前 項 | 次 項 | 中トビラへ |
地図506.花枝神社から頓宮跡まで(地理院地図より) 地図507.市場川(仮称)と大日川(昭文社道路地図より) 花枝神社の裏を越えたとこで、稲川は2つの川と交差する。国道1号を水口から土山へ向かうと、花枝神社前を過ぎて次の信号が「市場」である。左折すると名神栗東CC・淡海学園に至る。名神栗東CCの入り口に当たるところに農業用水池がある(名称不明。「市場池」と仮称)。その池から流れだした水が直線道路に沿って流れ下る(「市場川」と仮称)。その市場川と稲川がクロスする。平面交差である(「市場川交差」と仮称)。 5. 市場川交差 写真531.花枝神社裏 市場交差点を左折して淡海学園あたりまで走って見たが、川の名前も稲川との交差点も分からなかった。写真はその帰りの風景である。 写真532.水門のハンドル 初めから歩けば分かったかもしれないが、ズボラをして車で走った。行きは何もわからず、帰りに上の風景に出会った。これは臭いと注意していると、道路沿いに水門のハンドルが見えた。これだ。不思議なものでよく似たものを見ていると鼻が効くようになる。 写真533.下流を見る 稲川の市場川から見た下流側、いつの間にか細い溝のような水路になっていた。それも雑草でカバーされている。これでは車で走っただけではわかるはずはない。予測した通り電柱が水路沿いに立っていたが、これとてもどういう意味があるのか、それすらわからないような状態だった。 写真534.市場川交差 広い川が市場川(仮称)。名神栗東CC入り口の市場池(仮称)から流れてくる(画面奥が上流)。その流れを垂直に横切るように細い溝が見える。これが稲川(右が上流)。いまは、右上から流れ込んだ市場川の水が横切る溝(稲川)に流れ落ち、稲川の下流へと流れていく。市場川の水は、溝より下流へ流れていかない。実に芸が細かい交わり方である。もちろん市場川に多量の水が流れた場合、こんな溝は意味をなさず、稲川へ上流・下流を問わず流れ出るだろう。それを防ぐための水門なのだろう。 写真535.稲川・上流側 稲川の上流側、カラカラ、一滴も水は流れていない。実際に水が流れると、さらに細かい分流が行われるらしい。 6. 大日川交差 写真536.国道1号大日川 国道1号市場へ戻って少し行くと、大日川を渡る。クルマで走っていると気がつかないぐらいの川である。上流側に送水管が見える。あれやな、大日川交差は。どちらを歩こうかと迷ったが、左岸(写真では右側)のほうが歩きやすかったのでそちらを歩く。 写真537.上流側 大日川交差から稲川の上流を見たところ。普通の水路だった。市場川交差の上流はからからに乾いていたのに、ここではしっかり水がある。川というものはどこかで一旦乾いても、それから上流は完全に乾いているかというとそうでもないらしい。川は生きている。不思議なところである。 写真538.分流装置 稲川が大日川を渡る送水管の手前。二手に分かれ、1つは送水管を通ってさらに下流へ。もう1つは堤防をくぐって大日川へ落ちる。 写真539.分流装置 反対側へ回り送水管の方を見る。下流側(画面奥)が30cmほど高くなっている。水路全体の水面がその高さになるまでは送水管の方へは水が行かない。それまではすべて大日川へ流れ落ちる勘定になる。芸が細かい話だ。上で見た市場川交差もcm単位だったが、水を治めるということはこういうことなんだ。 写真540.穴2つ 我ながらご苦労さんなことだと対岸へ。?、見ればパイプが2本。両方ともに水が流れ落ちている。そんなことはないだろう。水量の関係なら、パイプを太くすればいい話だ。1本は別のところから流れて来たのとちがうのか。しかしよくみると2本とも暗い穴の奥に向こう側からの光が見える。分からんなー、向こうから見たときには1本しかなかったと思うが。もう一度確かめに行くか。また国道へ戻って・・・。 写真541.間違いなし 間違いなくパイプは2本だった。しかしワシなら太いパイプを1本にする。その方が手間が省ける。2本にしなければならなかった理由はなにだろう。 7. 稲川始流部 写真542.斎王の里頓宮碑 さらに東へ進むと「頓宮交差点」。新しく整備された県道41号を左へ分ける。道は日野へ向かうが、しっかりした道は布引山地の手前まで。あとは1車線のしんどい道になる。 写真543.県道と交差 県道41号から下流側を見たところ。流れの先に木が1本生えているが、花枝神社裏からこの木あたりまで、稲川はほとんど一直線にやってくる。そして県道をくぐって、国道1号に斜めにぶつかる。電柱の奥、黄色いクルマが走っているのが国道1号。そしてあたかも鏡にぶつかる光のように折れ曲がって斎王頓宮跡へ向かう。 写真544.稲川始流部 本来ならば源流ということになるのだろうが、山を登り詰め分水嶺のすぐ下、岩から滴り落ちる場所も不明瞭な源流というイメージではない。川はここから始まりますよというように、誰が見ても「ここから」と示すことができる。この溝が次の田んぼに突き当たるところ。ここが川の始まりである。そういう意味で「始流」部である。その向こう、丘の上の森。そこに垂水斎王頓宮跡の社が建つ。画面右外を国道1号が走る。 補遺:垂水斎王頓宮跡 国道1号「頓宮」交差点をさらに東進する次の交差点が「前野」、右折すると第二名神土山ICに至る三叉路である。それより少し先、左側に擁壁の切れ目があり、史跡垂水頓宮跡の石碑が建つ。近くからもう1枚。赤土の細い坂を上ると、茶畑の向こうに鳥居が見える。森の中、社の左に立つ頓宮跡碑。昭和10年・・・と読める注意書き。 補遺の補遺:「斎王群行」終了へ 2021年12月7日付京都新聞滋賀版に、”コロナ禍 2年連続中止「土山斎王群行」終了へとの記事。 |
画面トップへ | 中トビラへ |