杉林へクルマで突っ込む気はない。分岐点近くの空き地へ車を置いて歩く。 写真624.茶畑杉林の手前の茶畑。 写真625.杉林 杉林の中の一車線。きょうは歩いているから気は楽だけど、これは対向車が来てもよけようがないぞ。クルマはこない。そうか、こんな道へ入る車はないのか。でもあのおネエちゃん元気あったなー。もう1枚。 写真626.大日川上流川が見える。道ばかり気にしていたけれど、川を遡るのが目的だった。 写真627.Y字路 「この写真構図が狂ってる」といわれそうだけど、いえいえ、どういたしまして正常でございます。私としてはこう撮らなければならない事情が。もうお分かりだと思うが、ここが例の一件のときクルマを返したところ。機関車バックで戻ってきて、バックで右へ突っ込んで・・・・もうエエ、そんな話自慢にならん。 写真628.溜池碑 どこからバックしたのは定かではないが、明るい昼間なら、たとえばこの程度の道を走ったことは何度もある。あの時は気象条件が悪かった。 写真629.高速道路 今までの道を考えると想像もできない高速道路である。うしろからエンジンの音が近づいて、ブーンと軽トラがぶっ飛ばしていった。歩き出してから初めて出会う文明の利器だった。 写真630.頓宮新池近づく そうこうしているうちに右側に堰堤らしきものが見えてくる。多分これが「頓宮新池」だろう。先ほどの明治時代のやつが「溜池」で、これが「新池」というやつだろう。この「新XX]というやつが曲者で一回その名がつくといくら古くなっても「新XX}だから困る。たとえば「新幹線」、東京大阪間に限って言えば、もう半世紀もたっているのにいまだに「新幹線」。そこへ行くと「新妻」なんて奴は回転が早い。ものの10年もたてば「古女房」。場合によっては20年たつやたたずで「姑」。 地図603.頓宮新池から頓宮越えまで(国土地理院Web地図より) 4. 頓宮新池から頓宮越えまで 写真631.頓宮新池 頓宮新池。上で冗談を書いたが、「新XX」は怪しい。手前の橋の構造などは、途中頓宮集落付近で見た古い橋のイメージのまま。で、しらべてみると私が持っている昭和56年発行の国土地理院2万5000分の1地形図、「土山」に載っている。1981年だからそれからでも30数年。その時すでに出来上がっていたのだから、もっと前ということだ。インターネットで検索してみたら、ダムペディアというサイトがあって、それによると竣工が1965年だという。50年前だ。 写真632.ちょっと変わった放流壁 「放流壁」という言葉があるのどうか知らない。いま自分が撮ったこの写真を見ていてふっと出てきた言葉。何が変わっているのか。ダムにタテ・ヨコはないはずだが、仮に水が流れる方向をタテとすると、この放流壁は横向きについている。カメラは下流から上流に向いている。普通ならば水はカメラの方に向かって放流されるはずだが、このダムは左へ向かって流れる。世の中にはいろんなものがあるということだ。 |
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